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3F/長期滞在者&more

図書館にいます

長期滞在者

先月、家が本の樹海と化している話を書いたが、書きながら、いや書いたからこそ心に徐々に反省が芽生え、最近よく図書館に通っている。これ以上本の樹海を深くせずとも、読むだけなら図書館をもっと利用すればいいではないか。収納力の限界を見て見ぬふりでやってきたが、このままだと本当に生活が破綻をきたす。
今までも古書店でも手に入らなかったり高騰したりしている本は図書館に頼ることはあったので、近隣市の市立図書館の貸し出しカードは何枚か所持していたのであるが、ほとんど数回ずつしか使っていなかった。
隣市西宮の図書館に行ってみたら音楽CDの貸し出しもあることを知り、持ってないバッハ鍵盤曲を漁ってみたりもしている。曽根麻矢子のチェンバロとか何枚も借りた。おお、図書館楽しいじゃないか。
図書館で本を借りるようになってわかったことは、期限付きで借りた本というのは買い置きの本よりもやっぱり急かされる分早く集中して読む。読書に勢いがつくのである。借りた本のあとにその勢いを借りて買い置きの本に移行したりする。買って読んでない本を消費するためにも、図書館で本を借りるのは良い気がする。

最初の図書館体験というのは、もちろん小学校の図書室である。
小学校三年生の時にNHK大河ドラマで平将門を扱った『風と雲と虹と』が放送され、小学三年生の頭ではドラマの内容はあまりわかりはしないのだが、それでも加藤剛演じる将門のかっこよさに惹かれ、小学校の図書室にあった小学生向けの平将門の本を借りたのだ。『山よ火をふけ!』(小池章太郎/さ・え・ら書房)というタイトルだった。
それがきっかけなのか、それ以前からよく読んでいたのかは覚えていないが、小学校中高学年になると図書室に入り浸るような児童になっていた。

小学校の図書室といえばなかなか切ない思い出がある。
僕の両親は僕が高学年になるころとても仲が悪く、家でも頻繁に言い争いをしていたのだが、ついに僕が6年生の2学期終了時に離婚することになった。
離婚などよくある話である。が、この僕ら兄弟(1つ下の弟がいる)にも大いに関係する話であるのに、父母だけの間で勝手に話が進み、母が家を出る、そして忙しい父は僕らの面倒など見ていられないから父の実家(兵庫県の西端の町)に僕ら兄弟を預ける、ということを、なんと引っ越し前日に知らされたのである。は? 明日? 
そういえばその日学校の図書室でこんなことがあったのだ。
学期末、冬休みに読むために10冊くらい図書室のカウンターに本を積み上げたとき、図書室の先生が困った顔をして、「ええと、何も聞かされてないの?」「何のこと?」「うーん、どうしよう、あなた明日から田舎のおじいさんのお家に行くのよね?」「え。なにそれ」
話を理解できないでいるところに、担任の教師が現れた。そして図書の先生に「しっ」みたいに口の前に人差し指を立て、小声で「送ってもらうとか、方法はあるから」(小声だけど聞こえてるぞー)などと言っている。
あの先生たちは何を言っているのか? どうしてこの本を郵送しなければならないのか? 田舎のじいちゃんの家へ行く? 
まぁ、ここまで聞いて、ようやく薄々、わかってしまったのである。
え、やっぱりほんとに離婚するのか。
で、俺らは田舎のじいちゃん家に預けられるってこと?
で、それを両親からではなく学校の図書室で初めて聞くってどうなのよ。
しかも明日!?

