心の中がクリアでなければ先のことなど見えないと思っていた。
2019年11月23日、24日、私は東京国際フォーラムB7・B5で開催された日本最大級のデザインカンファレンス「DesignShip2019」で司会をしていた。
デザイナーたちの様々な物語が語られた2日間のトリのKeynoteスピーカーとして登場した、レイ・イナモト氏。
ニューヨークを拠点に世界を舞台に活躍しているクリエイティブ・ディレクターである彼から語られる言葉は、そのどれもが、私に新たな視点をもたらしてくれる言葉ばかりだった。
その一つに「“もやもや”は羅針盤」という言葉があった。胸の中のもやもやはこれから進む道を指し示してくれると。
はっとした。
自分の中で「これは一体どういうことなのだろうか?」「これはおかしいのではないのだろうか?」「これはどうしたらいいのだろうか?」といった混沌は、自分を苦しめることばかりだった。しかし、胸の中にその時点ではっきりとしない、わからない感情があるということは、自分がどう考え、どう動き、どう進んでいくかの道しるべとなってくれるというイナモト氏からの話は、私の中に新たな風を吹き込んでくれた。
数年前から初詣では自分のことは祈らなくなった。
今年も私は、世界が平和で、日本が穏やかであることを真っ先に祈った。
正月が晴れやかな空であるときには「きっと今年は良い年になる!」と自然に思っていた。
けれども、今年の幕開けは、目の前に澄み切った青空があるというのに、そういう気分には全くならなかった。
私は空を見上げながら、覚悟をしていた。これから来る衝撃に耐えられるようにと。
数日後に、アメリカとイランの緊張が高まり、世界中のツイッターのホットワードには#WWIII、#WorldWarIIIという言葉が一気に押し寄せてきた。
COLDPLAY、4年ぶりとなるニューアルバム『EVERYDAY LIFE』は、11月22日にリリースされた。
リリース日には、ヨルダンからのアルバムの楽曲をライブ演奏する生中継が全世界で配信され、私は夢中になってその映像を見た。4年前にヨルダンを訪れた私にとって、その映像は、自分が歩いたあの国の空気を丸ごと自分の部屋の中に連れてきてくれるような温度感を持っていた。そして、このアルバムがどのような意味を持って制作されたか。
彼らの思いが、ヨルダンの地から音と共に私の心に、深く深く響いてきた。
私がヨルダンの旅から帰国した1年後の2017年4月19日に、東京ドームで彼らの来日公演を観た。「グローバル・インクルージョン(Global Inclusion、世界の調和・一体化などの意)」と「ポジティブ」をテーマにしたそのライブは、色鮮やかな歓喜に満ちていた。私はこのライブをきっかけに、それまで以上に彼らの活動から目が離せなくなった。
この来日公演から約2ヶ月後となる2017年6月4日には、アリアナ・グランデのイギリス、マンチェスター・アリーナ公演で起きたテロでの被害者支援のチャリティ〜コンサート『ONE LOVE MANCHESTER』に出演。2018年12月2日には南アフリカ、ヨハネスブルグで開催された『Gloval Citizen Festival Mandela 100』に、COLDPLAYのクリス・マーティンは覆面プロジェクト、Los Unidadesの楽曲でステージに立っていた。私はこれらをインターネットのライブ配信で見ていて、震えるような思いに駆られていた。常に世界への眼差しを持ち、迅速に音楽と共に行動していくミュージシャンに抱く私の感情は圧倒的な尊敬と共感しかない。
そんな彼らが2019年の終わりに世界に放ったアルバムは“SUNRISE(日の出)”と“SUNSET(日の入り)”の2部構成となる1日24時間をテーマとし、世界中の一人ひとりが過ごしている「普通の1日」を音楽にした作品だった。
ヨルダンでシリアから逃れてきた難民の人に会ってから、私は難民支援をしているのに「難民」という言葉を使いたくないと思った。彼らは普通に毎日生活をしてきた人で、紛争に巻き込まれたために国境を超えて逃げなければ生きることができないという状況になってしまったために「難民」と呼ばれるようになってしまった。そう彼らは、自分とは何ら変わりがないという事実を私ははっきりと知った。
平和を築き上げるために、何よりも大切にしなければいけないのは、世界中の人たちが今この時を生きている「生活」だ。その「生活」に目を向けて音楽を作り上げたことは、世界の最前線で、今起きている社会の現実と向き合っている彼らならではのアルバムだと思い、私はこのアルバムの発売が嬉しくてたまらなかった。同時に、この4年ほど私の中にずっと渦巻いていたこの世界への思いがそのまま音になったような楽曲たちに、親近感を感じずにはいられなかった。
