写真から声が聞こえる。
彼女はもうこの世界にいないと。
今、自分だと認識している私は、
本当はもう死んでしまっているのではないだろうか。
ワタシハモウイナイ
私が死んでも、明日も普通に時間は流れる。
それが当たり前だ。
明日には死んでしまっているかもしれない、この世界の点である私へ。
12月の今、今年を振り返った時。
苦しさの記憶量が多くて、愕然とした。
特に、6月以降の私というのは、ほとんどの日々を泣いて暮らしていたように感じている。
重くなった身体を引きずって、絶望感に苛まれていた。
絶望。
この言葉を自分の人生の中で使わないようにしていた。
使ってしまうことで、その言葉の意味することを認めてしまう気がしていたからだ。
しかし、今年の私のそのほとんどを占めていたのは、絶望であった。
UVERworld「ALL ALONE」は、自分の中にそんな感情しかない時に出会ったようなものだった。
最初に聴いた時は真夜中で。
その一回目で、感情が揺さぶられて落涙していた。
この曲で歌われている言葉が、自分にあてはまっていた。
「本当にこの世界で起きている最低な出来事は
表現させない 歌わせない」
今年は初めて中東、ヨルダンに行き。
帰国してから、自分が目の前で見てきたことと、世間の空気に違和感を感じ続けることばかりだった。
“そういうことは言わないでくれ”
語ろうとする時、伝えたいことが、抑え込まれる。
誰かの、何かの不都合のために封じられていく。
「この世界のどうでもいい心無い言葉や
ただのフレーズに押しつぶされそうになって、
全てを一瞬で捨ててしまいそうになる事
未来もこの生命も」
私の中から、こうありたい、こういうことをしていきたいといった希求が抜け落ちていき、力を喪失していった。
終わらせたくなった、自分を。
「ALL ALONE」を表現した21分7秒に渡る、ショートフィルム『1秒先 向かう者と ただ訪れる者』の中で、
こんなセリフがある。
「死に引っ張られている人々。それが作品のテーマ。」
あぁ、やはりと思ってしまった。
UVERworldの曲を聴いていると、意欲が掻き立てられることばかりだった。
しかし、何故かこの曲は今までと違った。とても惹かれる曲で、繰り返し聴くことを止められないのに、
聴く度に苦しくてたまらなくなっていた。どんどん、自分の孤独の輪郭が色濃くなっていった。
どこまでも、一人の世界に引き摺り込まれていった。
2016年12月のアパートメントでは「ALL ALONE」で書くことを決めていた。
だけど、どうしても、この曲に対して思う、自分自身のあと一歩が踏み込めないでいた。
何かがあるはずだ。私が気づいていない何かがある。
だから、ライブで聴く日まで締め切りを待ってもらうことにした。どうしても突き詰めたかった。
つまり、それほどまでに、この曲が好きだった。
2016年12月14日。
横浜アリーナにて。「ALL ALONE」の演奏の前。MCの中で、孤独と向き合うという言葉が聴こえた。
その瞬間、はっとした。
そうか、そういうことか。
私がこの曲を聴いていて苦しかったのは曲のせいじゃない。
この曲をきっかけに、自分自身の弱さ、情けなさ、くだらなさといった、
自分が向き合うには目を背けたくなるような部分と、真正面から向き合うことになる。
その孤独との対峙ゆえの苦しさだったのだ。
「最後の日に欲しい物は
最後の日に欲しい物と思うような
この街で生きてきた証」
終わらせることばかり考えてしまっていた。
先が見えなくなってしまった私にとって、終わらせるための証とはなんだろうとそればかりが頭の中を駆け巡っていた。
しかし、ライブでこの言葉を、目の前にいる人間からの歌声で聴いた時。
私は、この言葉で表現されるような証をまだまだ見つけようとしている途中に過ぎないと、気づいた。
この曲が演奏されている時、ライブ会場に集まった多くの人達を見ていて思った。
一人一人の個の美しさが輝いている。
この中に、同じ人生を歩む者は、誰一人いない。
生まれ、死に至るまで、同じ物語は一つもない。
孤独と向き合う。それは簡単なことじゃない。
だけども、結局のところ、そうでしか、自分の生は生きられない。
覚悟を問いかけ、痛みの先に見つける、自分だけの、自分にしか納得できない「証」を見つけるために。
「おまえは おまえがやりたい事を やれ」
UVERworld「ALL ALONE」という楽曲は、
絶望が埋め尽くすような世界の中で、もがいて、あがいて、苦しさを抱えながらも、生き抜こうとする、
たった一人きりの人にとっての味方となってくれる曲だと、私は思う。
現在行われているアリーナツアーで、UVERworldは、発売前の新曲を披露している。
そのどれもが、今の自分が欲している言葉ばかりだった。
2005年、1stシングル「D-tecnoLife」でこのバンドに出会ってから。
UVERworldの音楽には、いつも私がその時に聴きたい言葉があった。
どのタイミングに於いても、自分が求める言葉を、音楽として表現しているバンドが同じ時代に脈打っている。
それはもう、おまえがどんな闇にいようとも、音楽は味方だから、安心して生きろと言われているようなものだ。
このまま生きていて、何の意味があるのだろうか。
そう思っていた私は、やはり、今年もまた、音楽に救われて、どうにか明日を生きようとしている。
最後に一つ。
今年の私の変化として、絶望が怖くなくなった一文を紹介したい。
「もし絶望が絶望者の自己を食い尽くすことができたとしたら、絶望というものも、もはや存在しなかったであろう。」
(『死にいたる病』 セーレン・キルケゴール 桝田 啓三郎訳)
絶望が私自身を侵食し、私を奪っていたら、絶望を言葉にする私は今ここにいないということだ。
安心して苦しめということを伝える、時空を超えた言葉に出会えた瞬間、
絶望は私にとって恐れるものではなくなった。
この文章を書いた私は明日には死んでいるかもしれない。
数多の人生の物語が構成するこの世界では私は点にしか過ぎない。
それでいい。
全てを終えた時に私を評価するのはこの世界ではない。
私の生を認めるのは、他ならぬ、私でしかないのだから。
【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ〜8秒に乗せて)
もう何もかも終わらせてしまいたい。
今、そう思っているあなたに。私はこの曲を届けます。
UVERworld「ALL ALONE」