・・・・・・

まぁそんな苦い出来事もあったけれど、だから図書館なんか嫌いなんだ、とはならず、中学以降も図書室通いは続いた。田舎で半年暮らした後、再婚した父に引き取られて大阪・堺市に移り、超マンモス校に通うことになった。1学年が18クラスくらいあり、全校生徒は2000人を超えていたと思う。隣の中学校と生徒数日本一を競い合っていた。
全校生徒で数十人の田舎の学校から驚くほどの環境の変化であったが、生徒数に応じて学校図書室の規模が大きかったことはそこそこの利点であったかもしれない。本にまみれた中学生活を送った。
中2の頃、クラスで友達がおらず、図書室に入り浸って時間をやりすごした。図書室というのはそういう避難所にもなりうる。

中3になると高校受験もあるので、学校図書室ではなく市の大きな図書館の自習室を利用するようになる。
勉強熱心な中学生ではあったが、それでも受験勉強だけしてたら心が腐る。学校の図書室よりはるかに膨大な蔵書を前にして、勉強だけで帰るというのも損な話である。ここでも本は読み続けた。
受験勉強はする、本は読む、寝る時間を削る。いつでも一瞬で眠れるくらいにギリギリの体力で生きている。ある日、図書館帰りの道で自転車を漕ぎながら眠ってしまい、道の端のコンクリ塀に激突してしまった。怪我した左肘と左脚は痛かったが、人間というのは自転車を漕ぎながらでも眠ることが出来るのか、と変なことに感心した。だったら歩きながらでも眠れるだろうか。それはまだ経験ないのだが。

高校は学区内で一番の進学校に進んだ。まぁ、勉強は相当したからね。
しかし中学校で学力上位であっても、進学校に進めば普通の人になる。そりゃ周囲は秀才ばかりだもの。
普通の人になって、ここではじめて好きなことをして良いのだ、ということを知る。勉学で上の方になんか行けないから、そういう努力はもう無駄である。美術部で絵を描き、演劇部で舞台に立ち、学内図書室の委員になって新しく購入する本のリストに澁澤龍彦や寺山修司を勝手に突っ込んだり、『図書室だより』という数か月に一度出るペラ2つ折りの小さな新聞に勝手な文章を書いたりする。小林秀雄の悪口とか書いてたな。それを読んだ同級のS君が「教科書に出てくるような人の批判とかしてもいいんだ、とカマウチの図書館報読んで気づかされたよ」などと言い、彼はそののち新聞社に入ったと聞くから、ビシバシとペンの剣を振るう辣腕記者になっていたとしたら僕のおかげだ(なったかどうかは知らない)。
その小林秀雄の悪口を読んだ国語教師のH先生が「カマウチ君の文章は、内容はさておき(さておくんかい)、句読点の数が少なくて文章に妙なうねりがあって、不思議な味があるのよね」と褒めてくれた。このH先生の誉め言葉がものすごく嬉しかった。内容ではなく、文章のうねり! あんた下手くそだけど味のあるギター弾くわよね、みたいな。そんな褒め方ができるH先生もすごいよね。
そういう数値で評価不能な部分を褒められると、褒められた方は勘違い的に調子に乗るものである。そんな勘違いから、今でも僕は文章を書くのが好きで、このアパートメントに11年も書き続けていたりするのである。
恩人だから名を伏せなくてもいいだろう。元三国丘高校国語教師本多康子さん。ありがとう。*

・・・・・・

その後、阪大の文学部に進んだ。しかしどうにも水が合わず、すぐ、ほとんど講義に出なくなった。
(水に合わず、というのはちょっとカッコつけで、ほぼ小論文一点突破で合格したので語学の実力が圧倒的にともなわず、講義について行けなかった、というのも正直なところではある。)
学内劇団に一時所属した後、すぐに外の劇団に移って演劇活動を続けた。大学を休学し、家を出て、舞台に立ちながら中津のカンテ・グランデ(チャイ屋)で働いて生活費を稼ぎ、それでもたまには大学の敷地に出没した。
なぜすぐに退学にせず「休学」を選んだか。大学図書館を使う権利を放棄したくなかったからである。

