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2F/当番ノート

多数決に殺された声たち

当番ノート 第52期

昔から、多数決なるものが嫌いだった。いつも自分が負けていたからかもしれない。何を提案しても、私の提案は通らない。何も、おもしろくなかった。それに、最初から反対していたことが多数決で決まって実行され、失敗すると、集団として自分もその責任を取らされるのが嫌だったのかもしれない。最初から、私は失敗するとわかっていたから反対したのに、みたいな感じ。

多分、自分のしたことで一人失敗して詰むなら納得いくんだ。強いられたものの責任を取らされるのだけは、納得いかない。

世のなかにはどうしても、数の少ない人たちがいる。男と女、なら半分ずつくらい数はいるかもしれないけど、どうしても少ない側ってぞんざいに扱われがちだ。多数決ってしくみは、その最たるものだと思う。

勿論、多数決っていうのは、議論を深めたあとにされるものだ。そういうことに、なっている。でも、実際はどうだろうか。議論も何もなく、はい多数決、多数派の勝ち、で少数派を殺していないだろうか。いや、殺していると思う。

じゃあ多数決じゃなくて何だったら納得するんだと問われれば、優秀で常に価値観をアップデートし続けるAIの支配とかが思い浮かんでしまう。危ういな。AI様の支配下に置かれるの、人類には実際快感なのかもしれない。難しいこと、何も考えなくていいもんね。それこそ、多数決に殺されている少数派の話とか。

多数決に殺された声たちを救い上げようとして、人間の尊厳を殺すしくみを考えたんじゃ意味がない気もするけどね。

多数派になれないなら、自分事じゃないことに関心をもってくれる人を増やさなければならない。現状、それしかやりようがない。

でもどうやって?

他人の抱える問題が自分の人生と地続きだと知らせるのは実はかなり困難だ。例えばアルビノの話をすると、アルビノに興味のある人が聞きに来てくれる。興味のない人は来ない。当たり前だ。トピックに興味があるから来るのだ。トピックに興味のない人に届かせるのは難しい。別の切り口を探して、そこから知ってもらう必要がある。

例えば、好きな文筆家がアルビノ、とか……? 私の文章からアルビノを知ってくれた方もいるから、その方向性は間違っていないのかな。いい文章を書けるように頑張ります。

雁屋優

雁屋優

文章を書いて息をしています。この梅の花を撮影したときの私は、ライターをやることを具体的に想像してはいなかった。そういうことに、惹かれる人。

Reviewed by
藤坂鹿

>昔から、多数決なるものが嫌いだった。いつも自分が負けていたからかもしれない。何を提案しても、私の提案は通らない。何も、おもしろくなかった。それに、最初から反対していたことが多数決で決まって実行され、失敗すると、集団として自分もその責任を取らされるのが嫌だったのかもしれない。最初から、私は失敗するとわかっていたから反対したのに、みたいな感じ。

この冒頭、首がもげるほどうなずいた。いや、うん、そう、そうなんですよ。なぜか、なぜかわたしの思いは通らない、却下される、挙句の果てにはつまらねえ帰結のしりぬぐいをさせられる。のがいやで、思いが受けとめられなかった段階でするっとその集団から抜け出しちゃうことさえある。するっとしれっと。

こちとら、好きで少数派をやっているわけじゃない。いいな、と思ったことに賛同すると、なぜかそれがだいたいの場合、少数派ということになっているんです。で、どうせこれは通らないのだろうな、とか、多数派になりそうなB案がぜんぜんおもしろくなさそうだと、あ、合わなさそうな人たちだな、この人らのしりぬぐいはいやだな、と思って、じゃあここにいる必要もないか、と、蜉蝣のようにフワフワ飛んでいってしまうんです。

少数の人たちを犠牲にすることで全体が幸福になる(だから少数派は黙殺されてしかるべし)という価値観があって、それゆえに殺された声の重みと、それゆえに叶った理想の華々しさ。特に先進国はそういう思想で発展してきましたものね。どう考えって後者のほうがわかりやすく、便利で、心地よいので、人はそちらに惹かれるのでしょうし、実際、その恩恵をわたしだって少なからず受けているだろうと思う。
でも、忘れんなよ、お前ら全員、次の瞬間、少数派になり得るんだからな。誰もが。誰もが!!!!
だから、殺しちゃダメなんです。少数派の声を。少数派の声を圧殺したそのプレッサー、あなたがその電源ボタンに手をかけた瞬間、少し空が翳りませんでしたか? それ、あなたの頭上にもあるんですよ。ねえ。

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