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3F/長期滞在者&more

「耐えられないような苦しみ、悲しみ、絶望、涙を経験したこの二人が歌うからこそ、今を生き抜こうという力が湧き上がるナンバーに仕上がっています。」【Lady Gaga and Ariana Grande「Rain On Me」(2020年5月22日リリース)】

長期滞在者

私の「貴世子」という名前は、「絶対に世界の“世”の字を入れる!」と、父がこだわってつけた名前だということは聞いていた。その話をするときの父の顔はいつも楽しそうで明るくて、どこか嬉しそうだった。

海外を旅することが大好きだった父は、私に世界で活躍することを望んでいた。
けれども、私は音楽が好きになり、ラジオDJとなり、日本のラジオ番組で仕事をした。

私が世界との関係を強く意識したのは、30歳を過ぎたとき。カンボジアに旅行に行ったことがきっかけだった。
内戦の傷痕を見た私は、そこからUNHCRに出会い、世界の難民支援に携わる「武村貴世子」となった。

2020年4月30日、午前1時25分、父が永眠した。

父の呼吸が止まり、医師や看護師が家に到着し、つづいて葬儀の準備などで気づいたら明け方近く。仮眠を取ろうとしたが眠ることはできず、友人の真言密教の僧侶が心配をしてかけてきてくれた電話をきっかけに、外へ出た。ちょうど朝陽が登るころで、新型コロナウイルスの影響か、多くの人がいない朝の時間を利用して散歩を楽しむ人々の姿があった。

今日が太陽の日差しに溢れた明るい天気で良かった、と思った。

父は7年間、がん闘病をしていた。
昨年、2019年12月2日には余命3ヶ月を宣告され、最期は家で過ごしたいという父の希望に沿って、独居の父の家の環境を整え、在宅医療を始めた。最初は「私に在宅医療を支えることができるのか」と不安でたまらない日々であったが、医師、看護師、ケアマネージャー、ヘルパーと様々な人たちの温かい支えのおかげで、「父らしい暮らし」をすることができ、余命宣告から5ヶ月を目前にした日に、私と弟が見守る中、自宅で旅立った。

父のがんがわかり、最初に手術をしたのが、2013年5月17日。
そのときに「余命半年」という話があり、それからこの7年にいたるまで、私は抗癌剤の主治医からの呼び出しにより、父の余命についての宣告を何度か受けた。一番よく覚えているのは、2015年10月7日。「抗癌剤の治療をしても、2年くらいでしょう。」という言葉。あの瞬間が、最も「父が死ぬ」ということを強く意識したときだった。父と二人で主治医からの説明を聞いた帰り、父が運転する車の中で夕暮れを見ながら、子供のころから父がハンドルを握る車によく乗っていた私は「この時間ももうすぐ終わりなんだな」という思いが、どこか現実味のない頭の中に駆け巡っていた。

ところが、父はその2年の余命宣告を遥かに超えた。これには驚いた。
関西弁の主治医からも「あんたのお父さん、倍生きたわ!」と言われて、一緒に笑った。実は、2019年12月に、もう治ることはないと言われていた肺の症状が、2020年1月には良くなっていて、「あれ? 僕良くなるって言ったっけ??」という主治医の言葉に三人で笑った。抗癌剤の主治医との診察はこれが最後になったのだが、最後は「良くなってよかったね。」という笑顔の時間で終わったのも、なんだか父らしいなと思っている。そして、最後の余命宣告となった「余命3ヶ月」も超えて、2020年4月30日まで、父は壮絶な痛みに耐えながらも、懸命に生きた。真夜中、在宅医療での主治医が、帰り際、運転する車の窓を開けて、「お父さん、がんばりましたね。」と笑顔で話しかけてくれた。私も「本当に。」と微笑んで、主治医に別れの手を振った。