大学は合わなかったが、大学図書館は夢のような場所であった。
一日図書館の書庫に潜って本にまみれて過ごした。まだ平将門が好きだったので、閉架の書庫で『群書類従』『将門記』『大日本史料』を読みまくっていた。薄暗い書庫で漢文史料を読み続ける情熱を語学等ほかの講義にも回せって? やーなこった。大学図書館の閉架書庫だぜ。ワンダーランドだぜ。
2年休学期間を有効利用したのち(当時の国立大は休学したら授業料をとられなかった)、時間切れで学籍を失った。大学図書館に出入りできなくなった。大学には未練なかったが、図書館に入れないのは悲しかったな。

それからというもの、先月書いた通り「本は買うもの」と決めていたのであまり図書館とは縁のない生活を送っていたのだが、3年前にここ(アパートメント)に『飛脚シナプス』**『旗振山へ』*** 等の文章を書いたとき、旗振山関連の本を探すのに付近の図書館の在庫検索をした。すると宝塚市の図書館に何冊かあることがわかり、会員登録をして久しぶりに図書館に足を運んだ。以来、住んでいる尼崎市と隣の伊丹市、職場のある西宮市でも図書館利用券を作った。図書館は楽しいな。久々に思い出したよ。
自分の住む兵庫県に県立図書館はないのかと調べてみたら、はるか50km隔たった明石市にあることがわかった。50km、自転車漕ぐのには楽しい距離である。近いうちに漕いで行ってみようと考えている。

・・・・・・

[ 注 ]
*)『種を蒔く』
**)『飛脚シナプス』
***)『旗振山へ』
そして中学時代のカマウチの「読む」話。→ 『読む
(ついでに読んでみてね)

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

人生をはじめてしまったら
殆どの人は間のあくことなく、連続する時間を生きることとなる。
意識のない数年間、などが挟まる場合はかなり稀である。

毎日毎日、毎日毎日、1日ずつ増えてゆく体験や情報。いつしか、若い頃を思い出すことが急激に減った。
自分は「地元の友達」と呼べる友達との関係がリアルに続いているのは1人だけで、あとは殆どが大人になってから出会った友人である。

そのため、話題にすらのぼらない10代やそれ以前の記憶を呼びさますことがなく、どんどん忘却しているのだろう。
お世話になった学校の先生の名前も、あんなに楽しかった高校生活の記憶も、もはやこの頭の中にあるとは思えないほど遠いものである。

自分にとって図書館の記憶が最も強いのは、多分中学生の頃なのではないかと思う。
図書館ではなく図書室か。
と言いつつ、頭の中に朧げに浮かぶ図書室の風景が、小学校のものであったか中学校のものであったかわからなくなってしまった。
階段を上がった先に、右側の扉を入ると、左が窓。右にカウンター(だった筈)というところしかもう覚えていない。
黒い遮光カーテンがかかっていた気もする。
何階にあったかもわからず、一階でなかったことだけが確かだ。

本が好きだった。
熱中して読んだ。
小説も、エッセイも、ちょっとした実用書や仕事にまつわる本なんかも。
だがもう今は、本を読みすぎて頭痛がするまで読んでいた頃がある、という記憶があるのみとなった。
本も滅多に読めてないし、そんなに何かに熱中することも少ない。

様々な記憶と共に、情報としては覚えていても実感の伴う記憶でなくなってしまった沢山のことをたまに想う。
読書への熱は、まさにその最たるもののひとつだ。

字を読むと目が滑り、頭の中に読んだはずの情報が届くことなく流れてゆくことに悲しくなる。

こう書きながら、学年で一番の図書室利用者だった頃のことを少し思い出した。
それでも、あのかじりつくように読んだ日々の感覚はとうに戻らないのである。読み漁った作家の名前も忘れたのである。

そんなわたしはカマウチさんの"読みっぷり"を綴られた文章を読むと、いつだって本当に羨ましくて、読めていた頃を少し思い出しては毎度羨望の眼差しをむけてしまう。

今回はカマウチさんの図書館の記憶にふれ、自分の記憶の一角に触れたことで思い出した話を添えます。

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