週末になると、車にテントとタープ、バーベキューコンロ、アウトドアテーブルにチェア、ダンボールいっぱいの炭とランタンと油、それからクーラーボックスを詰めこんで、まだ陽も昇りきらない時間に家を出る。
小学生のころ、キャンプは恒例行事だった。
車酔いがひどく、後部座席でビニール袋を口にあてながらじっと丸まっているのがわたしの常だった。
高速道路を走っている間じゅう、母は助手席で《夏が来る》を機嫌よく歌っている。父とわたしは、それを黙って聞いている。
海の水は、あたたかいと思う。
川にもたまに行くけれど、上流の水は真夏でもぞっとするほどつめたくて、ちょっと泳いだだけで唇が紫になる。
でも、深いところへ行くのはこわい。うっかり足のつかないところに浮き輪で浮いていたりなんかすると、ひんやりとした水が足を撫でることがある。そうすると「足の下になにか大きな魚がいて、口を開けているのでは」と思えてきてこわくなるのだ。
浜辺を歩くのが好きだった。足の指の間を、海水といっしょに砂が通り抜けていくのが気持ちよくて、このままどこまででも歩いていかれるのでは、という気になる。貝殻や丸くなったガラス片を拾っては持って帰った。海と浜辺は別と言ってもいい。
夏休みだった。
テントの組み立ても炭起こしも手伝えないわたしは、がぜん手持ち無沙汰だった。タープの紐に大きな石を巻きつかせる父にひっついていると、遊んできなさい、と追い払われてしまう。
わたしは遊ぶのがへたな子どもだった。
しかたなく、浜辺を歩く。歩き回るのにも飽きたら、水に足を入れてみたり、思いきって全身を水につけてみたりする。どうにもはしゃぐ気になれず、早々に海から上がってまたしばらく浜辺を歩いた。ヤドカリを追いかけたりもした。それもすぐに飽きて、足を砂まるけにしながら今度は母の元へ行くと、まだ準備中だから遊んでて、とまたしても追い返されてしまう。
なんとかスコップとバケツをつかって浜辺でひとりで「遊んでいる」と、わたしよりいくつか歳が上の女の子に声をかけられた。カラフルなハイビスカスがあちこちにプリントされたピンクの水着に、ブルーの水泳キャップをかぶって、その上にゴーグルを乗せていた。わたしは赤いチェックの、腰回りにフリルと、肩ひもの付け根にお花のワッペンのついた水着だったとおもう。
「ひとりでなにしてるの?」
どう答えればいいかわからず、遊んでるの、と答えると、その子もバケツと穴掘り用のプラスチックのくわを持っていて、いっしょに遊ぼう、ということになった。
わたしたちは砂山をつくり、トンネルを掘り、そこにバケツで水を流した。トンネルの端と端から手を伸ばして、お互いの手が触れるときゃあ、と声をあげた。それから波がくるところに指で絵を描いて、消えるたびに笑い転げたりもした。固く握った泥団子の上から、おもちゃのザルで漉したさらさらの砂をまぶす「さら砂のお団子」を何個もつくった。ふたりともとっくに裸足になっていて、顔も体も砂だらけだった。とちゅう、母がやってきて写真も撮ってくれた。わたしはへたくそなピースをした。
ずっと笑っていたので、ほっぺたがきりきりと痛かった。わたしはその子と遊ぶのに必死だった。つぎつぎ砂遊びを作り出す、砂遊びの達人のようになっていた。その子が笑うたび、嬉しくなった。
だいぶ太陽が高くなったくらいに、その子がふと顔をあげた。名前を呼ばれたらしい。名前を呼んだのはおそらく母親で、少し離れた場所から「お友達ー?」と手を振っている。わたしはどきどきしながら、その子のお母さんに汚いと思われないよう、一生懸命手と膝の砂を払っていた。もしかすると、お昼に呼ばれたりするのかもしれない──。
「ううん、よその子!」
そう言って、あっけなくその子はおもちゃを持って走っていった。
わたしはポカンとして、しばらく突っ立っていた。足元にいくつも転がっている団子と、水を吸ってやわらかくなった砂の城だけがあった。
バケツとスコップを持って父と母の元へと戻ると、ちょうどバーベキューが始まっていた。さっきのお友達は?と嬉しそうに母は言った。父は、つれてきてもよかったのに、と言いながら肉を並べている。
「ちがうよ」
ものすごくお腹が空いていた。わたしはお尻の砂を払い、手を洗って自分の席につく。お尻の下が湿っていくのも、足の指の間が砂まるけなのも気持ち悪かった。
つやつやと油で光る肉を噛んでいる間も、ずっとどきどきしていた。