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2F/当番ノート

私生活

当番ノート 第51期

夢だった一人暮らしを始めて、ちょうど一ヶ月が経った。

意外にも、新しい生活は身体と心にすんなりと馴染んだ。

朝ごはんと昼のお弁当を作り、仕事へ行き、帰ってきてお風呂に入り、寝る前のちょっとした自由時間を過ごして、眠たくなったら寝る。それを繰り返している。

快速が止まらない小さな駅から歩いて10分ほどのところにある、築15年、家賃5万7000円の1Kのアパートに住んでいる。南向きで、日中は日当たりがよく、風が入ってくるととても気持ちがいい。ラブホテルみたいなアパート名以外は、全部気に入っている。

引っ越してきて初めて思ったのは、「隣人の生活音がこんなにも聞こえるのか」ということ。初めのうちは自分も隣人を気にして生活音には細心の注意を払っていたけれど(意識しすぎて、かえって物を落としまくっていた)、今となってはお互い様だと思えるようになった。隣人の生活に支障をきたさない程度に生活音を立てて生活している。

時折、「うるぁぁぁぁ!」と、奇声なのかくしゃみなのかわからない隣人の声が聞こえてくる。その声はあまりに唐突すぎるので、もはやテロである。

冷蔵庫のジーというモーター音だけでは、なんだか寂しい気がするから、声しか知らない隣人の存在はありがたい。

隣人はどうやら二人で生活しているようだ。夜になると時々、二人の笑い声が聞こえてきてとても楽しそうにしている。何をそんなに楽しそうに話しているのか気になって、何度か壁に耳を当ててみたけれど、言葉の輪郭がぼやけて何の話をしているかまではわからなかった。壁一枚で隔たれた、隣人と私のこの距離感がちょうどいい。

隣人の物音がしないと、それはそれで寂しくも思えるようになってきた。隣人の気配がするだけでなんだか安心する。

引っ越したばかりの頃、友人に「アパートって、めっちゃ生活音するんだ」とLINEを送った。すると、友人から「その気配が安心になってくるかもしれない」と返事が返ってきた。……確かに。

多分、私が孤独に押し潰されずにすんでいるのは、少なくとも隣人のおかげだろう。隣人は私よりも遅い時間に帰ってくる。階段をカツカツと足音を立てて上がってくるのがわかる。私はベッドに寝っ転がりながらスマホを見てて、心の中でそっと「お疲れさま」とつぶやいてみたりする。

夜更かしをしてしまうのは、今日に未練があるからだと、どこかで見聞きした。

私は長年、自分は夜型人間だと思っていたけれど、本当はそうでもなかったみたいだ。

相変わらず朝は弱いけれど、夜は日付が変わる頃にはころんと眠れる。寝ることは元から好きだったけれど、前よりもっと好きになった。

今の生活には満足している。裕福な生活はできないけれど、自分で稼いだお金で自分のしたいようにやりくりする。決められた枠の中で、自由を見つけていくのは面白い。

不動産で鍵をもらった日、そのままアパートに向かった。鍵を受け取っても意外にも感動は起こらなかった。「下手すりゃ嬉しくて泣くんじゃないか」くらいにまで思っていたけれど、自分が「泣くんじゃないか」と思った時は大概泣かない。実際には意外にも冷静で、冷静な自分に自分が一番驚いた。

アパートの最寄り駅に降り立った時、ふと、東京事変の「私生活」が浮かんだ。

「酸素と海とガソリンと沢山の気遣いを浪費している 生活のため働いて僕は都会(まち)を平らげる」という歌詞。

今までどこか他人事だったその歌詞が、グッと身近に感じられた瞬間だった。

私の生活は事件も起こらなければ、ドラマチックなことも起こらない。

ただ、この部屋にいるだけなのに、すぐにほこりは溜まるし冷蔵庫の中身はすぐになくなる。

フローリングシートにこびりついたほこりを見ては「あーあ」という気分になるし、スカスカになった冷蔵庫の中身を見ても「あーあ」という気分になる。でも、次の瞬間には、その「あーあ」という気持ちもどこかへ行ってしまっている。生活を営むために、常に意識が移ろいでいて、忙しい。

この生活が、誰かの役に立つものではない。料理も掃除もすべて「私」だけのために行われている。いつ、どこにいたって「私」を遂行するために必要な生活。

まだ始まったばかりで、大きな成長や気づきを見つけられたわけではない。それでも、一日一日を積み重ねているなかで、わずかな変化を感じられている。

神原由佳

神原由佳

1993年生まれ。
社会福祉士、精神保健福祉士。
普段は障害者施設で世話人をしています。
納得を見つけていきたいと思っています。
にんげんがだいすき。

Reviewed by
早間 果実

タイムラインは強さでごった返している。
不安、悲しみ、怒り、犬。主張、猫、暴言、批判、批判の批判。
たくさんの人のいいねやシェア。
そこに付着した無邪気な悪意、暴力的な正義、思考停止のおくすり。
どっどどどどうと、アルゴリズムに乗って押し寄せてくる。
それに比べて、一人ひとりの生活の、なんと弱いことか。
「意味なんかないさ暮らしがあるだけ」
と現代のポップスターは謳った。
量的で全体的で画一的な強さに、弱くて美しい生活の機微が、かき消されてしまわないように。
その弱さこそ、きっと私だから。

読んで気づきました。
いま一番、こういうものが読みたかったんだなあ。
心よりありがとうの気持ちです。

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