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2F/当番ノート

あわいを問われる《1週目》

当番ノート 第50期

桜も見頃を過ぎた4月、父の一周忌を迎える。

本当はたくさん人を呼んで悼みたかったが、高齢者ばかりの親戚で集わない方が賢明だろうということになり、家族だけのほんの小さな集まりになった。

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昨年の今頃、父は闘病のすえに、旅立っていった。

最初は半身麻痺から始まって、徐々に体のコントロールが効かなくなり、できないことが増えていった。

良くなる方と悪くなる方の岐路があったとき、悪くなる方を身体が積極的に選んでいったように思えた。それはまるで、一生懸命生きているというよりも、意志に反して体は死に近づいているようにさえ見えた。

死に近づく。それはなんというか、もっとグラデーションなんじゃないか。

その感覚が一番強くなったのは、父が亡くなった朝だった。

東京からタクシーを飛ばして病室に駆け込むと、たくさんの管に繋がれた父の体。どうやら、私がくるのを待っていてくれたらしい看護師さんが、「すぐにお医者さんを呼んできます」と出ていった。

父を挟んで反対側にお医者さんが立つと、「現時刻をもって、死亡といたします」と言って、死亡診断書にサインをした。これで父は、公に死んだことになった。

待合室でぼーっとしながら、まとまらない考えが巡る。

わずか30分前まで心臓が動いていたのに、今はもう死んだのか。書面によって、死んでいるか、そうじゃないか決まってしまうのか。心臓と肺が動いていなかったら、死んでいるということなのか。では、心臓が止まった時間から、私がここに着いて、死亡診断書にサインを行ったこの間、父はなんだったのか。死んでもない、生きてもいない。ちょっと生きてて、ほとんど死んでる。まるで、人間界から死の世界への、飛行機のターミナルみたいだ。空港は、出国ゲートをくぐったら、そこは土地としては日本なのに、書面上では日本ではない。

書面一つで、生と死のラインが分けられる。心臓が止まれば、死んだことになる。わかる、理解できる。

でも、目の前で人の死に立ち会うと、生きているということと死んでいることは、本当はぱきっと別れていないのではないか、と思わされた。まるで赤と青の水に溶けた紫のような、昼と夜の間の黄昏どきのような。

もしそうだとすれば、例えば、人工呼吸器をつけたときから、自分の体だけでは生きていけなかったという意味で、すでに死ははじまっていたのかもしれない。はたまた、管から栄養をとるようになったときから、誕生日が言えなくなったときから、自分でトイレに行けなくなったときから、車椅子になったときから、嚥下機能が落ちて硬いものが飲み込めなくなったときから、助からないという診断を受けたときから、死の気配は少しずつ滲み出していたのかもしれない。

そして、その滲み出しが生の及第点を超え、今日、死んでしまった。そんな気がした。

白い布でぐるぐる巻きの父と一緒に車に乗って、見慣れた自宅までの道を進んでいく。8時、空は曇りだった。時々、運転手に道案内をする。

横には、人間の縁取りをして、生命を限界まで使い切った、父だった体。

魂は、たぶんもうここにはいない。でも魂のいなくなった周りの入れ物は、父を60年以上かたどっていたものだから、丁寧に扱いたいと思った。もう痛くなんかないとわかっているのに、車が揺れて手足がぶつからないように、まだ少しだけ残る生の気配を確かめながら、抱きしめるように支えた。

多村 ちょび

多村 ちょび

ウェブディレクターや編集の仕事を経て、都内の小さな団体で広報をしています。ときどき田舎の実家に帰り、人々や生き物を観察して、その様子を綴っています。最高の休日の過ごし方は、散歩→銭湯→喫茶店で本を読んだり日記を書いたり→家に帰ってまぐろをつまみにビールを飲みながらお笑いを見る、です。

Reviewed by
向坂 くじら

「問われている」と感じながら、同時に自分自身が痛切に問うている、というときがある。父の死を見届け、田村さんは問い、問われる。それが普遍的な問いであっても、また答えが出ないとわかっていても、問いはあくまで田村さんのものとしてつづいていく。

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