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3F/長期滞在者&more

「自分でしっかりと決断する未来に向かって」【Perfume「TOKYO GIRL」2017年2月15日リリース】

長期滞在者

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昨年、2016年3月にヨルダンに滞在した時の話である。
ヨルダンに着いた翌日に、私はあるシリア難民の家庭に泊まっていた。

ホームステイを提案してくれたのは、シリア支援団体サダーカの代表、田村雅文さんだった。
初めての中東、アラビア語もわからない。そんな私に着いてすぐにホームステイなどできるのだろうかと、
不安でたまらなかった。まず、家庭訪問に行ってそれから考えたいと話した。

最初の家庭訪問は、母子家庭の家だった。
紛争で夫を亡くした姉妹が、それぞれの子供たちと共にシリアから歩いて山を超えて、
ヨルダンに辿り着いて、生活をしていた。

この家庭訪問の時に、IOMなどで難民支援の仕事をしてきた、
仲佐かおいさんが通訳として同行してくれていた。
この日、かおいさんはここにホームステイすることになっていた。

この家の中には、シリア人の若い妊婦の女の子も二人暮らしていた。
その子達の部屋に行った時に、「あなたも泊まっていきなさいよ!」と思いがけず話しかけられて、
びっくりしながらも、はいとその場で決めていた。彼女たちの笑顔を見ていたら帰りたくないと思ってしまったのだ。
そして、かおいさんと共にその家に泊まった。

イスラム教の文化の中で生きる、シリアの女性たちが暮らしている家でホームステイができるのは女性だけだ。
だから、家庭訪問には同行していた、フォトジャーナリストで男性の佐藤慧さんが帰った瞬間からがすごかった。
男の人は帰ったの? と確認すると、頭を覆っていたヒジャブを外し、
彼女たちは解放感に溢れた顔を見せた。驚いた。
男の人がいなくなると、彼女たちはこんなにも表情を変えるのか! と。

そこからはまるで「女子会」だった。

「さぁ! 夕飯の用意をするわよ!」と、みんなで野菜を切ったりしてご飯を作り、女だらけで食事をした。
その夜は、彼女たちのスマートフォンに入っている音楽を聴きながら、足がパンパンになるまで一緒に踊り、
テレビを見たり、シリアのメイクを教わったり、お腹が痛くなるまで笑い合って、共に眠った。

ヨルダンに行く時に、日本から、OCICAという名前で販売されているネックレスを持っていった。
OCICAは、東日本大震災からの復興の活動として、
宮城県石巻市牡鹿半島の女性たちが、地元の鹿角と漁網の補修糸で作っているアクセサリー。
私はOCICAの作業現場に行ったことで、そのアクセサリーに込めた想いを強く感じていた。
東日本大震災が発生したのが、2011年3月11日。シリアでの混乱が拡大したのが、2011年3月15日。
私は、OCICAのネックレスを、この人だと思うシリアの人に出会えたら渡そうと思っていた。

ホームステイをした家に住んでいた、10代の女の子、ナダ。
ナダのお父さんは、イラクやヨルダンまで荷物を運ぶトラックドライバーだった。紛争で亡くなった。
彼女は、スマートフォンでの自撮りが上手で、
被っていた赤いニットキャップの角度を気にしていたりと、10代らしい、可愛らしい子だった。
彼女におしゃれのアイテムの一つに加えてもらえたらと思って、OCICAのネックレスをプレゼントした。
もちろん、このネックレスがどうやって作られたのかという意味を伝えて。
ネックレスを渡した時のナダの表情がとても綺麗で可愛かった。

日本の石巻で暮らす女性たちが心を込めて作ったネックレスが、
シリアの紛争を逃れてヨルダンで生きている女の子の元へ渡った。

このネックレスを作った石巻の女の人たちの活気溢れる笑顔。
このネックレスを受け取ったシリアの女の子の可愛らしい笑顔。

あの微笑みを思い出す度に、
私はどうしたって、彼女たちの平穏な日々を祈らずにはいられない。

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ヨルダンでは、シリアの紛争で戦って、足を失くすなど、身体に傷を負ったシリア人の若い男の人達とも出会った。
彼らに年齢を聞かれて、40代であることを答えたら、
結婚は? と聞かれ、まだ結婚していないと答えたら、酷く驚かれた。
驚かれたどころか、大丈夫か? と、ものすごく心配された。
そういえば、石巻のお母さんたちにも、まだ結婚していないと言ったら、真剣な顔で心配された。

震災や紛争の影響にある人達が心配で訪ねたら、
その人達に自分の結婚の心配をされるとは思わなかった。

大丈夫? 
そっちこそ大丈夫??

