7月いっぱい、長い休暇を取った。
せっかくなので、南へ向かった。
まずはカナリア諸島に飛んでビーチで日がな一日のんびりと波と戯れ、
そこから地中海に戻って、
以前から行ってみたかったマルタ島で銀細工の職人技を見学し、
そこからやきもので有名なジェンバというアルジェリアの島で
リサーチがてら海の青さに身も心もデトックスな数日を過ごし、
そこからマダガスカル島へ飛んで
バオバブの大木を見上げながらワオキツネザルと戯れ、
そこから北に戻りながらシシリア島に立ち寄って腹一杯魚介類を食べてから、
ブリュッセルに戻ってきた。
というような旅をいつかはしてみたいのだけど、
そこまでの予算は到底なかったので、
今回はフランスのトゥルーズに12日ほど滞在した。
去年も数日だけ立ち寄ったのだけど、
トゥルーズは舞台の仕事で今までに何度も訪れたことのある
フランスの中では最も好きな街だ。気候が温暖で食べ物がうまい。
何となく気心がしれた感じのある街なので、
夏らしい太陽のもとで何をするでもなく
のんびりと過ごすには良いんじゃないかと選んだ。
今回は長めの滞在なのでレンタカーを借りた。
カーナビで調べたら、アルビという町が
トゥルーズから車で50分くらいで行けるということだったので、
車を借りたその足で試し運転がてら行ってみた。
全くリサーチもせず、なので全く期待するところもなく、
ただホテルに置いてあったパンフレットでちらっとみた名前を覚えていたから
という理由だけで向かってみたのだけど、中世からの街並みや遺物が残る
小さい町ながら見目麗しく、歴史的にも興味深いところだった。
キリスト教カタリ派の本拠地だったアルビには、
12世紀前後に作られた建築物がまだいくつも残っているのだけど、
中でも13世紀終わりから2世紀をかけて作られたという
サント=セシル大聖堂が圧倒的にすごかった。
この数週間前に訪れた理性と崇高さと敬虔さが荘厳された感じの
リヨンのフルヴィエール大聖堂も素晴らしかったけど、
このサント=セシル大聖堂の場合はそういうものを超えて
ある種の狂気を感じさせる程の凄みがあった。
ゴシックの極み。
さらに中庭とその周りの回廊から見渡せるタルン川と
それを隔てた向こう側の景色は嘘くさいくらい綺麗だった。
数日後には13世紀の城塞が残るカルカソンヌに行った。
城塞といっても、街が丸ごと組み込まれていて、バジリカ様式の聖堂まである、
ロードオブザリングに出てきそうな城塞都市の遺構で
ここもまたカタリ派と関係が深いらしい。
遺構といっても、城塞内部の建物はほとんど観光施設や
観光客相手の土産物屋やカフェ、レストランとして使われているので、
まったく現役の建造物だ。
これだけの規模の堅牢な建造物を見て、
アルビのサント=セシル大聖堂の壮大さなんかも考え併せただけでも、
カタリ派がどれほど勢力を持っていたのか、
それと同時に、キリスト教の正統派からは相当な弾圧を受けていたんだろうなあ、
ということが想像できる。
実際、カタリ派に対しては(一応同じキリスト教ではあるのに)
何度か十字軍が差し向けられたらしいし。
ぼくが本拠地にしていたトゥルーズもカタリ派は多かったらしい。
カタリ派というのはかなり広範囲に広まっていたらしいけど、
やっぱり正統派から見るとかなり異端だったらしい。
この辺りのことについて、ちょうどいい本が手元にあったので
久しぶりにちゃんと引用してみることにする。
「カタリ派は11世紀後半、バルカン半島とビザンティン帝国で広
がっていたボゴミル派の運動から分かれて、十二・十三世紀にイタ
リア、南フランス、ラインラントに進出してきたものである。彼ら
は「完徳者」として、厳密に組織された教団において、特に十二世
紀後半以降のフランスでは、神と悪魔を独立した二つの根源的勢力
とする極端な二元論を取り、悪魔を地上の支配者と旧約の神とみな
し、そのために性的交渉や肉食及び手仕事を断念することになった。
カタリ派によれば、キリストは、人間の強化のために神から遣わさ
れた天使に過ぎないのであり、その使命は、地上へ堕落した先在す
る魂を救済に導くことである。正統教会はもとより、一般信徒によ
る基本的には正統的な信心運動であった南イタリアの謙遜派やフラ
ンスのヴァルド派などの巡回説教師もまた、カタリ派のこうした神
話的・マニ教的傾向には反対している。」
クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』平凡社 より
……っていかこれ、キリスト教の一派だと思ってる方がおかしいような気もするなw
異教の匂いがしすぎだろ。というかほとんど異教徒と思われてたんだろうな。
そういえば、トゥルーズにしてもアルビにしても
黒いマリア像を祀ってあるところが必ずあるんだけど、
ブラックマリア信仰も異端の匂いがするし、
カタリ派と何か関係があるんだろうか?
