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かさねのせかい はざまのものたち

かさねのせかい はざまのものたち

はざまのものたちは かさねのせかいのうすい膜を けっして穿つことはない
かれらは 輪郭など もたないものたちだから
いくつもの層を すがたを変えながら 緩々と 行き来しては  
いろとりどりのタネをあつめる

そして あつめたタネを ヒトに蒔きにやってくるのだ

古林 希望

古林 希望

絵描き

私が作品を制作するあたって 
もっとも意識しているのは「重なり」の作業です。

鉛筆で点を打ったモノクロの世界、意識と無意識の間で滲み 撥ね 広がっていく色彩の世界、破いて捲った和紙の穴が膨らみ交差する世界、上辺を金色の連なりが交差し 漂う それぞれテクスチャの違う世界が表からも裏からも幾重にも重なり、層となり、ひとつの作品を形作っています。

私たちはみんな同じひとつの人間という「もの」であるにすぎず、表面から見えるものはさほどの違いはありません。
「個」の存在に導くのは 私たちひとりひとりが経験してきた数え切れない「こと」を「あいだ」がつなぎ 内包し 重なりあうことで「個」の存在が導かれるのだと思います。

私の作品は一本の木のようなものです。
ただし木の幹の太さや 生い茂る緑 そこに集う鳥たちを見てほしいのではありません。その木の年輪を、木の内側の重なりを感じて欲しいのです。

Reviewed by
マスブチ ミナコ

ヒトはみな「はざまのものたち」からタネをもらっているのではないかと思う
本人が気づいているせよ 気づいていないにせよ
そのタネが芽吹かろうと、そっと一緒に生きていようと

こういう言い回しをするとすぐに何かの能力や、資質のような、特別なものと思われがちな気がする
わたしも「はざまのものたち」のことはよく知らない
でも紫陽花のように、少し薄暗い画面にふわりと開く彼らは花みたいだと思った

小さな頃、雨の振り始めに友達よりも早く気づくことがよくあった
あれは一つの「タネ」だったのかなあと思う
「はざまのものたち」の遊び心なのか、手に持ち切れなくなったタネを落としたのか
今となってはわからないけれど

左下の 深海みたいな黒が美しい場所に行ってみたい
どんなタネを持っているのか
そこまで辿り着けもしないかもしれないけれど
よく目を凝らすと、鮮やかな色もたくさん使われている。きっとその日、その時の気分で選ぶものも変わるんでしょう

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