時々私は、自分のまわりにある世界がすべてのような気がして、どこにも居場所がないと思ってしまうことがある。失敗をしたり、コミュニティにうまくなじめなかったり、人に迷惑をかけてしまったり。そんな時「もう誰ともいい関係は築けない」と、自分の箱の中に逃げ込みたくなってしまう。
以前、とある年上の女性から、「自分のやりたいことを貫きすぎると、周りとひずみが起きるわよ。やりたいことがあっても、周囲の人が望んでいなければ、やるべきではないの。」と言われたことがあった。もやっとした気持ちを抱きながらも、その時はなんとなくわかったような気持ちにもなって「わかりました」と答えた。
翌日、夜ご飯を食べにいった友達にその話をした。そうなのかな……とちょっと不服そうな表情を浮かべる友達。彼はひとくち、ふたくちとご飯を口に運び、そしてゆっくりと飲み込んで、穏やかな笑顔で「みほちゃんのやりたいことが受け入れられる世界に、早く移動できるといいね。」と返してくれた。
「やりたいことが受け入れられる世界」がある?……「今の世界」と、違うところがあるのか。そう考えたらふと、旅先で出会った人たちのことを思いだした。
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ローラー滑り台をガタガタと音を立てて滑るように、私の大学受験は勢いよく滑っていった。ぎりぎり受け入れてくれた進学先については、高校にも、予備校にも言わなかった。いや、言えなかった。
入学後、「コンプレックスを解消するには、何か1つでも頑張ったことを作って、後悔しないようにしなくちゃ……。」と、妙なプレッシャーに駆られ、私は海の向こうへ行くことにした。大学4年間で、23か国。社会人も含めると今では30を超える。
銅像のフリして道の脇にたたずむ大道芸人、平日昼間からパブで飲んでいるおじさん、スキあればぼったくってやろうと観光客にやさしく話しかける青年。
いつか、警備の仕事をさぼってベンチに座っているお兄さんに、「仕事は楽しい?」と聞いたことがあった。Yesの回答が来たのでなぜなのか聞くと、困ったように「この仕事しか知らないからね」と答えた。
旅、特にひとり旅はすごく刺激が多かった。自分とまったく違う人に会うたびに、私の知らなかった世界がくっきり色づけされてきて、まるでぬりえのような、輪郭だけついたピースを、出会ったひとの色に1つ1つ塗りつぶされていくようだった。高校生までは「学校名の大事な世界」だけに色がついていたけれど、旅へ出るにつれて、その世界はたくさんある色の1部なのだということに気が付いた。
少し時期が離れるけれど、次のストーリーもそのうちの1つ。”どこで誰と生きるかで世界は変わる”というピースの上に、やわらかい色が付けたされていった経験だ。
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私はヨルダンにいた。これから1番有名(らしい)保険会社に勤めている、エリートの男性に会う。
「友達の紹介で人に会うけど、ミホも来る?」と、一緒に回っていたフランス人女性のソレンが声をかけてくれて、そのまま一緒に彼のオフィスへと向かっているのである。
途中、ソレンはヒッチハイクをした。「極力お金は使わない」という彼女は、自分からタクシーをつかまえることはしない。泊まっている先はすべて、無償で地元の人に泊めてもらえるサービス「カウチサーフィン」で見つけた民家だし、市内の移動はヒッチハイクか、どうしても車が止まらない時は最悪バスを使うという。危なくないの? とソレンに聞くと、「どの国もみんないい人だから、大丈夫よ」とサラっと答えた。
オフィスの受付で、会う予定の彼を呼んでもらう。オールバックのような髪型で、ピシッとしたスーツ姿で彼は颯爽と出てきた。私たちに挨拶すると、ランチにでも行きましょうと話し、真っ黒な車へ私たちを案内してくれた。ソレンは助手席、私は後部座席。
5分ほど走るとハンバーガー屋さんの前で車が止まった。テラス席に私たちを座らせ、セカセカとレジへ向かう彼。私たちは借りてきた猫のようにポツリと座り、目だけを動かして周りをみた。テラス席には高校生があふれていて、ハンバーガーを食べながらテキストの問題を解いている。近くに学校があり、今はテスト期間らしい。
