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2F/当番ノート

凪子#6

当番ノート 第56期

 僕の中にあるのは、凪子の思い出なのです。
 凪子はときどき、写真を撮ります。彼女は使い捨てのフィルムカメラを持っていて(要するに、それが僕なのですが)、そのカメラをいつも持ち歩いているのです。使い捨てカメラはすごいです。フィルムというだけで味が出るので、凪子のようなド素人が撮影しても、それなりに趣のある素敵な写真になってしまうのです。例えば、日陰だったり、逆光だったり、室内だったりで被写体を撮る場合には、ストロボを使って撮影しなければ被写体は綺麗に写らないのですが、凪子はよく、このストロボを使い忘れたまま撮影してしまいます。にもかかわらず、案外、ストロボ無しで撮影したものの方が、味があったりするのです。フィルムの魔力、とでも言いましょうか。とにかく、使い捨てカメラはすごいのです。

         ○

 凪子はよく、人を撮ります。例えば、友達の麻衣。麻衣が、高校の屋上で、フェンス越しに街を見渡している、その後ろ姿を撮影した写真があります。こちらの写真も逆光で、正直、被写体が麻衣なのかも判別できないくらいなのですが、写真としてはとても美しく、つい見とれてしまうような出来になっています。美しい上に、この写真には、凪子の、麻衣に対する愛情のようなものがにじみ出ているのです。凪子は麻衣のことを、本当に大切に思っていたのかもしれません。だからきっと、彼女と絶交されたときは、悲しかったでしょう。
 凪子は、不器用なのです。大切なものを、どうしてか、自分の手で壊してしまうのです。何も守れずに、ただ、失っていくのです。弱い人間なのです。

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 凪子が写真に収めた人物は、もう一人います。彼氏のナラザキです。この写真が僕は一番好きなのですが、何処が良いのかといえば、やはり、ナラザキの眼から溢れ出る凪子への憧れが、切ないくらいにはっきりと映し出されているところでしょう。この写真は、凪子とナラザキが公園でデートしているときに撮られたもの。写真の中のナラザキはベンチに座っています。ナラザキの眼は、しっかりと凪子を見つめていて、けれども、彼に情熱的に見つめられている凪子は、カメラのファインダー越しにナラザキを見ていて。二人はカメラのレンズ越しに眼が合うのです。まるで、平安時代のお見合いのように、男からは女の姿が見えないのです。なんだか切なくないでしょうか。僕は切ないです。

         ○

 僕にはフィルムが27枚分入っているのですが、凪子が撮った27枚目の写真は、近所の児童公園のブランコの写真でした。それは深夜に撮影されたもので、何を写したかったのか、そもそも、どうして深夜の公園に行ったのか、何がしたかったのか、全てがよくわからない、謎の写真なのです。夜間に撮影したこともあって、なんだか、心霊写真のようにすら見えます。もしかして、じっと眺めていたら、このブランコに幽霊が乗っているのが見えたりして。と思えるような出来なのです。
 けれども僕は、これこそが、凪子の真髄なのだと思います。真夜中。真っ暗で、少し肌寒い真夜中に、空っぽのブランコが、物寂しく揺れている。それが、凪子の真髄なのだと、僕は思います。

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 僕の最後はあっさりしたものでした。使い捨てカメラの捨てられる瞬間というのは、当然、あっさりしています。
「こちらどうされますか?」と現像したカメラショップの店員が聞くと、
「処分してください」と凪子が答えました。
 僕は凪子に捨てられました。

七瀬 薫

七瀬 薫

大学生。
小説家。

Reviewed by
マスブチ ミナコ

凪子のことがわかるようでわからない。美しくて、でも不思議で。
わたしは凪子が憧れのお姉さんかのように、いつもどきどきしてここに来る。
毎週金曜日だけ近所でお弁当を販売しているお姉さん。
他の曜日にも凪子の姿を見ることができるのかもしれない。だけど、なんだか妙に勿体なくて、金曜日だけに来るのだ。
お弁当を買うやりとりをしたらすぐに凪子の目は他の場所に行ってしまうのに。

七瀬さんの部屋、つまりわたしにとっては凪子に会える部屋から帰り道を歩く。
わたしのことも「僕」を使って撮って欲しいなあなんて思うけれど、凪子の手元にはもう僕はいないらしい。
それに、もし凪子が新しい使い捨てカメラを買ったとしても、凪子は本当に近しい人しか撮らないだろう。

友達の麻衣、彼氏のナラザキ。

「僕」は凪子が大切な人たちを撮る様子や、その写真から凪子のことを教えてくれる。
凪子は、不器用なのです。大切なものを、どうしてか、自分の手で壊してしまうのです。
どうして壊してしまうんだろう、と思いながら、でもどこかで分かるような気持ちになってしまうわたしがいる。

そんな凪子の真髄は「真夜中」らしい。
真っ暗で、少し肌寒い真夜中に物寂しく揺れているブランコは、2つある。
凪子はそこに座りたいけど、座れないんだろうか。
もし座れたら、誰と座りたいんだろうか。
それとも1人でゆらゆら揺れていたいんだろうか。
わたしは、凪子にそよぐ風のような誰かがいてくれたらいいのに、と、
冷めてしまったお弁当のシューマイを頬張って、凪子を思った。

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