入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

サンタチキン

当番ノート 第54期

12月も後半である。街路樹は煌びやかなイルミネーションで彩られ、あらゆる場所で赤と緑の装飾品が目に入る。無宗教である私も、このお祭り騒ぎみたいな雰囲気に浮き足立ち、購買意欲を煽られ、にんまりしながらショーウィンドウを覗き込んでしまう。年末のご褒美として自分に何かを買ってもいいが、どちらかと言えば、親しい人たちに何かを贈りたい気持ちにさせられる。ふと、それが増幅し、サンタさんになりたい、という大仰な理想が私の脳裏をよぎった。私は、子どもや、助けが必要な人のところに何かを施しにやってくる善良な妖怪のようなもの、と割とオカルト枠でサンタの存在を信じている。信じることで自分の広範囲への無力さを軽減している節はある。しかし、サンタを自称して、自分が可能な範囲で何かを施すのは悪いことではない。ショッピングモールを徘徊していた私は、気付けば、雑貨屋や惣菜屋を通り過ぎ、肉屋で骨付き鶏モモ肉を2キロ買っていた。丁度会合に呼ばれていたため、チキンカレーを作ってついでに近隣の友人に押しつける、小規模なサンタになることに決めたのであった。

「チキンカレー」と一口に言っても、それはインドでは「鶏肉料理」みたいなもので、各地にいろんな鶏肉とスパイスを合わせたレシピが存在する。鶏肉とスパイスを炒めあわせたもの、ナッツや生クリームなどの贅沢なグレイビーのもの、炒めたココナッツと共に鶏肉を煮たもの、肉というよりシャバシャバした汁状のもの。しかし、こと日本で「チキンカレー」と言われると、うまみがあって、肉がほろほろで、とろっとした汁で、お米に合うものを想像する人が多いだろう。「チキンカレー作ったよ!」と言われてフレイバー付きの唐揚げが出てくると、インド料理に詳しくない人は「想像とちょっと違ったな・・・おいしいけどな・・・」と少し複雑な気持ちになるかもしれない。今回は、日本人が「チキンカレー」と聞いて想像する範疇から外れないチキンカレーを作ることにした。多数が集まる際には、ネーミングから逸脱しないものを作る方がショックが少なく喜んでもらえるだろう。逆に言えば、私の同居人はインド料理が好きでないので、「今日は天ぷらだよ」と騙してパコーラー(インド風スパイシーフライ)を出したり、「きなこ棒みたいなお菓子だよ」と言ってラドゥ(インドのお供え物菓子)を出したりする。

フライパンを2本出して、玉ねぎを炒め始める。玉ねぎの一片一片がじんわりと油を纏って、白色だった玉ねぎが透明へ、きつね色へ、茶色へ、深い茶色へ、とゆっくり変化していく。カレーを作っていると、「玉ねぎをじっくり炒めるのは大変じゃないか」と言われることはある。ものによってはきつね色程度で止めるのもあるが、あめ色まで炒めるときも、これくらいの量なら苦ではない。玉ねぎの様子を観察しながら、ひたすら木べらで鍋の中身を混ぜる単純労働をしていると、むしろ不思議と心が落ち着いてくるのだ。パスタを茹でている村上春樹の小説の登場人物。1日の終わりに洗い物を自分でやることを趣味としていたビル・ゲイツ。自分から恐ろしく遠いところにいる彼らだが、もしどこかの岐路を違えれば、玉ねぎ炒めをしていたかもしれない。

しかし、私の作業の優雅さは続かない。買い物に不足があり、たまたま来ていた友人を買出しに行かせる。作ったら食べていきなよ、サンタさんだからな!とまったり作業をしていた1時間前が嘘のようである。また、ガラムマサラの元となるホールスパイスをミルで挽く作業を同居人に命じ、シナモンを完膚無きまでに砕いて欲しいとケチをつける。さらに、作業中の別容器にシナモンが混入しているではないか、いやそこには入れていない、いやでもこの香り、ペロッ、明らかにシナモンじゃないか!と小競り合いを起こす。何が慈愛あふれるサンタなのだろう。いや、サンタのおもちゃ工場でもこういったことは起こっているのかもしれない。なんにせよ、善意で手伝ってくれている人たちに対してなかなかの暴挙である。いつも通りどたばたしているうちに、炊飯器からスパイスとターメリックの香りが立ち上り、部屋に充満していく。なんとかチキンカレーも完成した。ライスと、少しの野菜の付け合せと共にチキンカレーを盛り付けて出すと、みな5分くらいでぺろりと食べ終わってくれた。おいしくできていたようで、一安心である。ちなみにこのカレーを別の友人に出した際には、その中毒性から何かしらかの非合法成分が入っていることをも疑われた。自分でやっといて何だが鉄板でおいしいカレーである。一番凄いのは、私の腕でもまあまあ再現できるような珠玉のレシピを作った方であるが。

