これまでに私が制作した作品を大まかに分類すると、(パフォーマンスを除く)
・お米粒(粘土や陶でお米粒を作る作品)当番ノートの記事はこちら
・お米文字(お米文字を用いて制作したもの)当番ノートの記事はこちら
・野焼(紙をお線香の火でお米粒の形に焼いた作品)
大抵このパターンで延々制作してきている。
特にここ数年は「野焼」の作品を多く制作しているので、今回はそれについて書きたいと思います。
宝来
私が紙を「線香の火でお米粒の形に焼く」ということを始めたのは2009年、初めて高野山を訪れたことがきっかけとなる。
その年高野山で行われた「Happy maker in 高野山2009」という芸術祭に参加し、高野山独特の様々な文化に出会った。
その一つに「宝来」というものがある。
「宝来(ほうらい)」とは、1200年程前に空海が唐で習得し、伝授した縁起物の“切り絵”のことで、「絵絹(えぎぬ)」とも呼ばれている。
藁のない高野山でしめ縄の代わりに飾るようになったと言われている。宝船や干支、縁起の良い「寿」の文字などの図柄がある。
私は宝来に魅了され、早速宝来を教えてくださる方を探したところ、今ではほとんどが機械彫りとなっていて、手で切って稼業としているのは山内では松田表具店の松田のおっちゃん(親愛を込めてそう呼んでおります)のみとなっていた。
宝来には伝統的な図柄があるけれど、それを元に図案を考えることが一番難しいとおっちゃんは言っていた。確かに、最終的には吊るすのだから、繋がっていないといけないので、どこを残してどこを切り抜くか、考えながら図柄を作らなければならない。
私は練習に、おっちゃんが作った図案を元に何枚か切らせて頂いたのだが、
「一度入れた刃は最後まで抜いてはいけない」
「小指を軸にするとぶれない」
など、
ちょいちょい言ってくれるアドバイスがなんだか名言に聞こえてくる現象。
ちなみにおっちゃんは宝来のことを「雲」とか「吊り」とか呼んでいたと思う。多分。
そんなこんなで教えていただき、後に「お米宝来」という作品を制作した。
お米宝来
紙/2011
紙をひたすらお米粒の形に切り抜き、太陽の光が差すと日の出のような印象を得られたら、と思い制作したものだった。
(ちなみにこの写真は平城京跡に日の出の時間に行って撮影した)
高野山には藁がないからしめ縄が作れず、しめ縄の代わりに宝来が飾られている、ということに私は特に興味があった。
品種改良が進み、寒冷地でも稲作が行われるようになっていたので(なんとすでに2000年余前から寒冷地である東北地方で温帯ジャポニカ(水田による栽培)の稲作が行われている)1200年前、弘法大師空海によって開山された頃は治水の問題さえクリアしていれば稲作は可能だったはずだが、高野山は標高が高いということとは別に、宗教的な理由から山内で田を耕すことが行われてこなかった。
そんなことからも、しめ縄の代替品である宝来をお米の図案にすることに面白さを感じ、また、この地でお米にまつわる作品を制作することにのめり込んでいった。
しかし、この作品を制作する上で問題があった。
めちゃくちゃ手がしんどいのだ。
この作品は大きいものを制作することには不向きだと感じた。
だけど、切り抜いた穴からさす光がとても綺麗で、もっと見てみたい景色があるとも感じていた。
それで、宝来の技法から離れて、どうやってお米粒の形に大量に切り抜くか、ということを考えた。
そこは高野山、画材屋なんてない。商店は仏具屋ばかり、すぐにたどり着いたのが「お線香の火で焼き抜く」ということだった。
野焼
実際にやってみると、紙がサクサクと焼き抜けて、気持ちが良かった。
いろいろ試した結果、硬さ、細さ、長さ、煙の量、コスト、全ての面から「仙年香ミニ」がぴったりだった。
