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3F/長期滞在者&more

あいあむのっとりりじゃす。

長期滞在者

毎朝7時半から近所のプールで泳ぐのを日課にしているのだが、最近、疲れがたまってきたのか、泳ぐ事にすら集中できなくなっていて困っていたのだが、泳ぎながらふと思って「南無妙法蓮華経」をアタマの中でエンドレスループさせてみたら、結構テンポがキマってきて延々泳いでいられた。ちなみにぼくは日蓮宗の檀家でも創価学会員でもなんでもないのだが、般若心経の「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそーぎゃーてーぼーじーそわかー」と同じく「なんみょーほーれんげーきょー」は繰り返してるとなんだか勢いが出てくるので、ここぞというときに使うのである。「南無阿弥陀仏」もかなり好みなのだけど「なんまいだーなんまいだー」は短調な感じなので、どうも気分を高揚させたいときには向いていないような気がする。いや、しかし、一向一揆の門徒衆の例もあるし、「なんまいだ」だって気持ちの持ちよう次第なのかもしれない。今度試してみよう。

ここのところ本当に活字を読むという事をしていないので、久しぶりにちゃんとした本を読みたいなあと思い、中公バックスの「日本の名著(43)清沢満之/鈴木大拙」を引っ張りだして拾い読みしてみる。拾い読みを始めてすぐに『日本的霊性』はもう一度最初っから読み通さなきゃダメだな、と感じたのでその最初のページに戻ったら地下鉄が目的地に着いてしまったので、しばしお預けとなった。

目的地の駅はサン・ギドという聖人の名前がついているのだけど、理由を知らない。というか、サン・ギドって誰だっけ?というレベルである。あとでうちに帰ったら中世宗教史かなんかを繙いてみる事にしようと思いながら、その日の最終目的地でもあり、毎日のように通っている芸術アカデミーでろくろを曳いていたらそんな事はすっかり忘れていた。

帰りがけの地下鉄で、『日本的霊性』を冒頭から読もうと思って本を開いたら、後半にある「金剛経」についての下りが目に留まったので、ついついそこを読み始めてしまった。なんでも禅仏教の根幹になる、般若経の中に納められているらしいのだけど、その冒頭でいきなり「仏は波羅蜜多を説く。が、すなわちそれは波羅蜜多ではない。ということによりそれは波羅蜜多である。」という始まり方をするらしい。読む方が「なんなのそれありえなくない?」みたいな反応をしてしまいそうな、こういうのは格好がいいなあ、と思いながら思い出したのは(悲しいかな)『魔法少女まどか・マギカ』の第一話だった。

ところでベルギーは今週から復活祭休暇である。学校なんかはこれから2週間も休みになる。なので芸術アカデミーの方も休みになってしまい、何の予定も立てていなかったので、ちょっと途方に暮れかかっていたりするのだが、自分のちっちゃなアトリエにこもって久しぶりに茶碗を作りまくる事にした。茶碗と言えば、長次郎であり織部であり光悦なのだけど、長次郎は利休の注文に応じて作ってたわけなので禅的といっていいだろうし、光悦は法華衆だったので法華的。で、織部ってなんなんだろう、と結構良く考えない事もない。頻繁に参禅してたらしいけどもどうなんだろう。織部キリシタン説もあるらしいけど、もしそうだったら面白い。あのありえないくらいのモダンな感覚を考えるとあり得なくもないなあ、と思う。出雲阿国キリシタン説もあるらしいけど、これもそうだったらかなり面白い。歌舞伎の起源がキリスト教とかってことになったらあれこれ大騒ぎになるだろうし。

あ、そういえば、大学生の頃、確か吉祥寺の辺りを当てもなくぶらぶらしてたら、中年のおばちゃんに、あなたキリスト教に興味ある?とか訊かれて、興味はあったので、あります、と答えたらそのまま近くの教会に連れて行かれて、そこで洗礼を受けたのを、今急に思い出した。白衣に着替えさせられて、プールに入る前に入る消毒槽みたいなのにつれていかれて、わけのわからないうちに、牧師だか神父だかわからないけど、そういう人に頭を抑えられてざぶんと体ごとその消毒槽に浸されたので、たぶんあれは洗礼だったのだろう。その教会にはそれ以来行っていないから、自分のキリスト教的立ち位置は未だ不明瞭だ。

吉祥寺ついでに書いておくと、そういえば、井の頭公演のすぐわきにある神社にも通っていた事があって、そこの瞑想道場で鍛えられてたこともあった。なんでそういうところにかよってたかといえば、そういえば、一時期阿含宗に通ってた事があって、そこで何やら行き詰まった感にとらわれたので、宗旨変更というか気分転換というかで、そこに相談に行ったのがきっかけだったのだった。確か。

ちなみに、日本で一番好きな宗教施設の一つが代々木上原にあるモスクだ。友人のイスラム教徒の女子と時々デートがてらお邪魔するのだが、むっちゃちゃんとしっかりしたモスクで、中にいてゴロゴロさせてもらうとやたら癒される気がする。あそこに行く度に、やっぱイスラム教徒になろうかなあ、とか思うのだけど、こういう宗教的優柔不断きわまりない不信心ものは、アラーが許してくれないんだろう、未だ入信はしていない。

ということで今日から茶碗作りである。初心に戻るつもりで、手捏ね、手捻り、紐作り、あれこれやってみよう。ものやことを作るってのがまあ、おれの宗教みたいなもんなのかな。

ひだま こーし

ひだま こーし

岡山市出身。ブリュッセルに在住カレコレ24年。
ふと気がついたらやきもの屋になってたw

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