昨年の夏、新卒で入った職場を半年で辞めた。
今では「そういえばそんなこともあったな」という感じで受け止めているが、これをあんまりよく思わない人も一定数いると思う。私自身は、退職したことを全く後悔していないどころか、むしろ成功体験として捉えている。この感覚はおかしいでしょうか。そんなことないと思いたい。
「何が理由なの?」と聞かれても、納得させられるような返事をすることが今もできない。何人かの親しい友人からは「すぐ辞めると思ったよ」と笑われた。誰一人責めたり叱ったりする人がいなくて救われた。
言語化できない違和感がそこにあった。だって、本気で「ここにいてはいけない」と思ったから。
職場を出るのは大体、十九時頃が多かった。夏の十九時はまだ明るさが残っている。仕事の間はほとんど外に出ることがなく、一日の大半を人口密度が高い医療福祉相談室内で過ごした。電話やPHSがひっきりなしに鳴り、隣の席の先輩に声をかけることですら罪悪感が沸いた。職場が疲弊しているのは明らかで、職場全体の空気が重いのは、建物の構造上、天井が低く閉鎖的な作りになっているからだけではないと思う。間接的に命に携わる現場の安心のない緊張感が漂っていた。人と一緒にいるのに一人でいるような感じがした。息苦しさに耐えかねて、よくトイレの個室でうずくまってた。
退勤のタイムカードを押して外を出ると、いつも必ず大きく息を吸った。草木の瑞々しい匂いと新鮮な空気で、身体は疲れているけれど頭がスカッとした。
職場の最寄り駅の蒸し暑いホームで、電車を待ちながら強く輝く一番星を眺めた。金曜日の夜は特になんとなくまっすぐ家に帰りたくなかった。職場も窮屈だったが、家も窮屈だった。どこに行っても安心できる場所がなく、大宮ゆきの一番線と逗子ゆきの二番線の間で心が揺れた。餃子にするか、海にするか。「どこか遠くへ行きたい」そんな気持ちが強かったんだと思う。とにかく「終点まで行きたい」そんな気持ちだった。
だけど、大宮にも逗子にも行くことはないまま、横須賀線に乗る必要がなくなった。
何度だって、大宮にも逗子にも行くチャンスはあった。だけど、一人では怖くて行けなかった。一週間働いてお腹ペコペコの状態で、好きなだけ熱々の餃子を頬張りたかったし、一人で夕暮れの逗子海岸を歩きながら缶ビールを飲みたかった。だけど、実際に行くのは野毛で、カウンターで一人ビールを飲みながらまぐろをつついていた。
美味しい餃子がある大宮も、夕日がきれいな逗子海岸も、あの頃の私にとっては憧れの場所だった。現実から目を背けることができる夢の国のような場所。でも、行ってしまったら寂しくなるのがわかるから、わかっているから行かなかった。一番楽しいのは、その場所に行くまでの間だ。目的地に着いた瞬間にわくわく感はあっという間に消える。
今朝聴いたインターネットラジオで、「ダメな人は、海かビデオボックスかビジネスホテルにしかいないですからね」と話していた。かつて海に行きたかった私は、ダメ人間予備軍だったのだろうか。ダメ人間が悪いとはこれっぽっちも思わない。結果はどうであれ、みんな懸命に生きているはずだ。だけど、誰しもが一度や二度は「ここじゃないどこかへ行きたいと思った経験」があるんじゃないかと思う。
今年の三月から、以前働いていた職場で再び働き始めた。辞めた人間を快く受け入れてくれる。ありがたい反面、よかったのだろうかと思ってしまう。献身はしないけれど、恩は返したいと思っている。
今もまた、帰宅時には大宮ゆきの電車に乗っている。だけど、あの頃のように「大宮に行きたい」とは思わない。その代わり「餃子を買って帰って、家でビールでも飲もう」と、ウキウキしながら横浜駅で降りる。
今なら、焼き立てのパリッとした餃子でなくてもいい。お惣菜の少ししなびた餃子でも美味しく感じる。今は安心できる部屋がある。
天気がいいと、「こんなビル群じゃなくて、海に行きたい」と思う日もある。だけど、その気持ちを抑えて職場へ向かう。その足取りは、以前よりも軽い。