紙も、半紙が燃え広がらなくてしかも焼き心地がさくっとしていて丁度良く、以降の素材はほとんどが半紙と仙年香ミニを使うようになった。
また、知り合いのお婆さんやお坊さんにお線香を供えることには、仏様はご飯を食べることはできないけれど、香りを食べるという意味があって供えるのだと聞いた。
その話を聞いて、お線香の火で焼き抜いてお米粒を一粒一粒作っていくことが私の中で繋がった。
(めちゃくちゃ余談だが、私は小さい頃(から中学生くらいまで)お線香の灰を食べていた。
母があらゆる宗教にのめり込む人で、その中の何かからインスパイアされたのだろうけれど、母はいつもタッパーに灰を入れて持ち歩いていて、時々それを舐めていた。身体に害があるかもしれないからおすすめはしないが、しょっぱさと独特の味が癖になるのだ。)
私は紙を焼いてお米粒の形を作っていく作業を「野焼」と呼ぶことにした。
今日の日本では水田での稲作が主流だけれど、縄文時代晩期、最初にイネを栽培するようになった頃はどうやら焼畑によるものだったようだ。
焼畑とは、森を焼いて耕作地を作り、そこに籾種を撒き、雨が降り稲が育つ。森を焼いた養分で育つので、特に肥料を撒いたりもしない。数年して養分が少なくなるとまた別の場所へ移動し、焼いた森はその間にまた木々が育つ、というサイクルで、今でも東南アジアでは焼畑を行っているところがある。
火をつける行為が死や終わりではなく再生や始まりであるということにグッときた。
そして野焼作品は、光が差した時に落ちるお米粒の形の影(脱粒の現象と呼んでいます)それが、見られる時もあれば見られない時もある、というような展示の仕方をすることが多く、
常に同じ状態ではなかったり、ハッとする瞬間もあれば、いつもの光景、という状態もあって、というのがいいな、と思って展示している。
照明を当てて常に脱粒させることもできるけれど、何もない時間があってこそ美しく感じる瞬間が訪れるし、そう思うと何もない日常自体が美しいな、と思い至ったので、照明を使わない、大きな窓があるような空間を好んで展示している。
そして最近では意味を持たせて作品を作るというよりも、野焼の作業自体にしか意味はないなと感じるようになり、自由にできるようになってきた。
つまり、絵を描くとか、写真を撮る、みたいに、野焼ができるようになってきた。普通のことかもしれないけれど、ようやく私はそういうスタンスでお米にまつわる作品を、お米にまつわらずに制作できるようになった。
また、誰かに所有してもらうことが大切だとも考えるようになったのも野焼の作品「遍照」を制作してからで、この作品は大きなインスタレーション作品として展示した後に解体して、一枚一枚を販売した。
一つの灯火が種火となり、無数の灯火となるように、そして火をつける行為が再生、始まりであるように、私が完成させたことで終わるものでなく、サイクルの中にあって欲しいと思うようになった。
欲場
紙、インクジェットプリント、線香、金箔/2018
涙を流したらピントがあった
紙、インクジェットプリント、線香、金箔/2018
物恋
紙、インクジェットプリント、線香、金箔/2018
感情の所有
紙、インクジェットプリント、線香、金箔/2018
私には仏性がありますか
紙、インクジェットプリント、線香、金箔/2018
愛着
古書、インクジェットプリント、線香/2018
明日になったら気持ちが消える
紙、インクジェットプリント、線香、金箔/2018
今後の予定
「黄金町バザール2020-アーティストとコミュニティ 第一部」に参加しています。詳しくはこちらをご覧ください。
参加作品である「碗琴道」パフォーマンスのライブ配信についてはこちらをご覧ください。毎日Instagramで配信中。(アカウントkazusa_abe)
2021年1月9日〜横浜市民ギャラリーあざみ野「ショーケースギャラリー」にて展示があります。詳細はこちら。