学生の頃、アメリカ人やイギリス人のネイティブの先生に、最初の方の授業で、先生に何でも質問していいと言われると、「好きな日本語の言葉は何?」と質問するのが好きだった。
違う国から来て、私たちの国の言葉を、ある種私たちが持っていない特別なフィルターを通して覗いた場合、それはどんな風に聞こえるのだろう、どんな意味合いを持つのだろうと思った。だから、今でも覚えているけど、「意味はまだしも、自分は « ワガママ »という言葉が好きだね」と言ったC先生のことは今でも覚えている。ちなみに私がフランス語で一番好きな言葉はエスプリです。
私は子どもの頃から、漠然と、漫画家になりたい、絵本作家になりたい、小説家になりたいと、何かしら作る人、いわゆる作家になりたいと思っていた。大学の頃は、自分から何か発信する人になりたいと思っていた。
けれど、そういった職業が何という名前なのか自分では分からず、留学したこともあって、まわりから一年遅れて就職し、転職もして、会社員の振りを続けた。
そして最近になって、私のやりたいことはどうやらアーティストという言葉でくくられるものらしい、ということが分かった。33にもなって、イタ過ぎる…!どれだけ人生遠回りしているんだ、という感は否めないが、人生は何であっても、無駄なものはない、すべて繋がっていると、前向きに信じているよ。
アーティストとは、基本的には自分一人で製作し、自分の世界へ没頭するという、孤独な作業である。誰に褒められることもない、孤独な戦いと言ってもいい。書道は特に、古典作品と向き合って、他の誰と比べられることもなく、自分を高めるため日々一人でお稽古していると、つい、自分はこんなに上手なんだぜー、もうお稽古なんかしなくたって十分、十分。はっはっは。自分が世界で一番上手いのではないかとつい調子に乗ってしまうというか、勘違いしそうになるふしがあるので、危険である。(私だけ…?)
私は注意していないとあまり外に出ないで、天気がいいのに家の中で臨書してばっかりという、至極悲しいライフスタイルになってしまう。そういう理由もあって、アトリエでのお稽古には、雨が降ろうが雪が降ろうが、たとえ槍が降ろうとも、積極的に出かけるようにしています。
また、どういうジャンルであっても、他のアーティストと出会い、ふれあい、熱く議論することは非常に刺激になる。傍目からは「ただの飲み会じゃん」と言われそうな、(ものすごい数の)ワインボトルが次々と空になり、床に転がろうとも、それは非常に有意義な意見交換、おしゃべりの時間なんである。(余談だけど、本当にみんなよく飲む。まるでこれが一生で最後の酒か、今飲み溜めておかなくてはと言わんばかりに。)
大体そういった会では、画家、陶芸家、ピアニスト、建築家、カメラマンなどのメンバーが集まっているのだけど、時々ものすごくはっとさせられる一言に出会ったりするので、常にアンテナをぴんと張っていないといけない。(ということはつまり、どれだけ赤ワインを飲んでも、ある程度しらふでいられないといけない。最近は前に比べて、そんなに飲めなくなったのだけどね。)
私は昔から、いい言葉に出会ったら心の中にしっかとメモを取る、という、誰に言うこともない、暗い趣味があるのだけど、上記の会でも然り、常に気が抜けない。
私にとって毎日は 、刺激的なことば探しの旅。最近はつい便利だからと、ツイッターをメモ的に使うことも多い。書き留めたものを今後インスピレーションにして、作品作りのヒントにしていきたいと思っている。