田んぼを遠くから見ると、その整然とした風景に圧巻されることがある。
緑の絨毯と例えられるその風景は、日本人の誇れるものの一つだろう。
田んぼを近くから見ると、一うね一うね、真っ直ぐに一糸乱れることなく植えられている。
田植機のない時代から日本人はまっすぐに苗を植えた。
糸をピンと張ってそれに沿って植えたり、木で作った農具を定規のようにあてて植えたり、工夫して美しく植えた。
雑草も一本たりとも許さなかった。
一本のひえを許すと来年には種が発芽して数百本に増えてしまう、米の生産が落ちることを恐れた。
日本人はどうしてこんなにも懸命に真っ直ぐに植えたのか。まるで何かに脅えているかのように・・・
真っ直ぐなうねだと田んぼに入って作業がしやすい、ということが一つある。
そうして雑草を抜いたり、稲の病気が蔓延しないように手を入れることができる。
また一説によると、土地の支配者が農民を土地に縛りつけ、米の生産量を上げる為に田んぼは大きな役割を果たしていたという。
曲がった畝は根性が曲がっているからだ、一本でもヒエを生やしたら駄農だと罵られ村八分にされてしまう。
つまり田んぼは農民の心を試す踏み絵であり、心を映す鏡であった。
田んぼは社会を統制する役割を持っていた。
田んぼにはご先祖様の汗と涙と血が滲んでいるだろう。
そんなことを考えると、足元に敷きつめられた絨毯は美しければ美しいほどに恐ろしく思えてきた。
逃れられない呪縛の中で懸命に生きる道を模索した結果、
日本人の心は辛いことや悲しいことを受け止めて、逃げることなく耐える強さ、つまり忍耐が芽生えたように思う。
その心は時として、一糸乱れぬ足並みで戦争に向かわせる。
わたしはふと疑問に思った「どうしてこんなにも一列一列真っ直ぐに植えるのだろうか」ということを調べ、知れば知るほどとても息苦しいことのように思えてきた。
たしかにうねが真っ直ぐであれば田んぼに入り、作業しやすいことは間違いはない。
(そして農業が機械化されてからは田植え機を使うので真っ直ぐ均等に植えられるのはそりゃそうだろうと思う)
歴史的に見て田んぼが社会的役割を果たしていたこともそうだろうと思う。
けれどそれは俯瞰で見た田んぼである。 実際に田んぼで感じるものとはズレがあるように思えた。
そんな時、偶然展示を見てくれた名前も知らないおじさんがこんなことを言った。
「ぼくは、うねは風の通る道だと思う」
ハッとした。それは、稲の気持ちに寄り添った言葉だった。
田植えの時、足の裏に感じるあの気持ちいい感触も、朝早く田んぼに注がれる冷たい水も、日当たりのいい山の斜面につくられた棚田も、あぜに咲く彼岸花も、一列一列真っ直ぐに植えられた畝も、
ぜんぶ稲のためなのである。 田んぼは稲の育つ場所である。稲が心地よくあるために、すべてはそうなるようにしてなっているんだと、稲の視点から田んぼが見えてくる言葉だった。
そうして時に、うねはまっすぐでなくてもいいのだ。
「曲がった植え方であっても、稲はまっすぐ育つ」 素人のわたしがへたくそに植えた苗もちゃんと育つと、農家の方が かけてくれた優しい言葉。
田んぼは優しい思いが通い合う場所でもある。
お米絨毯
樹脂粘土、布/2008
追記。
2008年に「お米絨毯」という作品を制作し、その展示で出会ったおじさんの言葉から、2009年に「うね〜風の通る道~」という作品を制作、
その後出会った大分県の農家の方が所有する棚田の一つに丸い形状の小さな田圃があり、なぜか真っ直ぐ植えなくてもいいんじゃん、丸く植えたい、と考えたところ、「かずちゃんの好きにしたらいい」と快く田んぼを使わせていただけることとなり、わたしは2012年に大分県に移住、田んぼにぐるぐると円を描きながら黒米の苗を植えた。
結果、稲が真っ白に枯れてしまい、ほとんど実らなかった。風が通り抜ける道がなく、病気が蔓延してしまったのだ。
やはり、一列一列が真っ直ぐに植えられていることは重要であった、と身をもって実感した。
今後の予定 7月1日(水)より毎日、「碗琴道」のライブパフォーマンスを行います。 詳細はこちらをご覧ください。 黄金町バザール2020-アーティストとコミュニティー Vol. 1参加作品 http://koganecho.net/koganecho-bazaar-2020/news/2020/06/post-1.html