貨幣システムの専門家、ベルナール・リエターの『マネー』によると、
黒聖母信仰はロマネスク美術の期間にだけに、
エジプトのイシス信仰を源流に持ちながら現れたものらしい。
ロマネスク美術は大体十一、十二世紀のものだろうから、
カタリ派が活発だった時期とも重なる。
むむ。なんか面白くなってきたな…
ま、ともかく、トゥルーズ近隣は異端でいっぱいだったということで
この街を好ましく思うのも異端のエネルギーに魅かれてのことなんだろうか、
とか思う。人も気候も穏やかな土地なんだけど。
そのあと数日置いて、今度はピレネーの方に向かって
キリスト教の聖地でもあるルルドにも行った。
(ヨーロッパで観光するとなると結局聖地巡りになるんだな。)
そういえばもう30年ほども前のことになるはずだけど、
東京にある某バレエ団の海外遠征ツアーに同行した時に
バス移動でピレネーの国境を越えてスペインに入ったことがあった。
まだ暑い季節だったはずなのだけど、
国境辺りはむっちゃ寒かったのを覚えている。
今回はスペインまではいかなかったけど、
ピレネーに近づくにつれて高原地帯になっていて、
ドライブ中は絶景が続いた。
トゥルーズから2時間ほど運転してルルドに着くと
たくさんスペイン人観光客がいて、
やっぱり近いんだなあとは思った。
(次回はピレネーを越えてスペイン、ポルトガルを巡りたい。)
ルルドには霊験あらたかな霊水が湧き出ていて、
そのことで中世から有名な場所なので、
観光客は記念にその水をボトルに詰めて持ち帰る。
もちろんぼくも持ち帰って飲んだ。
が、きゅうり水が入っていたペットボトルに入れたので、
その匂いが霊水にほんのり移っていて、
ありがたさ激減。惜しい。
むっちゃ有名な聖地だから当然なんだけど
ルルドにはこれまたモノごっつい大聖堂が聳え立っていて、
これも相当にすごい。
大聖堂全体が、
「これ、実はマクロスみたいな宇宙戦艦になってて
それで異教徒が攻めてきた時にはそれがたとえ異星人であっても
対応できるようにしてあるんです。
実際のサイズはマクロスというよりヤマトくらいですけど(笑)、
非常事態にはこれ自体がロボットに変形する仕様にもなっているので、
その辺がマクロス的ではありますね。
それとあと、星間十字軍遠征なんかも一応想定してるみたいで、
地下にはバルキリー型の異教徒対応作業用ロボットも格納されてますよ、
見学していきますか?」
とか言われても嘘とは思えないくらいでかくて、
ヒーローものの感じでいうと二番目くらいに強そうで、
二番目特有の青っぽくてシュッとした形をしている。
そして内部は三層になっていて、こんな構造の聖堂は初めて見た。
その壁面には所狭しと大きな聖画がたくさん描かれているのだけど、
その全て精緻なモザイク画で出来ている。
モザイク画はずーっと前にイスタンブールで
コプティックの教会跡にのこされたものを見て
その洗練と野性味の入り混じった感じに感じ入って以来
あれこれあちこちで見てきたけど、
こんなに大規模で完成度が高いものは見たことがなかった。
そんなに古いものではなさそうだけど、
やっぱりここの作品群の精緻さは圧巻。
モザイクといえば何かを見えにくくするために使うのが
日本では常になってしまった感があるけど、
モザイク画は、当たり前だけど、全く正反対の効果をもっている。
何だろう、モザイク画のあの力強さは。
トゥルーズにいる時はなるべくのんびり街歩きを楽しむことが多かった。
街中の建物で使われているピンクがかったレンガの色が目にも気分にも優しい。
この街にもいくつか教会があってどれも素晴らしいのだけど、
(そしてなぜかインド料理屋がたくさんあってどこも美味しそうなのだけど、)
何度も通ったのはジャコバン修道院だった。
「ヤシの木」と呼ばれる柱の色と形状が洗練と素朴さの間を
絶妙に行っていて、何度行っても心落ち着く空間になっている。
有料だけど、聖堂部分の奥の建物にも入れて、
そこの中庭アンド回廊の空間も居心地が良い。
暑い陽射しの下を街歩きで疲れたり、
食後で眠気に襲われたりした時は、
ちょっと遠くてもそこまで行き、回廊においてある寝椅子で
そよ風に吹かれながらシエスタをとるのが極楽。
それがこの修道院に何度も通った理由でもある。
ブリュッセルに帰ってきてから、
ヘルシンキに行き、子供たちと買い物をしたり映画を見たり
料理をしたり展覧会を見に行ったりして楽しく過ごしてきたら、
遂に夏休みが終わった。がーん。
そして実は今日が仕事復帰第一日目だった。
休みの間に拡散してぼんやりしてしまっていた
自分の輪郭線を確認し直すような気分で
今日の一日はすぎていった。
たぶんリハビリは今週いっぱい続くだろう。
来年の夏休みに向けての助走が始まったのだなぁ。
ちゃんと辿り着けますように。