入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

まさつけいすうのものがたり

長期滞在者

hhhmy

以前、このアパートメントに当番ノート第7期火曜日担当として書いていたときの文章に『摩擦係数 (μ) 』というのがあります。

皮膜一枚の内と外。
自分と世界を隔てるもののあやふやさ。
でも人はこの皮の中で生きて死んでいく。
物理的な意味でも、陳腐を承知で比喩的な意味でも、自分と世界の関わりはこの皮に生じる摩擦係数の物語である。
その摩擦を、親和を、振動を、温度変化を、痛覚を、愉楽を、違和感を。
それが頑健であったり、逆に儚く溶け失せたりするさまを。
記録していく。

そのとき書いた上記の言葉が、その当時一番重要に思っていた「写真を撮る意味」なのでした。
5年経って考えが変わったかと静かに考えてみたら、やはり根本のところ、そう思って今でも写真を撮っているのだと思いました。

勝山信子さんと2年ぶりに二人展をします。
前回あえて『タイトル未定』というタイトルで、二人の写真を混ぜた展示をしました。
僕は写真にタイトルとか要らないと常々思っているほうなので、今回も『タイトル未定 2』でいいのでは? と思ってたんですが、勝山さんから提案があり、タイトルは『写真』にして、それぞれ思うところをルビにして振ろう、ということになりました。
タイトル『写真』。恐ろしいことを考える人です勝山さん。

勝山さんの方からは「life / tranquilizer」という衒いのないタイトルが来ました。
うおお。
自分が写真を撮る意味は何だろうかと、しばらく考えましたが、やはり上記の摩擦係数の物語、というのが一番近いのだと思いました。
ルビなので漢字使えないのが辛いですが。まさつけいすう。わかりにくいな。

DMKK1DMKK2

勝山信子+カマウチヒデキ『写真』

2018年11月11日(日)−17日(土) [ 水曜休廊 ]
ギャラリー・ライムライト
〒558-0053 大阪市住吉区帝塚山中4-1-4
tel : 06-6625-9162
http://gallerylimelight.web.fc2.com/
入場無料

・・・・・・

余談になりますが、人は自分の皮膚の中で生きて死んでいくのだなぁと思ったのは、以前傷害事件を目の前で見たときです。20年くらい前だったでしょうか。
目の前といっても僕は建物の3階か4階あたりの窓から下を見ていて直近というわけではないのですが、眼下の路上で言い争う声が聞こえ、数人の男が揉み合っているのを見ました。そのうち一人の男が刃物で下腹部を刺され路上に転がりました。刺された彼は安全靴のような編み上げの靴の中にズボンの裾を入れていたので血の出て行きようがなく、自分の血でズボンが膨らんでいきます。
刺した男たちは逃げ、すぐに呼ばれた警察官と救急隊員によって彼が担架に載せられましたが、担がれたときに作業ズボンの裾がブーツから外れ、血の袋になっていたズボンからドバっと血液が溢れ出ました。
ああ、寺山修司が人間なんてただの血が詰まった袋だ、と言ってたのを思い出し、さらにズボンまで血の袋になってたなぁ、二段階の袋だ、と笑えもしないことを考えました。

すみませんあまり関係のない話でした。
別にそんな凄惨な写真を展示するわけではありませんので、安心してご来場くださいますよう。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

二人展の面白いところのひとつに、それぞれが普段の取り組みとして創っている世界(立ち向かっている世界)の軸が少し傾く(ように見える)ところがあるように思います。

作り手が、「もうひとり」という相手を意識することによって、幾らか、寄せたり離れたり、傾きを見せるところ。

それに、鑑賞者が、比較対象として「もうひとり」がいることによって、傾いていたり、一方を普段より明るく見たり暗く見たり、錯覚のようなものを覚えること。

そういう傾きを感じるには、普段のそれぞれの(または片方の)世界を知っていることが前提になりますが。

同じ作家の作品を長年にわたって鑑賞するときには、いくら頭の中をクリアにして、目の前のそのものだけを見ようとしても難しい。
(先入観や、これまでの作品から受け取って積もったものをもって自分はその作品の前に立っているわけで。)
それは別に悪いことではないのだけれど、そのフィルターによって気づかないものがあっては勿体ない、と、思ってしまうわたしなのです。

作家も変化しながら作品を作っているはずで、過去の作品をガイドにすることで見えやすくなるものもありますが、そればかりでもないよな、と思います。

誰それがつくったもの、だなんていう、速度標語みたいな意識を捨てて、ただ聞こえた速さで、そのものの放つ音で、踊れるか否かを決めればいい。そう思ってもなかなか難しいものです。

二人展というものは、そうして傾きを生むことが実際あったり、傾いて見えたりという錯覚ができたり、普段の作家の「普段」ではない面が鑑賞者にとっても見えやすかったりします。

そういう楽しみがあり、勿論普通の、いつもどおりの鑑賞方法があり、その鑑賞方法の間を行ったり来たりもしながら、波に攫われるように転がされる景色の心地よさを知っていて、わたしは二人展というものを見るのがとても、好きなのです。

カマウチさん・勝山さんの作品は、レビュワーは約8年ほどの展示のほとんどを見させていただいております。なかなかの年月で、枚数です。

それぞれを長く好きで見させていただいているお二人の展示なので、今回もとても楽しみにしています。
お近くの方もそうでない方も、ご都合つく限りのご来場を強くお勧めします。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る