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2F/当番ノート

#3 ミス・サイゴンのはなし

当番ノート 第51期

「徘徊」という言葉の見直しがされる昨今、
目的もなく歩き回ることの意なのであれば、私は喜んで使っている。

夜が更けた頃に、近所の友人から突然「ちょっと徘徊しようよ」と誘われれば
ウキウキした気持ちで夜の街を徘徊する。

徘徊は気持ちがいい。

目的もなく、好きな音楽を聞きながら、ちょっと歌詞に浸ったり、
知らない道を通ると小さな公園や、いつの間にか新しいお店ができていたりする。


きっと、いつも家の裏で見かけるミス・サイゴンも同じだろう。

彼女はいつも、着古した服とサンダルで家の周りを歩いている。
垣根に座って、人の通りを眺めている。
夜に出くわした時はびっくりするときもあるが、おそらく彼女の家はあそこだろう。
路面に建つ小さくて年期の入った一軒家。
夏場は玄関のドアが開いていて、少しだけテレビの音が漏れている。

今日はそんなミス・サイゴンのはなしをしようと思う。



彼女は目鼻立ちがはっきりしていて、パーマ混じりの愛くるしいショートカットヘア。
明らかに年老いた足取りで歩いているのだが、
すれ違いざまに目が合ったとき歳を重ねていてもわかるくらいの整った顔だったので、
思わずミス・サイゴンと心の中で呼んでいる。

真夏の昼間は、部屋の中より外の風にあたる方が気持ちがいい。
アイスバーを食べても暑さをしのげなくなった頃、流しているだけのバラエティ番組をつけっぱなしにしたまま外にでるのだろう。

ゆっくりと歩きながら、今日もあてもなく誰かを眺める。

大して変わらない街並みで、唯一変わるのが住人だ。
昨日お母さんにおんぶされていた子どもは、いつの間にかランドセルを背負って歩いているし、歩きながら涙を流して深夜に家路につく女性が、翌日は笑って男性と歩いていたりもする。

特に最近気になるのは、明け方ミス・サイゴンの家のから少し先の駐車場に車を止めて、必ずたばこを吸うあの中年男性だ。


昨日あの車が駐車場から出たのは深夜1時頃だったのに、5時には帰ってくる。
そしてくしゃくしゃになった赤いマルボロを咥えながら、深呼吸をするようにたばこを吸うのだ。

その姿は、昔好きだった彼に似ている。


くすんだ黄色のシャツにグレーのパンツ、きっちりとポマードで分けられた髪でいつも家の前まで迎えにきて、赤いマルボロをふかしながら待っていた彼にその姿を重ねてしまって、いつも目が離せなくなってしまう。


たばこを1本吸い終わると、アスファルトに落としたタバコを踏みつけ、どこかへ去っていく。
たった5分の出来事だけど、毎日その中年男性をみて好きだった彼を思い出すのが楽しい。


より鮮明な気持ちで彼を思い出すために、今日は昔はいていたスカートを着てみた。
5分だけ会える、昔の恋人。
横にはねる耳周りの毛は、はさみで切っておこう。


今日も彼はやってくる、明け方5時。いつも通りの時間に駐車場に車がやってきた。
エンジンを停止させると、今日は彼が中から出てこない。
フロントガラスの奥にいるのに、なぜか下を向いて出てきてくれない。


ミス・サイゴンはいつも眺める場所からちょっとだけ、身を乗り出して中の様子を伺う。
彼に私を見て欲しいけど、見て欲しくない。
私に気が付いてほしいけど、気が付いて欲しくない。
あと10数える間に、彼が出てこなかったらいつものように家の周りを歩くふりをして見に行こうか。


1 2 3 4 5 6 7 8 9 …


9を数え終わった頃に、もう一人の男性がどこからかやってきて彼の車をノックする。
彼は顔をあげると、右手を軽くあげて合図をしたみたいだ。
もう一人の男性が助手席に座ると、車はエンジンをかけてどこかに消えてしまった。


今日はいつものように、外に出てくれない日だった。
せっかくスカートを履いたのに、なんだ、つまらない。

家に戻って、いつものように扇風機を回しながら、ただただ1日が過ぎていくのを待つことにする。
明日はもしかしたら外に出てきてくれるかもしれないから、もう一度このスカートを履いてみようかと、椅子にスカートをかける。



徘徊は誰かとの出会いが待っている。
空が澄んだ夜ならば、缶チューハイ片手に外へ出よう。知らない誰かにあの人の姿を重ねるために。

ばりこ

ばりこ

日々、コンクリートジャングルをどう乗り越えて快適な暮らしをつくれるか考えながら生きていているOLです。

Reviewed by
haikei

夏夜の徘徊、佇む老女。
熱に浮かされ、火照った身体は、いつかの恋を思い出す。
亡霊のように佇んで、今日もその時を待っている。

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