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「自分の脆さに寄り添う静けさが訪れます。」【宇多田ヒカル「真夏の通り雨」(2016年4月15日配信リリース)】

長期滞在者

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5月はどうしたって、立ち尽くしてしまう。

この瞬間をよく見ていてくれたなと、思った。
ヨルダンでの日々は、フォトジャーナリストの佐藤慧さんがファインダーから見つめてくれていた。
私のアパートメントでの連載でも度々出す名前であり、近年多くの行動を共にしている慧さんだからこそ、
気付いてくれたのではないかと、勝手に思っている。

この写真が捉えていた瞬間の私は、葛藤していた。

そして、その葛藤は、その場にいた人には話さずに、
私は、触れる肉体のない人物に話しかけていた。

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宇多田ヒカルが新曲の配信をスタートさせた。
そのニュースに試聴することもなく、楽曲を買った人も多いことだろう。
私も同じだ。何の躊躇もなく、パソコンの画面に映る購入ボタンを押した。
2曲配信された中で、私が強く惹かれたのはこの曲だった。

「真夏の通り雨」。
この曲に触れていると、私の中にこの3年の景色がまざまざと思い浮かんでくる。

2013年5月18日。
その日は、午前10時くらいに目覚めた。

前日となる5月17日、父が大きな手術を受けた。
予定の時間を大幅に過ぎ、帰宅したのは深夜だった。
明日は今、気になるバンドのライブがある。
ライブの前には会いたかった人に初めて会いに行く予定もある。
楽しみな予定がある日だ。とにかく仮眠をしようと、私は眠りについた。

起きてすぐのことだった。
私のiPhoneから、Facebookのメッセンジャーの着信音がした。

それは、大学の先輩からで。
あれ? 久しぶりだなと思って、開いたメッセージを見た時、
私は言葉の意味がすぐには頭に入ってこなかった。

そして、その事実が急に現実味を帯びた時、私は自分の部屋の中で叫ぶように泣いた。
悲鳴とはこういう声のことを言うのだろう。

なぜなら、その数日前まで、元気に過ごしていることを知っていたからだ。
どうして? なぜ? という思いが私の頭の中に飛び交った。

混乱と同時に、
連絡をしなくてはいけないという、その時私がやるべきことへの行動も粛々としていた。
思い浮かぶ人達に連絡をしながら、今日の予定をどうしようかと考えた。
そして、私が出した結論は、予定通りにその日を過ごすことだった。

一体何があったんだ? という思いは捨てきれず、彼のFacebookを辿った。
そこにあった一枚の写真に私は動けなくなった。
その写真は、私がその日に行く場所の写真だった。

2013年5月18日という日を予定通りに過ごした。
そして、私は行った先でその写真にあったぬいぐるみを確認した。
彼が、確かに、ここで生きていたことを、知った。

ライブが終わった直後、その会場の中で連絡を受け、私の「なぜ?」に、答えがつけられた。
私が携帯電話の画面を見ていたのは、赤坂BLITZの二階。
私の足元のすぐ下は、その人がかつて音と過ごし、それを仕事としていた場所だった。
そういう場所で、私は彼が死んだ事実を、知った。

幸いなことにその日は誰からも「何かあった?」と聞かれることはなかった。
私は大事な人を亡くしても、誰からも気付かれることのない顔を作れることを、知った。

そういう自分で良かったと思った。
私はどんなに悲しいことがあっても、どんなに苦しいことがあっても、
誰にも気付かれずに生きていける。そのことは、私自身を安堵させた。

2016年5月。
あれから、3年が経つ。

思ったよりも、今年は今のところ、心のざわつきに苦しめられずに済んでいる。
なぜ昨年よりも、気持ちがぐらぐらせずに過ごせているのだろうか? と考えてみた。
それはこの一年で、あの5月から生まれてしまった感情を、少しずつ言葉にしてきたからだ。