アルバム『EVERYDAY LIFE』からいち早く公開された楽曲「ARABESQUE」。私がアルバムの中で特に心を射抜かれたこの曲は、こんな歌詞から歌い出される。
“I COULD BE YOU YOU
YOU COULD BE ME”
「僕がきみでもおかしくはない
きみが僕でもおかしくはない」
世界から伝えられる現実を知るたびに思う。
あの国境を超えてキャンプで生活をしているのは私でもおかしくはない。
あの暗い部屋でいつ帰れるかわからない不安を抱えているのは私でもおかしくはない。
あの広場でデモで死んでいたのは私でもおかしくはない。
あのロケット弾が落ちてきて家が焼けて死んでいたのは私でもおかしくはない。
あの飛行機に乗っていて死んでいたのは私でもおかしくはない。
「第三次世界大戦が始まるかもしれない!」と、インターネット上で大騒ぎになっていた状況は、現在さらにその声が大きくなっているというところまではきていない。
けれども、10数年ほど難民支援に関わってきて感じていることは、戦争や紛争というのは、
「よーいどん!」で始まるわけではないということだ。
気付いたらその状況に巻き込まれている。
それが戦争の怖さなのではないだろうか。
新しい年の始まりには、多くの人がこの1年をどう過ごすかと、目標を立てたり、夢や理想を思い描く。
その願いを叶えることができる要素として、1番欠かせないのは、平和である。
常に攻撃におびえ、生活がままならなくなってしまったら、個人の夢や希望はあっという間に木っ端微塵になる。
自分の日常には欠かせなくなったSNSを見ると、特に海外の人たちとつながっているFacebookのタイムラインでは、今日も人が死んでいる。
平穏な生活を求めて声を挙げて、行動した若い人たちが、その家族が、死んでいる。
朝起きて当たり前のように生活をしている人たちが、戦いに巻き込まれて命を落としている。
ニュースが「戦争の危機は回避しました」と伝えても、世界は平和じゃないということを毎日のように目の当たりにしている。
あっという間に崩れてしまいそうなこの世界の状況の中で、自分が何ができるのだろうかということを考えてばかりいる。微力だろうとなんだろうと、このままただ見ているだけということは、私にはできない。
仕事帰りの地下鉄の中で、COLDPLAY「ARABESQUE」を聴きながら、今の私が次に起こすべき行動や、一人でも多くの人にわかりやすく伝えられる言葉を考えていた。そのとき、目の前の座席に座っていた女性から声をかけられた。国連UNHCR協会の理事がたまたま私の前に座っていたのだ。
「今年は音楽との支援を考えていて、理事会で会議になったの。けれども、私にはどうしたらいいかわからないから、私はあなたが力になってくれると、周りの人たちに伝えたからね!」と、笑顔で語りかけてくれた。
アフロビートの創始者であり、ナイジェリア出身のミュージシャン、フェラ・クティの言葉“Music is the weapon,music is weapon of the future”(音楽は武器、音楽は未来の武器)が引用されているこの曲を聴きながらの出来事として、偶然にしてはタイミングが良すぎると思いつつも、やはり私は音楽に導かれ、そしてこの心のもやもやが示す羅針盤を手に、音楽と共に進む以外に取るべき選択肢はないのだと、電車から降りた駅のホームの雑踏で、私はさらに心に覚悟を決めた。
「ARABESQUE」の最後に高鳴るバンドとブラスセクションの音色が、様々な困難を乗り越えて世界中の多くの人たちが団結して行動を起こし、より良い未来を築くための大いなる行進の音であると信じて。
【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ(街の雑踏の音)29秒〜1分7秒”に乗せて)
COLDPLAY、4年ぶりとなるニューアルバム『EVERYDAY LIFE』。“SUNRISE”と“SUNSET”の2部構成で「普通の1日」がいかに大切かということを音楽にした作品です。リリース日には、アラビア語など中東の文化を取り入れたこのアルバムらしく、太陽が登る夜明け、そして、日没をバックにヨルダンから生中継でアルバム楽曲を演奏する壮大な映像を全世界に配信したことも大きな話題となりました。そのアルバムから、ナイジェリア出身のミュージシャン、フェラ・クティの言葉“Music is the weapon,music is weapon of the future”が引用され、誰もが何ら変わりない人間であり、高鳴る音楽が未来を変える力を感じさせてくれるこの曲をお届けしましょう。
COLDPLAY「ARABESQUE」