しばらく経って彼は、ハンバーガーとフライドポテト、コーラを人数分もって戻ってきた。が、慌てたように「ちょっと待ってて」といって電話を始めた。仕事でトラブルがあり、電話がかかってきてしまったという。1度切ってもまたすぐにかかってくる電話。アラビア語なので何を話しているかはわからないが、大変そうな様子が伝わってくる。忙しそうに話す彼を見ながら、私とソレンはコーラを飲み干し、彼が食べるのを待っていた。
何度かこちらを気遣って、「いつからヨルダンにいるの?」などとあたりさわりのない会話を振ってきてくれる。しかし答えようとしても電話がかかってきてしまい、結局そのまま私はソレンと目を合わせる。
彼は電話の合間を縫ってハンバーガーを完食し、「そろそろ行こうか」と、飲みかけのコーラをもって車に戻った。
オフィスに車を止めると、タクシー代を私たちに渡し、「sorry」を何度か繰り返して仕事に戻っていった。
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海外で私が出会ってきたのは、着古した服でミサンガを売る人や、断っても追いかけてくるタクシードライバー、「いくらなら買うの?」と値段の駆け引きを行うお店の人。
海外の生活はまったく違うと思っていたけれど、東京の私と同じように、忙しそうに仕事をしている人もいる。今思えばあたりまえだよなぁなんて考えつくけど、その時はそれが、新しい発見のような気がした。
「バスで帰って、残りのお金ははんぶんこしよう!」というソレンの提案を受け入れ、帰宅途中の高校生に混じってバスに乗り、私は宿へ、彼女はカウチサーファーのもとへと帰った。バスの中では彼女たちが暗記シートを使って勉強している。
昼休みも電話の鳴りやまない保険会社のビジネスマン。晴れた日の、ハンバーガー屋さんのテラス席で勉強をする高校生。ヒッチハイクとカウチサーフィンで旅する女の子。
私はこの人たちと、たぶんもう一生関わることは無い。保険会社の彼は明日もいつも通りに出勤するし、3年もたてば高校生たちはきっと華やかなキャンパスライフを送っている。ソレンは私と別れたあとも、いつまでも旅を続けるのだろう。それぞれ「世界」は、人の数だけ存在するのだ。
もしも私が日本を離れヨルダンの保険会社に転職したら、きっと鳴りやまない電話を一緒に対応していく。ハンバーガー屋さんは行きつけのランチスポットになって、新しくそこに入学してきた高校生と同じ空間にすわり、食後に本を読む。そして、「あの時一緒に旅したな」と、ソレンのことを時々思い出すのかもしれない。そう考えると、「どこで生きるか」を選ぶことで、世界は大きく変わっていくような気がする。
バスに揺られ、周りにいる人すべての「世界」に思いを馳せて、ぼんやりとそんなことを考えた。
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「みほちゃんのやりたいことを応援してくれる世界に、早く移動できるといいね。」
あのあと関わる人を少し変えてみたら、「ひずみを起こす」と言われていたやりたいことを、応援してくれる人が増えてきた。
もちろん私の行動は、彼女の前ではやっかいなことだったし、迷惑なことをしてしまったと思っている。ただそれは、ここに存在するすべての世界においてではなく、「彼女とわたしの世界」にのみ起こっていた、すごく小さな出来事だったのかもしれない。
いま私が見ている世界は、決してそこだけがすべてではない。違うところへ行くこともできるし、関わる濃度を減らすこともできる。でも、ずっと同じところにいつづけてしまうと、それがなかなか気づけなくなってしまうのだ。
もしまた自分の箱に入ってしまいそうになったら。今まで色づけしてきたはずの世界が、たった1色になってしまいそうになったら。「同じところばかりを見ていない? あなたの世界はそこだけなの?」と、しっかり自分で肩を叩いてあげよう。そしてまた、あの時みたいに旅に出たいと思う。