小学5年生の時、私は学校に行っていなかった。
いわゆる不登校である。
時間の感覚って不思議なもので(大人になって小学校の時の机や椅子を見て、すごく小さく感じるように)、今となっては一体どれくらい学校に行っていなかったのかも思い出せない。
担任の先生が家に来てくれたこと。
母とハンバーガーを買って公園に行ったこと。
塾の先生達が本当に面白い人たちで、いつも応援してくれていたこと。
踊るのが楽しくて仕方なかったこと。
学校には行けなかったけど、学校とは違う世界に生きる人と出会い、救われ、いま私は生きている。
ここ数年でダンススタジオでコンテンポラリーダンスのクラスを教えたり、中学校などに行きダンスの授業を行うアウトリーチ授業で「先生」という役目になることが増えてきた。
教えることを始めたのは、ここ5年くらい。
それまでは、ダンスを「教える」ということに、正直興味も自信も持てなかった。
それに、自分が「先生」と呼ぶ人達への尊敬の気持ちもあり、そんな人たちのようにはなれないと思っていた。
でも少しずつ少しずつ時間というバトンを渡され、気づいたら今に至る。
私の中では教えるという行為は、シェアするという感覚に近い。
それは今まで出会ってきた先生や先輩に由来するものが大きい。
そしてもちろん、それはダンスというジャンルに限ったものではない。
彼ら彼女達は一様に、自身が一番汗をかき、一生懸命に生きる一人の人間である。
弱さを隠さず、毎日を積み重ね、生きる姿をさらし続けている、そんな人達である。
その人たちを見て「先生」というのは、毎日植物に水やりをするような仕事だと思った。
早く芽を出す人、ゆっくりと根を伸ばす人、それぞれに水をやり続ける。
そんな存在に、自分はまだまだ程遠いけれど、では自分に出来ることはなんだろうと想像し、クラスを組み立てる。
自分が知っている知識や体感をありとあらゆる手段を使って「伝える」。
例えば「プリエ」という動きがある。
フランス語で曲げるという意味を持ち、膝を曲げる動きを指すが、この動きひとつでも
・プリエしましょう
・膝を曲げてください
・折り紙を折るように曲げてみて
・(動作しながら)こんな感じに動いてみましょう
・bend your knee
などなど、様々な伝え方がある。
相手のからだや動きや様子を見て、観察して、一緒にその「時間と空間を作っていくこと」も大切なことのひとつ。
お互いにキャッチボールを繰り返して、ひとつの布を編んでいくような、そんな時間。
自分の口から出た言葉は、そのすべてが自分に返ってくる。
私にとって、「生徒」という相手は、いつも何かを気づかせてくれる存在である。
そういう気持ちがここ数年で自分の中に生まれたことが不思議で、新しい感覚でもある。
だから毎回が真剣勝負だし、真剣に遊ぶ時間である。
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なんとなく、不安。
社会の中に流れる、実体のない価値観。
いつの時代も、きっと見えない明日に心を砕くのだろう。
たった数日間の授業や数時間のクラスの中で、相手と対峙できる時間というのは本当に一瞬。
もちろん、教えていることはダンスのテクニックであったり振付なのだが、結局は全部ひっくるめて「生きててよかったなー」なんて思ってもらえたらいいなと思っている。
自分に出来ることはなんだろう、と時々、小学校の頃の私に耳を傾ける。
写真
yayoi
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