音のない海に潜る。
重力に身を任せながら、引き換えしようのないところまで、潜る。
自我さえない深海で、研ぎ澄まされた思考だけが光のように駆け巡る。
目が醒めるように、魔法がとけるように、ふっと海から顔を上げると、そこには元通りの時間の流れがある。日常。浦島太郎のような気持ちで、想像より幾分か周回の多い時計を見る。
どこまでも集中しているとき、私はどこでもないどこかにいる。だれでもないだれかになる。
ゾーンと言うらしい。フローとも呼ぶ。
その時間はひたすらに心地よく、だけれど意図的にはなれない。「集中するぞ!」と意気込めば、その気合いだけが空回りして、浅瀬にも入れないもどかしさだけが残る。
盤上没我。
私が潜るのは将棋の海で、海の中の景色や潜り方をどうにか人に説明しようとするけれど、どうにも抽象の域を出ることが出来ない。
音のない海、吸い込まれる宇宙、壮大で静かなものに、それは似ている。
時間の感覚はすっかり消えてしまう。海の中に1日いたら、朝からいきなり夜になる。すっぽりと、その日はどこかに消えてしまう。私の人生は瞬くように過ぎ去ってしまうのかもしれない、と消えた日を前に思う。
今日も、音のない海に潜る。何も聞こえない集中の海に。