小学生の頃、兄の影響で昆虫を恐れていなかった私は、近くの公園にいたトカゲをこっそりと手の中に入れて家に帰った。
「ただいま、ママ見て! トカゲいたの!」
母は「かわいそうだから放してあげなさい」と言って、私にトカゲを飼うこと許してくれなかった。トカゲは可愛い顔をしながら、私の手の中でくるくると歩き回り、手のひらをくすぐる。
落ち込みながらマンションを降りて公園に戻ったが、地面に置いても逃げていかないトカゲをみて「やっぱりこの子は飼われたいんだ」と都合のいいように解釈し、再びトカゲを連れて帰った。
「ただいま、逃して来たよ」
そう嘘を言いながら、おにぎりを握る要領でしっかりとトカゲを閉じ込めている私の両手を見た母は
「その手のひら、開いて。まだいるんでしょ」
とあっけなくバレてしまい、二度目は泣く泣くトカゲを逃してやったのだった。
ある夏の日、隣の家の坂本くんは、一人でひっそりと虫かごと格闘していた。
「また虫と遊んでいるのかな」と思いゆっくり横を通ると、私に一瞥を与え、すぐさまに虫かごに目線を戻し、何かをじーっと眺めていた。
坂本くんは、ノスタルジックな夏を感じさせてくれるので私は彼が好きだ。
今日は私の好きな坂本くんについて考えてみようと思う。
少し前まで毎朝8時には「行ってきまーす」と大きな声が聞こえた。きっと7時には起きて、歯を磨いて朝ごはんを食べる。坂本くんの朝は、きまってシリアルとバナナ。特にチョコレート味が好き。朝はくしゃみをしがしなお父さんより先に学校へ向かう。
学校では、もっちゃんって呼ばれている。親友のだいすけ君は家が近くて、学校に行く途中の十字路で必ず毎朝ランドセルを小突いてくる。
「よっ! もっちゃん!」「よー!」
クラス替えをしても、また同じクラスになった彼らは、休みの時間ノートに二人の好きな戦隊モノの絵を描いて遊んでいる。隣の席の女子が「ねーだいすけ君、消しゴム忘れちゃったから貸して」と話しかけてきた。すかさず「だいすけ君、あいつからいつも『消しゴム貸して』って、言われすぎじゃね?」と指摘すると、「しらねーし」とドキマギ答えるだいすけ君。
お待ちかねの昼休みには、サッカーをして目一杯体を動かし、汗びっしょりになって3時間目の授業に臨む。
学校から帰ってきたらランドセルを放り投げて、だいすけ君と少し遠くの公園に行くのが日課だ。門限の5時まで、公園でサッカーをしたりゲームに明け暮れる。
「ねえだいすけ君、ゲームしてるときいつも肩に力が入っているよ」
「マジ? 全然意識してなかった」
五時のチャイムが鳴ったら、じゃあね、と手をあげて家に帰る。
昔は、だいすけ君が家に来てくれてリビングで遊ぶ時もあった。ポテトチップスを食べながらゲームをしたり、カードゲームをするには家がうってつけだった。だけど、だいすけくんが家に来ることはなくなってしまった。
坂本くんのお母さんが夕方のワイドニュースをつけながら夕飯の支度をしていると、コメンテーターが「最近騒音問題、多いですよね。変に標的にされちゃうと、こわいなって。私も犬を飼っているので気を付けています」と話していた。坂本くんの家は一軒家だし、隣の家には挨拶する仲なのでご近所には問題ないと思っていたけど「子どもの声」って気になるのかもしれない。気にしすぎなのかもしれないけど、この辺はアパートが多いこともあり、休みの日は特に子どもを家で遊ばせることをしなくなってしまった。
「ママー、今日雨だし暇だからだいすけ君呼んでいい?」
「今日は家にいなさい。ゲームで通信すれば話せるじゃない」
「つまんねーのー」
飽きたらゲームを終えて、庭に出て飼っている昆虫の様子を伺う。昆虫はいつも通りピタッと添え木に捕まっている。昆虫用のゼリーを置いてやると、ゆっくりと動き、前足で確認しながらゼリーを食べ始めた。小さな口が忙しなく動いているのを観察しながら、ゆっくり動く割に口の動きは早いんだな、と眺める。
ゼリーを別の場所に移動させると、食べていたゼリーが突然消えたことにうろたえていた。昆虫は少し右往左往しながらも、別の場所に移したゼリーを見つけると、また一生懸命食べ始める。
「ママ、すっごい速く口動かして食べてたよ!」
今日もまた、一つ新しい発見をした。
あの時にじっと見つめることで感じられた生き物への愛は、誰かを愛することにも同じことが言えると思う。
それが犬でなかったとしても、猫でなかったとしても、生き物を見つめて何かに気がつけたなら、あなたが大人になって好きな人と話す時に気がつく癖や、ホクロの箇所までも愛せるかもしれない。
私は、人の目を見て話すのが好きなんだ、もっちゃん。