黒下さんとの出会いは、夜の帰り道だった。
近頃の私の楽しみは、このコラムの第二話に登場する渡辺さんのいるスーパーよりも、
少し離れたところにある高級な食材や輸入品が多く並ぶスーパーへ行き、
いつもより質のいい食材や変わった野菜、果物を買うこと。
散歩ついでに少し遠回りしながら上機嫌で一直線の道を歩いていると、
公園の隣にある凹型にくぼんだゴミ捨て置き場から視線を感じた。
暗い中、目を凝らしながら進むと、
そこには痩せ細った上半身裸のおじいさんが地べたに座り壁にもたれていた。
息が止まるかと思った。
夜道に、おじいさんが私を見ている。
目を凝らしてしまったせいで目が合ってしまった。
聴いていた音楽のボリュームを一気に下げ、
イヤホンをしながらもおじいさんの気配を感じ取ろうと思った。
おじいさんの一挙一動に気がつけず、不意を突かれたら怖かった。
合わせてしまった目はすぐ前に戻し、一直線に歩みを進める。
早歩きするわけでもなく、歩幅を大きくするわけでもなく、
何事もなかったかのように、なるべく平常心で、刺激しないように。
曲がり角を曲がった後すぐに、走って家に帰った。
家に着いて玄関の鍵を閉めたら、思わず廊下に座り込んだ。
もうあの道を夜に通るのは辞めよう。もっと、明るい道を通ろうと思った。
前置きが長くなってしまったが、これは幽霊の話しではない。
それから、家の近くのゴミ置場や、少し家から離れたゴミ置場で、
あのおじいさんを昼間に見かけることがあった。
初めて出くわした時は暗くて顔がはっきりわからなかったが、
細くて色黒なおじいさんは、あの時のおじいさんと同一人物だろう。
昼間に見てから、背中や腕にかけて刺青が入っていることも知った。
今日は、そんな黒下さんのはなしをしようかと思う。
黒下さんを見かける時は必ずゴミ置場で見かける。
それは、所謂彼がホームレスなのだろうと思う。
この辺りは治安が良く、地価もそこまで安いわけじゃないが、
なぜ黒下さんはこの辺りで珍しくホームレス生活をしているのだろうか。
随分と年季が入っているようで、今や色も薄くなった和柄の彫られた腕と背中だが、
5,60年くらい前はきっと、色鮮やかな龍が睨みを利かせていたのだろう。
ある日、黒下さんは妻子を置いて家を出て行く。
寝泊まりができそうで、平たくて寒さを凌げる場所を当てもなく探す生活が始まる。
自分と似た境遇の人たちが暮らす公園を見つけ、生きていく術を見様見真似で学んできたが、
ずっと同じ場所に停まるのは性に合わなかった。同じ集合体で肩を寄せ合うことも好きではない。
そうして、黒下さんは旅を始める。
住んでいた町からどのくらい離れたのだろうか。
聞いたことのある地名だけど、こうなってから初めてきた町だ。
今日の寝床を探していると、妻の名前がついているスナックの看板を見つけた。
今日を生きることに必死になっていた黒下さんは、
数年ぶりに妻の名前を目の当たりにし、妻のことを思い出した。
石鹸の香り、少しふくよかな二の腕、白い肌。
喧嘩は絶えず、口答えする妻に怒鳴りつけ泣かれることが面倒だった日もあったが、
それでも一度は愛した人だ。
人肌が恋しい。愛を誓った日の目、長い爪で搔き上げていた、あのストレートな髪の毛に触れたい。
この思いを誰に話すでもなく、ただただ今は妻のことを思い出したい。
あの頃の話を、書き留めておきたい。
ゴミに捨てられていたノートとまだインクが残っているペンを集め、
長らく言葉にしていなかった思いをゆっくりと書き始めた。
まず、最初に出てくる言葉は「悪かった」だった。
出て行くことにしたこと、喧嘩して怒鳴ったこと、怯えさせたこと、
夫婦の喧嘩の声に怯え泣き止まない子どもに余計腹を立てて、物に当たったこと。
貧乏な暮らしの中、毎晩飲みに出かけて家計を助けてやらなかったこと。
全てが後悔に溢れ、涙が止まらなかった。じじいにもなって、こんなに泣きじゃくるとは思わなかった。
久しぶりに聞く自分の泣き声の悲しさに、余計に涙が出てきた。
いまはもう、何もしてやれることはないが、
こうして文字にしていると罪悪感を感じていた心が軽くなっていく。
妻と子どもが元気でいるかわからない。
遠くまで来てしまった自分が今更会いに行くこともできない。
ただ、これからこうやって毎日想うことで、
黒下さんは誰かとつながり、自分の心に残っていた暖かさを感じることができる方法だと知るのだった。
梅雨の間の晴れた日に、国道沿いの日陰で黒下さんは何かを必死に書いていた。
たまたま横を通り過ぎた私は、黒下さんにバレないように早歩きで横を過ぎ去りながら紙を覗くと、
そこには確かに文字が書かれていた。
一人で生きて行くということを、まさに体現している人だと思っていたが、
それが誰かへの手紙なのであれば、精神的に誰かとつながりを感じることができる気がする。
誰かを想うということが、自分を生きさせる原動力になるのかもしれない。