ゆううつな朝の小田急線で、見覚えのあるおばあちゃんが目の前の席に座っていました。うつらうつらと気持ちよさそうに眠っていて、本人なのか確かめることはできませんが、モリヤマさんに似ています。最後に会ったのは、おそらく退職の1週間前でしたから、もうずいぶん経ちます。
人は本当に儚く交差しながら生きているなあと思う瞬間があります。おどろくようなタイミングで、かつてつながっていた人と再会し、ある日を境に、唐突に、人が消える。
「消える」という表現が正しいのかは分かりません。ただ、残された者は、目の前に広がる現実を、必然として受け入れるほかないのです。
そして、おそらくですが、モリヤマさんにとって私は、消えた側の人間だと思います。
モリヤマさんは勤めていたドラッグストアの常連客でした。もうすぐ80歳になるおばあちゃん。併設の調剤薬局にもよく来店していました。お気に入りの商品は、咳止め用トローチ。たまに、お孫さんのために風邪薬を買っていきます。
棚にある商品の期限チェックに夢中になっているときに、ねえねえと声をかけられました。「あなた何色が好き?最近ストラップを作るのが趣味でね、今度作ってくるからね」。ガラケーでとんぼ玉のストラップの写真を見せてくれたのは、退職日の1週間前のことでした。そしてそれが、モリヤマさんを見た最後でした。
受け取れない可能性に気付きながらも、「水色が好きです。楽しみに待っていますね」と答えてしまったのは、その気持ちが、心の底から嬉しかったからです。やめるなんて言えなかった。お客さんには関係のない話ですから。
結局、親しいスタッフに、もしあのおばあちゃんがストラップを持ってきたら、私については何も言わずに預かって欲しいと頼みました。
退職から1ヶ月後、店舗に制服を返しに行った際に、預かってもらったストラップを貰いました。天色というのでしょうか。鮮やかな青色のそれを見て、泣きたくなりました。「モリヤマさん、急にあなたが居なくなったと寂しそうにしていたのよ」。スタッフのまっすぐな目を見て、何も言えなくなりました。
いま、電車に揺られながら、目の前で眠るおばあちゃんに心の中で問いかけます。あなたはモリヤマさんですか?肩にかけたグレーのトートバッグにぶら下がる、とんぼ玉のストラップを握りしめながら。
ほたるいか