とかく祖母には甘ったれて育った。誰に何をねだるのも下手な子どもだったけれど、祖母にだけは驚くほど素直にねだったものだ。あの、とろけるように甘い飲み物。
祖母の喫茶店は「奈美樹(なみき)」といった。立派な一軒家の一階に店を構えていて、二階は住居になっていた。とんがり屋根の家、といえば祖母の家のことだ。昔からの住人ならすぐに分かる。
アール・デコ調のこってりとした白とグレーの壁に、ステンドグラスの玄関扉と窓、当時随分としゃれめかした洋風趣味であった祖母に、早くに亡くなった祖父が贈ったという。とんがり屋根というのは三姉妹の末娘が生まれたあとに増築した部屋の屋根裏のことで、三角のどの方向にもとりつけられた窓からは町が一望できた。築50年にもなるその家は、間違いなく祖母の城だった。
お世辞にも料理上手ではない祖母だったが、コーヒーの味と食器のセンスには定評があるようで、恰幅のいい紳士が、ブレンド、とひとこと言って新聞を広げる、いい面構えの店だった。大通りの店なので、客足も多かったという。
祖母に会いに行くと、わたしは空いている席で待った。母は、とっとと二階に上がってしまう。
祖母が客との話や洗い物やらを終えるまでの間、わたしはシュガーポットの中のグラニュー糖を、スプーンでさらさらとすくっては戻してをくり返す。グラニュー糖は家の砂糖とは違って固まらないところが気に入っていた。それに飽きたら、つやつやに磨かれたテーブルの上に置かれた、ワープロ文字のメニューも読む。日替わりモーニング、アイスコーヒー、ブレンド、アメリカン、エスプレッソ、モカ、紅茶(ストレート・レモン・ミルク)、オレンジジュース、グレープフルーツジュース、ミックスジュース、トースト、サンドイッチ、アイスクリーム・・・。
「はい、お待ちどうさまでした」
客が帰り、片付けをひと通りやり終えると、祖母が「お腹すいてる?」といたずらっぽく笑いながらやってくる。わたしはこの顔が大好きだ。祖母の、わたしの思っていることはぴったり分かっていますよ、という顔。そうするとわたしは、もうなんの遠慮もなく、勢いよく椅子から飛び降りて言う。
「ミックスジュース!」
はいはい、と祖母がうなずいて、今脱いだばかりのエプロンを首からかけ直す。
祖母のミックスジュースはわたしの──というよりも、この家系のすべての女たちの──大好物だった。たいてい親戚の集まりにわたしがやってくると、わたしのこの「おねだり」によって、全員がミックスジュースにありつくことができる。わたしは毎回厨房までついていき、固唾を飲んで見守った。
「まずは缶詰を開けましょうね」
果物は缶詰と決まっている。缶切りで開け、白桃と黄桃の両方を1個分ずつ、つやつやとしたみかんは計量スプーンで3杯、それからバナナを2本まるごと切ってミキサーに入れる。牛乳を2カップと、缶詰の甘い汁もどばっと入れる。
「やらして」
「固いから、おばあちゃんにまかせてください」
そして欠かせないのが、バケツアイス。バケツアイスは業務用のバニラアイスのことで、普通のスーパーでは買えず、文字通りバケツのような見た目をしている。これを祖母が冷凍室から出して脇に抱え、アイス用のハンドル付きのスプーンでぐわっとすくい取る。まんまるになったアイスをミキサーに入れて、こんなもんかしら、と言う。
「もう1回!」
まあ贅沢、と笑いながら祖母がもう一度アイスをすくう。わたしの大歓声をかき消すような音が鳴って、ごちゃまぜのそれは30秒ほどでジュースになった。
グラスはきまって背の低いガラスの水飲みで、これに真四角の氷(まんなかに穴が空いている)を3つ4ついれる。グラスにていねいに注がれるミックスジュースを、わたしはシンクの淵から顔を出し、どきどきしながら見守った。
「とろとろ!」
「まってね」
仕上げにシロップ漬けのさくらんぼを載せて、完成──さくらんぼは、わたしだけ──だ。待ちきれずに口をつけると、とろっとした舌触りと、この世のものとは思えないほどの甘み、それからバニラのいい香りが口の中を満たした。グラスから口を離すと、鼻の下はすっかり髭になっているのがわかった。わたしがそれを舌でいっしょうけんめい舐めとろうとするのを、これ、とたしなめつつ、祖母は何度も「おいしい?」と聞き、わたしはそのたびに大きくうなずいた。
それからグラスに分けたミックスジュースを母に持っていった。
「甘すぎじゃない?」
顔をしかめて、けれど母はきちんと全部飲んだ。わたしは心から、満足する。
奈美樹の「美樹」は、母の名前だ。
甘いミックスジュースを飲み終わると、母はきまって、アイスコーヒー飲みたい、と言うのだった。そしてそのまま祖母に言うのだ。おかあちゃん、アイスコーヒー飲みたい。
はいはい、と言って祖母が笑う姿を、さくらんぼを口の中で転がしながら、なんとなく気恥ずかしい気持ちで眺めたものである。