言葉にして表現した。
言葉にして声にした。

亡くなったという知らせを聞いたあの日から、私は彼に新たに出会った。

彼はとても優秀なミキサーだった。
大学時代の私がDJをする番組を作る時は専属ミキサーのように、
私がやりたいこと、話したいこと、かけたい音楽をいつも理解しようとしてくれていた。

大学の放送研究会の部室で。
曲をかけながら、何時間もフリートークをするという練習に付き合ってくれたことがあった。
4~5時間くらい続けていただろうか。
あの時、窓から見えていた夕方の景色は、今もちゃんと覚えている。

あの練習をやっていたから、私は、今、どんな時でも、自由に話すことが出来ている。

「いつも寄り添ってくれていた」という記憶が、
実体を失くした後に、その意味の輪郭を露わにしている。

最近の私はといえば。今、この時代を生きていく中で、葛藤が生まれることばかりで。
息ができなくなるような苦しさとのせめぎあいだ。

周りに空気が無くなるような孤独感に襲われると、寄り添うような視線を感じる。
それが、私が彼に話しかける理由なのだろう。

私はどうしたらいいの? と彼に問いかける。

「でもそれがしたいんでしょ?」
「あなたがそうしたいのなら。」

会話を続ける。
その中で私は息をする。

今、聞きたいことがたくさんある。
今、話したいことがたくさんある。

ただ一つ決めていることがある。
私は記憶の中で生きていかない。

あの写真の後。ヨルダンの町を歩いている途中で、
共にシリア難民の家庭訪問をしていた仲間から、
「疲れた顔をしてるけど、大丈夫ですか?」と聞かれた。
その瞬間、心臓がぎゅっときしむような感覚があった。

知られたくなかった。気付かれたくなかった。
そういう顔を見せてしまったことに、私はしまったと思った。

が、その言葉から、自分の身体に痛みのうずきを感じた時に、
私は今を生きていることを自覚した。

生きているからこその、痛み。

ヨルダンで世界の現実に触れてから、起きていても眠っていても、思考の旋回が止まらない。

帰国してから、数日後。
ふいに足元が崩れて、どこまでも落ちていくような感覚が身体から離れなくなった。

このままでは倒れてしまうと、新宿駅の片隅で、助けを求める言葉をLINEで送った。
「大丈夫ですか?」という生きている人間が私に送る文字を目にして、息が吸えた。

死者との会話。
生者との会話。

私はその間で行ったり来たりを繰り返す。
それが、あれからを過ごす、私の5月となっている。

【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(イントロが無いので曲フリ。ここまでの話をフリートークで話した後に。)

では、ここで一曲お届けしましょう。
この曲を聴いていると、自分の脆さに寄り添う静けさが訪れます。

忘れることができない記憶は、痛みも苦しみも伴っているけれど、
それも私自身を構成する大切なものなのではないかと思います。

宇多田ヒカル「真夏の通り雨」

武村貴世子

武村貴世子

ラジオDJ、MC、ライター。
これまで、FM802、Fm yokohama、FM-FUJIなどで番組を担当。

ラジオ番組、司会、ライター、トーク&アナウンス講師はもちろん、
朗読と音楽のコラボレーションライブも展開中。

国連UNHCR協会 国連難民サポーターとして、
難民支援を始め、世界や社会への関心が深く、社会貢献活動にも積極的に取り組む。

また、タロット・リーディングの学びも深め、
フリーランスでその活動の幅を広げ続けている。

Reviewed by
宮本 英実

生きていると、なかなか色々なことがある。限界寸前の状況を、悟られないでいられる自分と、誰かに気付いてほしい自分と。もしあの人今も近くにいたとしたら、こんなとき、なんて言うのだろう。そばにいてほしかった、あの人は。

夜に一人、見慣れた町をドライブしながらこの曲を聞いて、武村さんと同じように、思いを巡らせた。

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