あるとき宇宙空間が大爆発して、たくさんの小さな塵が浮遊した。
それが寄り集まって星がうまれ、やがてわたしたちがうまれた。
わたしの骨は宇宙の塵でできている、だからわたしの中には宇宙があり、
宇宙のなかにはわたしがある。
そうしてわたしは日本という国にうまれ育って毎日お米を食べている。
だからわたしの骨はお米でできている。
わたしが吐く息は、炊いたお米に含まれていた水蒸気なのだが、
死んで箸でつまみあげられるまで、それは内包され密やかにわたしを構成しているに過ぎない。
「釈迦入滅後、その骨は8つに分けられ、
10基のストゥーパが造られたのちに骨と灰土とを合わせて納められた。
その後アショーカ王はそれらのストゥーパを壊して、骨と灰土とを8万4000に細分化し、
各地に新たなストゥーパを建設したといわれているので、
もう、その骨はガンジス川の砂粒のごとく無数であり、
数えることもままなりません。」
これなんなん?
ひなちゃんが指差したその先にある、2ミリほどの白い砂粒のようなものはあたちゃんの歯だ。
わたしは、何を入れたらいいのかわからないくらい小さながま口に、まだほんの子犬だった頃、
初めて抜けたあたちゃんの乳歯を入れていた。
姪っ子のひなちゃんはそのがま口が気になって開けたようだ。
あたちゃんの歯やで、とわたしが言うと、
ひなちゃんはふうん、かわいいな、と言ってまたがま口を小さな指で閉じた。
あたちゃんの歯は、小学生の時にお土産でもらった星砂に似ていると思った。
わたしは星砂の入った小瓶を大切にしていた。
それが有孔虫の死骸だと聞いて、かわいそうだと思ったからだ。
小さな、小さなあたちゃんの歯。あたちゃんの歯を見るといつも涙が出た。
あんなにも大切にしていたのに、星砂の小瓶はもう今どこにあるのかわからない。
あたちゃんの小さな歯を入れていたがま口は、たぶん実家のどこかにあると思う。
でも、ないかもしれない。
遠く離れてしまって、もうよくわからない。
8万粒に砕け散ったシャリはどこに行ったんだろう。
大切に大切に祀られて、ずっとストゥーパの中にあるのだろうか。
ばあちゃんが死んで、火葬場の人が箸でサクサクと灰になった骨をかき分けて、
これが喉仏です、と示したものが小さな骨壺に納められた時も、
多分いつかなくなるんだろうと思っていた。
小包装された防虫剤の中身がいつの間にかなくなるみたいに、
いつかこの蓋を開けたら、多分もうなくなっているんじゃないかと思ってそれを見ていた。
わたしは多分、星砂も、あたちゃんの歯も、仏舎利も、
わたしが吐く息も、無数の仏も、
見えなくなったものはみんな同じように宇宙空間を漂っているのではないかと思う。
同じように見えなくなって、同じようにぷかぷかと漂って、同じようにわからなくなるんじゃないかと思った。
だから、宇宙ステーションでぷかぷかと浮かぶ宇宙食を、
宇宙飛行士が器用に箸でつまんで食べるのをテレビで見た時、
それはとても尊い行いのように思えた。
今後の予定
7月1日(水)より毎日、「碗琴道」のライブパフォーマンスを行います。
詳細はこちらをご覧ください。
黄金町バザール2020-アーティストとコミュニティー Vol. 1参加作品
http://koganecho.net/koganecho-bazaar-2020/news/2020/06/post-1.html