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2F/当番ノート

地面と命:Air on the 地 string

当番ノート 第56期

この「Air」は、「エアー」じゃなくて「アリア」である。さて、エヴァにちなんでタイトルを付け続けているが、今回ばかりは特に何の意味もない。何も考えずに、タイトルだけを決めてしまった。後付け、コジツケ、なんとか。アリア、すなわち「G線上のアリア」である。G、すなわち「Ground」である。「地上のアリア」である。早速、何を言っているのだろうか。

少々血迷っているが、グラウンド上のアリアなので、無理やり解釈して地上に描かれた芸術の話でもしようかしら。地上に描かれた芸術だからアレです、地上絵とか。後付け、無理矢理、やりたい放題。ご愛嬌。ということで、地上絵の話から始めましょう(ちゃんと話が続くのかしら)。

さて、このネコちゃんを覚えているだろうか。2020年の秋頃、新たに発見されたナスカの地上絵「古代ネコ」である。

新たに発見された地上絵、ゆる「古代ネコ」
参照:AFB News「ナスカ近くでネコ科動物の地上絵発見、ペルー文化省」 https://www.afpbb.com/articles/-/3311021

その、ゆるキャラ加減で人気に火が付き、SNSで話題を集めたこのネコ。もちろん、地面愛好家の私もこの可愛さに悶えた。Tシャツにプリントしたい。

ところで、ナスカの地上絵にはこのカワイイ古代ネコの他にも、ゆるキャラたちがいることをご存知だろうか。

ナスカのコイツは、「巨人」なのか「宇宙人」なのか
参照:Wikipedia「ナスカの地上絵」
Raymond Ostertag – photo taken by you, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2864800による

コイツは出典先によって「巨人」だったり「宇宙人」だったりする。解釈の揺れである。実は「古代ネコ」にも多少の揺れがあり、それゆえ先のニュースにおいては「ネコ科動物」と表現し、ボカしている。

この「解釈の揺れ」は、「地面のファン」にとって最も重要なキーワードの一つである。「地面のファン」の本質とは、落とし物やごみに命を感じることと書いたが、この「解釈の揺れ」もまた「地面のファン」の本質なのである。落とし物やごみの写真を一枚取り上げると、人によって解釈が変わる。汚いと思う人がいれば、カワイイと思う人もいる。

以前、地面に感じる命とは、神社の「きつね様」のような物と書いた。この「解釈の揺れ」が生じるという点では少し話が変わる。神社の「きつね様」を見た時は「きつね様」であるとしか認識しないだろう。ネコかもな、と思うのはちょっとズレている。理由は簡単で、単純にそれが「きつね様」として作られているからである。最初から何を作るか決めていて、それが形作られて、これは「きつね様」ですと伝承されて、その神社にいる。解釈の余地はない。間違いなく「きつね様」なのである(ちなみによく聞く「お稲荷さん」は「稲荷大神様」の眷族である白狐。「お使い」である)。

ナスカの地上絵の場合も、本来は何を書いたのかという事実があって、それをもとに形作られているはずである。しかし、「伝承」がない。何なのか伝えられないまんまに時空を超えたネコ(仮)だから、本当は何者なのか誰も知らないのである。それゆえ愛されるのだ、自分の好き勝手な解釈の余地がある物だから。
(ちゃんと話が続いて安心しています)

悪さをして石に変えられてしまったトラ

地面には、自然に運ばれた物、無意識で落とされた・失くされた物が溢れている。解釈は自分次第である。木の周りを回ってバターになるトラがいるんだから、石になるトラがいてもオッケーでしょう。というか、「石に変えられたトラ」的な伝承はいくらでもありそうだが。 あるんだろうか。

命を感じることは「ゆるキャラの発掘」であり「解釈の揺れ」である。この「ゆるキャラ」と「解釈」は、「自然」と「人間」による「自然な」または「意図的な」干渉によって生まれる。「地面と命」、話が整理され始めている。地面下痢音とか、言っている場合ではない(第一回を参照)。

さて、次回もサービスサービスぅ。

フチダフチコ

フチダフチコ

中野区在住ライター。落とし物・ごみ写真投稿コミュニティ「地面のファン」管理人。がん患者。エッセイ「カルピスソーダ光る夜まで」。

Reviewed by
安部 寿紗

いつも何の気もつかわずに(つかえよ、、、)ペラペラとどうでもいいことをレビューで書いているのですが、今回はかれこれ数時間、一文字も書けずに、次の日に持ち越してまた一時間経過、今に至ります。どうやら文章の書き方を忘れたようなので、初心に帰って小学校でやっていた読書感想文を思い出して書きたいと思います。

「Air on the 地 string」を読んで



わたしは「Air on the 地 string」を読んで、とても面白かったです。
わたしはナスカの地上絵のネコの絵を見て、とても不思議に思いました。
一体どうやって描いたら、1000年も2000年も前に描いた絵が風化せずに残るのだろう。
不思議に思ったのでググってみました。そこには、大切なのは技術ではなく、意思だと書いていました。
なるほど。確かに。こんなにも大きな絵を描くには、大きい絵を完成させるぞという意思と、その意思に賛同する人々とによって芽生える団結力がなければ、完成させることは不可能だろうな、と思いました。
それから、数千年も後に見た人がすごいと思うことがすごいと思いました。まるで気持ちが、そのままワープしてきたみたいだと思いました。
ナスカの地上絵を描いた人がどんなことを思って作ったのかは、100%はわからないかもしれないけれど、当時の人も今の人も、「すごい」と同じ気持ちを感じたと思います。
それから、地面のファンの人たちが、同じ落とし物やごみの写真を見ても、汚いと思ったりカワイイと思ったりするのがいいなと思いました。
わたしが「意図的」に作ものも、汚いとかカワイイとかいろんな人がいろんな気持ちになってくれたらいいなと思いました。
そうしてわたしのことを全人類が忘れた時代に、それを見て「すごい」と思ったらいいと思いました。
その時にはもしかして、「すごい」と思うのは人ではないかもしれません。人はもう空気とか地面の一部分になっていて、石とか木とか猫とかが「すごい」と思っていたらいいなと思いました。


おしまい。

ものすごくワカランことになってすみません、、、。
「地面と命」次回も楽しみです!

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