「父らしい」という言葉を使ったが、父がどんな人物であったかは、今ここで書くにはとても難しい。それは私が知っている父は、私の父親である「らしさ」だからである。父の人生に関わった一人ひとりにそれぞれの父の「らしさ」がある。だから私が、父がどんな人物であったかについて触れるのは、もう少し先か、「今書いておかなければ!」と思ったときになるであろう。ただ一言だけ今書けることは、明るさを大事にしていた父だったということだ。

父のがんがわかってから、私は、自分が司会をするUNHCRでのイベントに父を招待した。
初めて生まれた自分の子供の名前に、世界の“世”の字をつけるこだわりがあった父だから、命の時間を宣告された父に私ができることは、自分が世界に関わる姿を見せることしかなかった。
そして、父は難民映画祭のオープニングセレモニーに毎年来てくれ、職員の方々にも温かく接していただき、葬儀には「UNHCR」の名前が入ったお花まで届いた。その花を見ながら、父が私の名前に込めた願いは叶えることができたのかなと思うと同時に、この名前に恥じない生き方を続けていくことを強く心に誓った。

2013年5月からのこの7年間は、私にとっても、非常につらく苦しく、葛藤の日々だった。またこの期間、父の病気と向き合う中で、大切な人が次々に亡くなったり、そして、今、新型コロナウイルスの影響で、イベントや結婚披露宴の司会といった、生活を持続させるための自分が続けてきた仕事は全て無くなった。さらに、緊急事態宣言の最中に、在宅医療のチームと共に父の看護をする中で、医療の現場での想像を絶する現実と苦悩を見た。

正直に言って、今月この原稿が書けるとは思わなかった。
毎月続けることに意味を見出していた私が「休載」することは、私にとっての異常事態だと思っていたのだが、書こうとしても、心と言葉がまるで追いつかなかった。

しかし、今回選曲した、Lady Gaga and Ariana Grande「Rain On Me」を聴いたときに、「書ける」という力が湧いた。

それは、この曲が、パワフルでゴージャスでいながらも、根底にあるのは「深い悲しみ」と「壮絶な痛み」であるからだろう。泣きすぎて止まらない悲しみ。しかし、降り注ぐ雨と共に泣くことにより、舞い戻る生命力と喜び。そのことを感じるこの曲から、今私がエネルギーを得るのはとても自然なことである。

そして、世界が困難にある今、このタイミングでこの楽曲を発表したこともまた、レディ・ガガ、アリアナ・グランデが、それぞれに計り知れない悲しみや苦しみを経験したからこそ、できたことに他ならないであろう。

活かしていく。
この苦しみも、悲しみも、涙も。
全ての経験を、私のこれからの人生に活かし、この世界への明るさや優しさへ繋がるように行動する。

私がこれからを歩む上での煌めき。
それは、父がつけてくれたこの名前の意味だ。

【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ×”曲ふり)

それでは5月22日に全世界に向けて放たれた、レディ・ガガとアリアナ・グランデのコラボレーションナンバーをお届けしましょう。この曲のゴージャスでパワフルなサウンドとパフォーマンスを何よりも強く支えているのは、二人のこれまでの人生です。耐えられないような苦しみ、悲しみ、絶望、涙を経験したこの二人が歌うからこそ、今を生き抜こうという力が湧き上がるナンバーに仕上がっています。

Lady Gaga and Ariana Grande「Rain On Me」

武村貴世子

武村貴世子

ラジオDJ、MC、ライター。
これまで、FM802、Fm yokohama、FM-FUJIなどで番組を担当。

ラジオ番組、司会、ライター、トーク&アナウンス講師はもちろん、
朗読と音楽のコラボレーションライブも展開中。

国連UNHCR協会 国連難民サポーターとして、
難民支援を始め、世界や社会への関心が深く、社会貢献活動にも積極的に取り組む。

また、タロット・リーディングの学びも深め、
フリーランスでその活動の幅を広げ続けている。

Reviewed by
宮本 英実

知らなかった世界を、武村さんを通して知った。名は体を表すと言ったものだが、その意味を改めて知った気がした。"世界"に込められた深い思いは、どこまでも繋がっていくんだなと。

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