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2F/当番ノート

好き勝手する人々

当番ノート 第51期

初めて客人を部屋に招く時、嬉しい反面、少し緊張もする。

最寄り駅から家までを横並びで歩きながら、「この人は、私の部屋を見てどう思うだろう?」そんな他者評価が気になってそわそわしてしまう。

プライベート空間に招き入れるわけだし、正直、心を許した人しか入れたくない。大人になって、本当に付き合いたい友人が選べるようになった今だから、友人のほとんどが心許せる人物だと思っている。だから、来て欲しくない人はそもそもそんなにはいない。そのような状況で「遊びに来てね」「遊びに行くね」と、半分本心で半分社交辞令なやりとりを何人かと交わした後、行動力がある人たちは早速、部屋にやってきた。

ある土曜日、大学時代からの友人のSがやってきた。

私たちは在学中、同じ実習班、ゼミだったにも関わらず、特別仲が良いわけでもなかった。卒業後、多くの友人たちが就職をしていくなかで私とSは大学院に進学した。「みんなは働いているのに、私たちはまだ学生やっている」と、お互い肩身を狭く感じていたのかもしれない。国公立の他大に進学したSは「国公立だからか、あんまりプリントさせてもらえない」と、ふらりと私の院生室に顔を出しては、勝手に私のアカウントで印刷をしていた。その後は、よくラーメン屋に連れて行ってくれたり、カラオケに行ったりした。

「こんなに仲良くなると思わなかったね」と、デリバリーピザを食べながら話す。

その日は初夏を思わせる陽気だったが、南東向きの窓を開けると心地よい風が部屋に入ってきた。まだエアコンを入れなくても十分心地が良かった。

お互い映画の「モテキ」が好きすぎて、もう何度も観ているはずなのに、改めて二人で観ようということになった。何度も観ているからセリフも覚えてしまっていて、ほとんどシラフなのに普通のテンションではないまま、役者とセリフをハモらせてみたり、「この後くるよ」と盛り上げ合い、「なぜ、ルミ子は“重い”と言われなければならないのか」「幸世君じゃ成長できないの“成長”って何?」と、大した恋愛経験もない私たちは、その難題に対して「えー」としか反応することができず、まともな答えに辿り着く間もなく、気づけば次のシーンに釘付けになっていたのである。

だんだんとピザでお腹も満たされて、クライマックスに向けてわくわくするべきシーンがBGMのようになっていった。次の展開はわかり切っているから、次第に眠気が襲ってきた。

私がごろんと絨毯の上に寝そべると、つられてSも寝そべった。カーテンがゆらゆらと揺れて、湿気を含んだ風が部屋に入ってくる。少し蒸し暑くなってきて、気を利かせたように「エアコンつける?」なんて聞いてみたけれど、本当は自分が一番つけたかった。「まだいいよ」とサーキュレーターに視線をやるSに、私は「わかった」とだけ答えて再び映画を観始めた。

映画のエンドロールが流れる頃には、二人とも「もう何も食べられない」という状態で、中途半端に残ったピザとナゲットが空気に晒されていた。起き上がってキッチンにラップを取りに行くことすら億劫で、だけど、ベッドに上がるのは容易で、私はベッドにSは絨毯の上に寝そべった。

「学生の夏休みみたいだねえ……」

「うん」

そう言った後は、二人とも何も喋らなくなっていつの間にか寝てしまっていた。

久しぶりに会ったのだから、もっと色んなことを話したり、一緒にもう一本映画を観たかった。そっちのほうが一見、一緒に楽しい時間を過ごしているように思えるからだ。しかし、初めてこの部屋を訪れたSが、もうこの部屋には何度も訪れているような態度ですやすやと昼寝をしている姿を見ると、ほっとした。私にとって安心できる場所は、他者にとっても安心できる場なのだと証明してくれているような気がした。

それはSだけではなく、S以外の客人もそれぞれ「好き勝手」に過ごしていた。ある人はなんの断りもなく、いつの間にか台所の換気扇の下でタバコを吸っていたし、またある人は飲みすぎて吐いた挙句、「十分だけ……」と勝手にベッドを占領した。あまりに好き勝手されるので、「やれやれ」と思いながら、だけど不思議と不快な気持ちにはならなかった。むしろ部屋の中で猫が自由に動き回っているのを見るかのように、この部屋にいる他者を自由にさせて楽しんでいるのだった。

私は昼寝に飽きてしまって、ぼんやり白い壁を眺めたり、スマホを見たりして、Sが起きてくるのを待った。しばらくすると、Sが起きてきたような音がしたので、そちらに目を向けるとSが寝ぼけた様子で上半身を起こして座っている。

「何時?」

「四時だよ」

「そっか」

そう言って背伸びをするSに、私は言った。

「アイスあるけど食べる?」

厚い雲で少し薄暗くなった部屋には相変わらず、湿気を含んだ風がカーテンを揺らすのだった。

神原由佳

神原由佳

1993年生まれ。
社会福祉士、精神保健福祉士。
普段は障害者施設で世話人をしています。
納得を見つけていきたいと思っています。
にんげんがだいすき。

Reviewed by
早間 果実

沁みた。
共生は、共に生きると書く。生きるため、という目的が少し透けて見える。
ここに描かれているのは、共在だ。共に在るだけ。それだけの、それだけだからこそ生まれる、安心の空気がある。
だからだろう、私ごとじゃないのに、懐かしさが込み上げてきて、ツンとする。
用もない、意味もない、よくわからない。不確かさを共にできること。それってたぶん、無敵じゃん。

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