その瞬間に、なんだか、本当の意味でのコミュニケーションが取れた気がした。
お互いが、お互いのことを思いやる。
でもまさか、そのきっかけが自分の未婚になるとは。

Perfume「TOKYO GIRL」は、
テレビドラマ『東京タラレバ娘』の主題歌である。毎回エンディングでそのイントロが印象的にカットインしてくる。

東村アキコの漫画『東京タラレバ娘』。
かつて共にラジオ番組を作っていた、女性ディレクターから、「この漫画刺さりますよ」と言われて、読んだ。
大笑いしながら、著しいダメージを食らった。
それから、新刊が出る度に買い、ドラマも全部見ている。
この作品の中で女3人が「女子会」と称してお酒を飲みながら、恋や結婚に悩む姿は他人事ではない。

自分の家族を築くことができたらと具体的に思ったのは、ヨルダンに行ってからかもしれない。
ヨルダンにいる間、田村さんの家で、田村さんのご家族、そして、共に行動していた仲間と一緒に生活をしていた。
出かける時は、いってきます。帰ってきたら、ただいま。
そんな日々は、10数年ぶりだった。

帰国して、一人の家に帰ってきた時に、ぽつんとした気分になった。
あれ? 今までは一人で平気だったのにと、戸惑うくらいに、寂しくてたまらなかった。

そこには、ヨルダンで出会ったシリアの人達の家族の影響もあった。
私が出会った人達は、家族と共に生きることをとても大事にしていた。
自分が生活をする家に大切な人がいることの喜びを、私はヨルダンで学んだ。

家族が欲しいな。結婚したいな。
そんなことを考え始めて、あっという間にもう一年である。
現状、あれから、何も変化はない。

まずい。

たった一つのハートは未だ見つけられないまま。
はてさて、どうしたものだろうと思いながら、テレビをつけて、ドラマを見て、
ああわかると共感しながら、一人の部屋でビールやハイボールや日本酒を飲む。

どうしよう。

困った。女友達とLINEをする。あーでもない。こーでもない。
幸いなことに、私の女友達は、悩み相談もどんどん笑い話に持っていってくれる。

女同士で笑い合うって、なんでこんなにパワーが湧くのだろう。

あぁわかるー! それはダメだー! うわなにそれー!
傾向と対策を出し合って、あれやこれやと作戦会議。

駆け込める女友達がいなかったら、私はとっくにダメになっている。

「TOKYO GIRL」からは、
これからどうなるのだろうという? 相手在りきの展開と共に、
でもそれを決めるのは私自身だという強さを感じている。

この曲を聴いていると、あーもういろいろあるけど、
笑ってがんばるか! という気持ちになるのは、そのサウンドにもある。
だって、Perfumeの曲は聴いていて、いつもわくわくするから。だから、前を向ける。

あれこれ自分に都合のいい理由をつけては、未だはっきりとした答えを出せぬまま、
私は今日も東京で一人で生活をしている。

だけど私は、あの時、
一人で大丈夫? と心配してくれていた人達に、
それはよかったね! という話ができたらという願いも持ち合わせている。

もしもそんな話をすることができる日が来たら、真っ先に報告に行って、
一緒にたくさん笑い合いたい。

【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ〜22秒”に乗せて)

テレビドラマ『東京タラレバ娘』の主題歌となっているこの曲をお届けしましょう。
恋や結婚に悩む女性3人を描いたこの作品。私もめちゃめちゃ共感しています。
上手くいかない現実に悩んで苦しんで泣いて。
それでも、自分でしっかりと決断する未来に向かって、
笑顔で前に一歩踏み出せるパワーが湧いてくるナンバーです。

Perfume「TOKYO GIRL」

武村貴世子

武村貴世子

ラジオDJ、MC、ライター。
これまで、FM802、Fm yokohama、FM-FUJIなどで番組を担当。

ラジオ番組、司会、ライター、トーク&アナウンス講師はもちろん、
朗読と音楽のコラボレーションライブも展開中。

国連UNHCR協会 国連難民サポーターとして、
難民支援を始め、世界や社会への関心が深く、社会貢献活動にも積極的に取り組む。

また、タロット・リーディングの学びも深め、
フリーランスでその活動の幅を広げ続けている。

Reviewed by
宮本 英実

結局は自分次第だ。あらゆる行動も、言葉も、飛び交う”タラレバ”話すらも、未来の何かしらに影響して。ヨルダン、石巻、Perfume、結婚。どうやっても結びつかないような事柄がするっと結びついてしまうのが、武村さんの物語。すべてがつながって、これからを導いて。

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