泣いている時に、「今から行く」と言ってくれる人がいることにどれだけ救われているか。
私が泣いている理由は、世の中の差別に対してだった。
明らかにそれは大切な仲間の人権を侵している。
その疑問を表した時に、
「差別ではないでしょう」、「問題があるとは思えない」と、投げかけられた言葉の前に立ち尽くした。
「この表現は人を傷つけているのではないでしょうか?」と問いかけた言葉が、
あっという間に消えていくことに愕然とした。
「僕たちはマイノリティーなんだよ」
ここのところ、性に関連するニュースで憤ることが多い。
LGBT、性被害、次々と起こる問題に対して、人の心を傷つける言葉が飛び交う度に、
どうしてこんなことになるのだと考える時間は増すばかり。
理解が広がっていないことも多く、
差別に対して声を上げることがまだまだ多い状況ではないとわかってはいるつもりだけど、
時にどうしても耐えられなくなる。
そんな時に、たった一人「今から行く」と、自分の言葉に耳を傾けてくれて、
「僕たち」として一緒に考えてくれる人がいてくれることに安堵した。
マイノリティーとして出来ることを続けていこうと、語り合い、支え合える存在がいる。
寄り添ってくれる人がいることで、私は今日も息をすることが出来ている。
イラク人のアラビア語の先生がこんなことを教えてくれた。
彼女はアラビア語、英語、日本語が出来る。
「『寄り添う』って優しい言葉です。
これ英語やアラビア語などに訳すのが難しい言葉なのです。
ぴったり同じ意味のものはなく、文脈で近い意味の言葉に訳すしかありません。
言葉がないというのは社会にその概念が無いということ。
日本人でも普段『寄り添う』という言葉を使わない人、
意識しない人は、『寄り添う』の発想すら浮かばないものなのかもと思いました。」
はっとした。
「寄り添う」という言葉が、日本の社会にその概念があるからこその言葉だとは考えてこなかった。
中東出身の先生が教えてくれた、日本出身の私が気づいていなかった「寄り添う」という言葉の優しさ。
それ以来、私は「寄り添う」という言葉を発する時に、その意味に強く意識を向けるようになった。
TOKYO RAINBOW PRIDE 2018。
今年も、PRIDE FESTIVALに足を運んだ。
“性的指向および性自認のいかんにかかわらず、すべての人が、より自分らしく誇りをもって、
前向きに楽しく生きていける社会を実現したい”という考えの基に開催されているこの会場にいると、
人が人を愛すること、おもいっきり好きを表現し、
笑顔を交わす瞬間の美しさを、たっぷりと感じる時間を過ごすことができる。
その会場で、浜崎あゆみがフリーライブを行うと知って心が踊った。
1997年10月にラジオDJとしてデビューした私にとって、
1998年4月に歌手デビューした浜崎あゆみの楽曲を紹介することは、彼女の絶大な人気の中で、至極当然のことだった。
最新の楽曲がリリースされれば、ラジオからその楽曲をオンエアする。そんな日々を生きてきた。
彼女の曲を聴いていく中で、私はとても彼女の歌詞に惹かれた。
特に、2000年9月に発表された「SURREAL」の歌詞が、どれだけ私の心に寄り添ってくれたか。
「背負う覚悟の分だけ可能性を手にしている」
「どんなに孤独が訪れようと どんな痛みを受けようと 感覚だけは閉ざしちゃいけない」
ラジオDJにはなれたけど、自分の感情が現実と追いつかずに葛藤し続けてきた時に、
何度も聴きながら泣いて、励まされて、歯を食いしばってがんばってきた記憶が蘇る。
TOKYO RAINBOW PRIDE 2018のPRIDE FESTIVALで、
彼女のライブが観られることに、どきどきする気持ちを押さえきれなくて、
「一体何を歌うんだろう?」 と、これまでの彼女の楽曲を聴き直しながら、当日を楽しみにし続けた。
そんな私がこの日彼女のライブを観ていて、込み上げてくる涙を最も押さえきれなかった曲が、
最後に歌った、「Boys & Girls」だった。
イントロが鳴り響いただけで堪えられなかった。この会場にあの歌詞が響き渡るのかと。
「輝きだした僕達を誰が
止めることなど出来るだろう
はばたきだした彼達を誰に
止める権利があったのだろう」
この歌詞ほど今日にふさわしい楽曲はない。
彼女のライブでのクライマックスには欠かせない曲で、
ライブでは、コール&レスポンスで盛り上がる曲だ。
彼女が「輝き出した僕たちを誰が」と歌えば、
オーディエンスが「止めることなど出来るだろう」と声を返し、
彼女が「はばたきだした彼等を誰に」と歌えば、
オーディエンスが「止める権利があったのだろう」と声を返す。
これまで彼女のライブを観てきた時に何度となく経験してきた「Boys & Girls」でのシーンだが、
この日、TOKYO RAINBOW PRIDEでのライブ空間に集った人たちが、
「止めることなど出来るだろう」「止める権利があったのだろう」の歌詞を一斉に歌う光景に、胸が震えた。
「Boys & Girls」がリリースされたのが、1999年7月14日。
今日のこの景色は、19年後の未来となった2018年に、
彼女がずっと歌い続けてきた曲が、さらに意味を持つものになった瞬間だと思った。
そして、彼女がこの日ステージから語りかけた言葉にどれだけ多くの人が支えられたことか。
さすが百戦錬磨のアリーナツアーを行ってきた彼女が語りかける言葉は、メッセージの浸透力が違う。
「私もマイノリティーのひとりとして、みなさんと一緒にこれからも一緒に歩ませていただきたいと思っています」
彼女がこの場でマイノリティーという言葉を使ったことは、とても意味深いことだったと私は思う。
彼女は、その声で、その歌で、その言葉で、「寄り添って」くれた。
誰もがその名を知っている日本のポップスターが、
自分の意志で、「すべての愛に、平等を。」を掲げた、TOKYO RAINBOW PRIDEのステージに立って、
深い想いを込めて歌った。
彼女のまっすぐな行動が、これからの未来に、どんどん良い影響として広がって欲しい。
帰り道に、何度も彼女のライブを観た、国立代々木競技場第一体育館の横を歩きながら心から思った。
日本に浜崎あゆみがいて本当に良かった。
【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ8秒〜22秒”にのせて。)
5月6日にTOKYO RAINBOW PRIDEで初のフリーライブを行った、今年デビュー20周年となる浜崎あゆみ。
ライブの最後に歌った曲は1999年のミリオンヒットナンバー。
一人一人の全ての愛する気持ちに、彼女の歌声が寄り添ってくれました。
浜崎あゆみ「Boys & Girls」