作ったカレーを容器に詰め、近所の友人宅にデリバリーをしに行く。冷凍していた別のチキンカレーもつけた。渡し終わったその足で、違う友人宅で行われる会合に乗り入れる。生牡蠣を発注し、後は適当に各々飲食物を持ち寄る会だったので、ここにカレーでいいのかと一抹の不安を抱いていたが、皆予期していたようでほっとした。楽しく集まって食べるごはんがおいしいのは言うまでもないが、加えて存在を認められたようで嬉しい日であった。自分がやりたいことと、人から求められていることが合致することはあまりない。手伝ってくれた友人や同居人らにも最大の感謝を送りたい。今回は、サンタにしてはちょっと小じんまりしすぎているかもしれないが、無理の無い範囲で細々とやっていきたいと思う。

そんな思いを胸に、帰路についた。外気温は2度、張り詰めた冬の深夜の空気が顔や指先を叩いていく。住宅街ではあるが、通りは人っ子一人歩いていない。地図アプリから顔を前に向けると、やおら、異様な雰囲気を発する家が出現した。車が一台通れるかどうかくらいの幅の小路の両側に、壁からカーブミラーから何からべたべたと無数の反射板がへばりつけられて蛍光黄色に光っている。どこまで私有地なのかは分からないが、古めの大きな民家を基点としているようだ。道にせり出すように青いプラスチックのごみ箱や、壁掛け時計や、生活雑貨が置かれている。それらにもほぼほぼ反射板が取り付けられていて、闇夜に無数の目が光っているようだった。さらに何枚もの姿見が街灯の光を受けて瞬き、私をじろりと睨み付ける。今まで感じたことが無いくらい雰囲気が重い。地図上では、ここを通らざるを得ないルートになっているため、私はその30メートル程度の小路を息を止めて競歩のような足取りで完走した。通り過ぎてからも、何かに見られているような切迫した気持ちで鼓動が早かった。帰宅して落ち着いて考えると、人が住んでいるかもしれないのに、まこと失礼なことを考えたものだと思う。ただ見られている「ように感じる」というだけでお化け屋敷のような扱いをして、被害者意識も甚だしい。スパイス臭いチキン野郎である私も、もしかすると広義ではチキンカレーなのかもしれない。善良なサンタのつもりだったが、蓋を開ければただのチキンカレーをあげるチキンカレーだった。

友人に聞くと、この家にはどうやら複数台の監視カメラも設置されているらしい。どうかこの家に、本物の善良なサンタが来て、史上初・サンタの姿をカメラが捕らえた!という未来があってほしいと願う。

たお

たお

カレー、インド料理を作っています。
「なんか好きだけどよくわかんないなー何が正解なんだ?」ともやもやするものに出会うことに大いなる喜びを感じます。
イラストや漫画も描きます。猫が好き。

Reviewed by
虫賀 幹華

クリスマスといえばチキン。だからサンタになってチキンカレーを届けようという発想に至る人はあまりいないと思うのだけれど、届けた先のご友人たちはたおさんがカレーを作ってくることを予期していたという。仲間にわかってもらっているたおさんも、もちろん美味しいチキンカレーを食べられる友人たちも、本当に羨ましいと感じた。
ところでこれまで4回の記事を読ませていただいて、「サンタ」になろうとなかろうと、依頼されようとされまいと、ベストのカレーを作りふるまうことに対するたおさんの情熱(執着?)の源は何なのだろうと思わずにはいられない。今回それを最も感じたのは、シナモンを「完膚無きまでに砕く」ことを同居人の方にお願いしていたところである。たおさんが自分で納得するためには、シナモンは完膚無きまでに砕かれていなければならないのだなと。今回の「サンタだから」というのは逆に、チキンカレーをおいしく作って人に食べさせたいという純粋な願望を叶えるための言い訳になっているようにすら感じたのは私だけだろうか?

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る