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2F/当番ノート

むかしむかし、あるところに

第40期(2018年8月-9月)

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挿絵が目に焼き付くほど、繰り返し読んだ本がある。

家には本棚が沢山あって、縦横無尽に本が詰まっていた。図鑑、絵本、のんたんシリーズに分厚い辞書や小説。中でもお気に入りは「世界の昔話」シリーズで、日本の昔話ももちろんあったけれど、繰り返し読んだのはギリシャやヨーロッパのそれだった。

忘れられない話がある。

『チッコペトリロ』という、イタリアの童話。

幸せいっぱいの花嫁が、結婚の祝いの席で地下にワインを汲みに行く。ワインがたまるまでの間に、先のことを、子供が出来たらのことを思い描く。

十月十日後に生まれたその子を「チッコペトリロ」と名付けよう、そして大事に育てよう、愛そう。なんて幸せなんだろう!チッコペトリロはどんどんおおきくなって、そしてそして

もしも、チッコペトリロが死んでしまったらどうしよう…

花嫁の悲しみは止まらない。涙も流れる。ついでにワインも溢れてしまって、花嫁の様子を見に来た家族はその惨状に驚いてしまう。

しかし、チッコペトリロの話を聞くと、その家族も悲しみ始める。ああ、愛しのチッコ、可愛いチッコ、なんてこと…!可哀想なチッコ!ワインは膝までなみなみと溢れていく。悲しみの涙も一緒に。

最後に花婿が様子を見に来て、チッコペトリロの話を聞く。そうして呆れて「こんな馬鹿とは暮らせない」と旅に出る。「もしも、旅先にこの家族を超える馬鹿が3人いたら、その時はこの家に帰ってくる」と言い残して…。

生まれてもいないチッコペトリロを、さらに亡くしてしまう想像をして泣くなんて。物語を読んでいた時の幼い私は「賢い花婿」と同じ気持ちでいたけれど、今思うとなんとなく違う気がしている。

まだ見ぬ愛しい人が死んでしまうのが怖い話だけれども、不安になるということでくくれば、死ぬのが怖い、という話とも似ている。

小学校1年生の頃、風が涼しくなって、ただでさえ物寂しい初秋の夜。両親が興味深げに見ているテレビにミイラが映った。

「これは何?」と聞くと「昔の人が死後に復活するためにこうして体を残したんだよ」と父が答えた。

こうしてミイラが残っているということは、誰も復活していない…死んだら復活できないのか。と死の概念を少し理解してしまって、それからは寝る前にいつも布団の中で「死んだらどうなるか」と怯えていたりした。割と大きくなってからも、たまになる。

眠れずに母を起こして聞いたこともある。すると「大丈夫よ」とか「死んだ人の方が多い」とか返ってくるのだけれど、一番理解出来た気がしたのは

「そういうことを考えるってことはね、幸せってことよ」という答えだった。

寝ぼけていたであろう母は覚えていないだろうけれど、私はガツンと頭を殴られたような気持ちだった。

そうか、不安になるのは幸せだからか。

胸につかえたミイラがストン、と落ちた。そうか、幸せだからか。なんて前向きな解釈だろうか。

かといって眠れるわけではないのだけれど。

『チッコペトリロ』に出てきた花嫁も、それはそれは幸せな瞬間にいたのだろう。花婿との幸せ、その先にある息子との幸せ、そしてそれを失うことに泣いてしまう気持ちも、分からないではない。私はきっと泣かないけれど。

曖昧で形もない何かが不安でたまらなくなる時、何か大変なことが起こる予兆としてではなく「失うものがある」「失うものを生み出せる」こととして、柔らかく受け止めてみたくなる夜がまたくる。

どうか、今日は、ストンと眠りにつけますように。

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もう今更、とも思いますが、2ヶ月間アパートメントにお世話になることになりました。山口絵美菜といいます。

肩書きは女流棋士、他にも将棋界について書いたり、エッセイを書いたり、絵を描いたりしています。

アパートメントで何を書こうかと悩みに悩んだのですが、大きなテーマは決めずに「歩きながら頭に浮かんだことを書く」ことにしました。ふわふわと浮かべたままにしてきた文章を、丁寧に広げたり、最後で書ききったりしようと思っています。

誰かに向けてというよりは、この部屋に置いていきたいものを書くようなそんな気持ちが近いかもしれません。

目的地を決めずに帆を立てるのは怖さもありますが、毎週自分が何を思うのか、楽しみでもあります。

良い夏をお過ごしください。

山口絵美菜

山口絵美菜

女流棋士、ライター、観戦記者、造形作家
1994年、宮崎県出身。
2005年 将棋と出逢い、女流棋士になることを決意。
2013年 京都大学文学部入学
2014年 女流棋士デビュー
2017年 京都大学文学部卒業
2018年 造形作家デビュー、オリジナルキャラクター「平家駒音」をプロデュース(Twitter:@HirakeGomao)

Reviewed by
大沢 寛

どんなに高い地位を持っていても、どんなに生活が安定していても、人は不安に陥る。人が人である以上、不安や心配事は消えない。

不安の最たるものは、やはり死に対するものではないだろうか。

芥川龍之介は「ぼんやりした不安」を常々感じていた。自己に対する芸術至上の考え方が、生活至上の大衆文学や労働者のための文学という考え方に押されて行き詰ったことが第一因となり、それに伴って将来への「ぼんやりとした不安」が生じることとなった。芥川の痩せた長髪の風貌によって強く印象づけられた、そしてインテリゲンチャとしての神経の弱さが社会階層的に拡大されたかのような、彼の心のうちに募った「不安」は、じつは私たちの心の中にも宿りうるものなのだ。

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