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2F/当番ノート

「わたしの外側」を忘れないで

当番ノート 第53期

6歳の娘がわたしの写真を撮っている。
わたしが、じゃない。娘が、だ。



「自分の外側」を、いつも鏡で見ている。
似顔絵にするには特徴の無いこの顔と32年間付き合ってきた。

正直言うと飽きもある。最近は加工可能なカメラアプリが主流になっていて、顔の形や瞳の色まで自由に変えられる。
どうやら人々はみんな、「どれが真実の自分か」に重きをおかなくなったようだ。

だから娘が突然自宅にあるカメラを持って「これどうやって使うの?」と尋ねてきた時は驚いた。
仕事で取材が絡む時にしか使わない、小さいけど重いカメラ。インタビューの仕事を離れてからの数ヶ月はインテリアと化していた。

「何を撮るん?」
「ママ」

嘘でしょ。マジやめて。化粧してないし今変な服だし。そう言いながらしぶしぶ一枚。
カシャッと音がして「わたしの外側」が切り取られた。


それは残酷な現実を焼きつけていた。
やっぱり20代の頃に比べて肌はくすんでるし顔も一回り大きくなった。いつの間に出現した小さなホクロや吹き出物も容赦なく、ほんとうに容赦なく映し出している。

けれどその表情は私が知っている自分とはまるで違っていた。


娘から見たわたしはこんなふうなんだろう。
わたしは、自分の母親が32歳だった頃の顔を覚えていない。
だからきっと娘も忘れてしまうんだろう。今の私を。


わたしはずっと、美しくなりたかった。
美しい人がうらやましかった。美しくあることが女性の「正しさ」だと思っていた。

けれど母親になった途端、沖に沖にと流されるように「正しさ」が遠のいていった。
ぱさぱさの髪の毛をいつも一つに結って、何年も前に買ったユニクロのズボンを履いて、でもまるでそれが「良いお母さんだね」と、新しい「正しさ」みたいに評価された。

カメラのレンズはいつも子供に向いていた。ネットショッピングの注文履歴も、子供服がずらっと並んだ。
100、110、120と数を重ねていくサイズと同じスピードで、年を取った。
あっという間だ。気づいたら6年経っていて、その間の自分の姿をほとんど覚えてない。

だからきっと娘も忘れてしまうんだろう。今の私を。

「ママ、撮ってあげる」

お願い。あなたが今見ている「わたしの外側」を、忘れないで。



2020年、大好きなWebメディア「アパートメント」に入居する運びとなりました。
10月、11月期の当番ノートを担当します。
決まってから今までの3ヶ月、冷めないカイロみたいにぽかぽかした嬉しさがずっと持続しています。

木曜日のこの部屋では週に1度、娘が撮ってくれた写真を載せて「わたしの外側」を記録しようと思います。
併せて、娘に伝えたい「わたしの内側」を文章にして綴っていこうと思います。
お付き合いくださると嬉しいです。


これはわたしがわたしを知るための試みです。
そして、抱きしめるとも肌を撫でるとも違う、ちょっと変わった愛し方です。

みくりや 佐代子

みくりや 佐代子

広島在住のライター・エッセイスト。「母親らしく」を諦めた二児の母。優しさと憂いをもって書きます。好きなもの先に食べる派。
【著書】あの子は「かわいい」をむしゃむしゃ食べる(Impress QuickBooks刊)

Reviewed by
terai.yusuke

子どもが生まれてから、使うことのないであろう(実際に使うことはなかった)機能が沢山搭載されたミラーレス一眼レフカメラが我が家にやってきて、
それはそのままデジタル置物と化し、iPhoneのカメラロールは子どもの姿でいっぱいになった。「いつか見返す日のために」という思いでデジカメを購入し、容量の大きいSDカードを選び、すぐいっぱいになるiPhoneのストレージに嫌気がさしてiCroudに契約しもした。でも、子どもの写真を見返すことは、ほとんどない。なにせ時間がない。物理的な問題だ。見返すことのない写真を撮る感触は、どことなくSNSで「いいね」を押す時に似ている。シャッターの機械音は、今が過去に変わる音だ。

「カメラのレンズはいつも子供に向いていた。ネットショッピングの注文履歴も、子供服がずらっと並んだ。
100、110、120と数を重ねていくサイズと同じスピードで、年を取った。
あっという間だ。気づいたら6年経っていて、その間の自分の姿をほとんど覚えてない。

だからきっと娘も忘れてしまうんだろう。今の私を。」

みくりやさんの書いたこの文章を読んで、子育て中の自分の記憶がすっぽり抜け落ちてることに気がついた。笑えるぐらい、何も覚えていない。子どものことも、自分のことも。子育て中の日常は激流のようだ。立ち止まって振り返る時間があるならば、それを記憶に止めておくだけの余裕があるならば、誰も好き好んでこの輝かしい瞬間を手放したりはしない。でも、それができない。それぐらいいっぱいいっぱいで「今」しかないのが子育てだ。

子どももまた、大人とは違った理由で「今」だけを見ている。眼に映るあらゆるもの眩いのだろう。
だからみくりやさんの「娘」さんはなんてことのない「私」にさえカメラを向ける。
子どもの眼に写る親の姿は、おそらく平凡なものだ。決して、上手な写真でもない。それでも、カメラロールに堆積したどの写真よりもずっと正確な「育児記録」であることは間違いない。

6歳の「娘」が撮る「私」の写真による家族の記録。10月の当番ノート、みくりや 佐代子さんの連載が始まります。

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