「使徒、襲来」を捩り、「最後のシ者」を捩り、前回は無理矢理「Air」を捩った。エヴァをネタにして書き始めたのに、緊急事態宣言によって全国の映画館は閉館し、この「地面の命」が一人歩きし始めている。果たして、この状況下でまだエヴァを捩って遊ぶ意味があるのか。甚だ疑問である。
今回は「まごころを、君に」。遂に、捩るのを諦めた。テレビアニメ版の続編である映画のタイトルで、最終話としての位置付けである。「地面と命」はまだ終わりではないが。
「まごころ」。地面には命があるのだ、と散々妄言を吐いているが、遂に「こころ」と言い始めた。しかし、意外と「命」の話よりも「こころ」の話の方が理解しやすいとも思う。まずは、この写真から。
何の変哲もない落とし物である。電車のカード。食玩だろうか。子どもが落とした物と思われる。実はこの地面、いつもの写真とは少し違う所がある。一段、高いのだ。
最初に落とされた時にこのレンガの上に着地したという可能性もあるが、恐らく誰かの介入によって、レンガの上に避難させられたのである。こんな風景、誰もが見たことあるのではないだろうか。
以前、「自然」または「人間」が、「自然に」または「意図的に」関わることで地面から得られる情報が変化することを伝えた。この写真は、「人間」が主体となる。「自然に」落としてしまったのか、「意図的に」捨てたのかは、知る由もない。
この地面にはもう一つの主体がある(その可能性がある。レンガの上に落とした/捨てた、などの可能性を除けば)。一段階上のレンガに上に避難させた人、それがもう一つの主体だ。避難させる、汚れないように、持ち主が見付けられるように…「人間」が「意図的に」干渉することで変化する地面。「命」を感じる地面に、「こころ」が交わって新たな地面へと変貌させるのである。前回の最後で紹介した「並ぶ空き缶」の写真も同様。これらの地面には、「まごころを、君に」の精神が宿っているのである。
誰もが見る、自然な風景。だから、「命」よりも「こころ」の方が理解しやすいかもしれない。
落とし物やごみへの干渉とはまた違うカテゴリではあるが、「こころ」を感じる地面をもう一つ紹介する。
以前、WEBマガジン「サンポー」での連載「地面のマガジン」の記事『落とし物・ごみを撮り続けた2020年、その「地面」からコロナ禍を読み解く』の中で紹介した写真。 ごみの回収業者へ向けられた「THANK YOU」の文字である。「こころ」を、見えないウイルスと闘う人たちに。「まごころを、君に」を感じさせる、そんな一枚だった。
コロナ禍を受けて、地面には人の動きを整理するための矢印や、立ち入り禁止を示すためのテープが見られた。人の動きが制限された世界から落とし物やごみが消え、「地面のファン」の活動も危ぶまれた(実際は、コロナ禍ならではの写真が多く集まったのだが)。
そんな中で撮れたこの写真。ごみ。しかし、「こころ」を添えて。「人間」が「意図的に」干渉することで生まれる、「まごころを、君に」な地面である。
「命」、そして「こころ」。地面には、得体の知れない何かが宿っている。それを「宗教」とか「信仰」とか、そういった視点で読み解こうという企画が、この「地面と命」だったはず。最初は偶像崇拝とかアニミズムとか、そんな話から始まったのに、ここまで書き続けて辿り着いたのは「人間」の話だった。
次回、「シン・地面のファン」。サービスサービスぅ。