スケッチブック
今、踊るということ(9月1日) 気づけば夜通し 踊りの動画を見ていたいま踊ることを 考えていた色々と探して結局 街のジムに通い始めた いま踊ることを 体が求めている内に籠るものの 発露を求めている 何が籠もっているんだろう とも考える 言葉で縁取る前の 前の もっと前のものそれはどろっとしていて ぐるぐるしているもの 言葉にする必要もないものそこから言葉をとりだすには、 たぶん 川の水が泥を洗って…
当番ノート
重厚なパイプオルガンの音色は、澄み切った余寒の空気と相まって、礼拝堂の荘厳さをより引き立てるように鳴り響いていた。呼ばれてそこにいるはずの自分が、どうにも場違いに思えてならない。仲春の陽射しを柔らかく透かすステンドグラスを見上げ、ひとり呆然と立ち尽くしていたのは、26歳の私である。 「キリスト教のお式は初めてですか?」 振り返ると、こちらに微笑みを向ける、白髪頭をきれいに整えた男性・Mさんの姿があ…
長期滞在者
束の間の休暇は、久しぶりに海へ。 神奈川県には10年以上住んでいたのに不思議と愛着がわかず、東海道線に乗りながら「本当はもっと遠くに行きたい」と思っていた。けれど江ノ島や鎌倉を歩いていたら、いつの間にか「このへんで良い物件はないかな」と考えはじめている自分がいる。 海に近い土地から離れて8年経つ。いつかまた海を身近に感じられる場所でと思っていたのが、急に芽吹いたようだった。 ただ広い、大きな海があ…
当番ノート 第53期
10年前の夏休み。20歳になった私は、年の近い弟とともに、祖父の家を訪れた。 帰省するたびに祖父は「勉強は頑張っているのか」と問うのだけれど、こちらが答える前に、いかに不眠不休で勉強を頑張って要職に就いたかという長い話が始まる。これが本当に長くて、しかも、同じ話を繰り返ししゃべっている。私と弟は、いつ終わるのだろうか、なんて考えながらただひたすらに待っていると、やがて、スピーチが終わる。 長かった…
当番ノート 第53期
娘へ。 きみの撮るわたしはやっぱり盛れてない。普段どれだけ美化して撮影しているのかがよく分かる。 わたしが女じゃなければこんなに写真映りに一喜一憂しなくて済んだのかなあ、と思ったことも少なくない。ルッキズムの呪いは、生まれる直前に「おまえは女の子?じゃあ、はい。これも持っていきな」と神様に持たされてしまったんだろうか。 きみの性別が女の子だと分かった時、わたしは少しの恐れを感じずにはいられなかった…
当番ノート 第53期
「ビクトリアは天国だ」と、会議の受付をしていたカナダ人が言った。 カナダ西海岸の南端にあるビクトリアは、カナダのあらゆる都市の中で最も気候が穏やからしい。緯度でいうと北海道よりも北にあり、10月下旬の気温は東京の12月はじめほど。しかし師走の喧騒はなく穏やかな秋である。 ビクトリアではこれから冬を迎えても、川が凍ることも、雪に閉ざされることもない。そのカナダ人によれば、内陸では冬、人家のない雪原で…
当番ノート 第53期
「出来事」という言葉がずっと気になっています。たぶん2012年ぐらいから気になっています。世間で起こる(いろいろの)こと。出来事の連続で今日1日が終わる。私の人生も、この社会も出来事の連続でこれまで続いてきたんだな、明日もいろいろな出来事が起きるんだろうなと思います。まあでももうちょっとこの言葉について深く考えてみたいと思っていたのです。出来事はローマ字で書くとdekigotoですが、これが英語だ…
当番ノート 第53期
何年か前、横浜港に面した飲食店で歓談していたときのこと。同席していた知人は、港の向こうを指さした。 「あのホテルの〇階の〇号室、友達の親御さんが施工したんだって」 知人がどんな意図でその話を出したのか、前後にどんな話をしていたのか、そしてどんな思いで当時の私が聞いていたのかも、残念ながら失念してしまった。しかし、なぜだかその言葉がずっと私の脳裏に焼きついて離れず、横浜を訪れるたびに思い出している。…
長期滞在者
フランス語でお茶はThé(テ).たった一音.簡潔で気持ちのいい響きだ. 紅茶ならThé noir(テ・ノワール)、緑茶はThé vert(テ・ヴェール)、白茶はThé blanc(テ・ブロン)、烏龍茶はThé oolong(テ・ウーロン)、とても簡単. 私のお茶好きは親しい友人なら誰もが知るところだ.今、キッチンで目に入るものだけでも30種類はあった.毎日ざんざん飲むので茶葉が古びる暇もない. *…
当番ノート 第53期
冒頭、長い言い訳から始めることをお許しいただきたい(誰にだろう)。そして、もしかすると言い訳のまま終わってしまうこともあるかもしれない。重ねてお許しいただきたい。 自分のことを書いたり説明したりする行為はひどく難しい。いくつかの外的要因によって「それまでの価値観・人生観」なんて一気に変わったりするわけで、いつもと変わらず生活しているにもかかわらず、唐突に、予期せぬ自分に出会い続ける人生。 ふと「あ…
当番ノート 第53期
6歳の娘がわたしの写真を撮っている。わたしが、じゃない。娘が、だ。 「自分の外側」を、いつも鏡で見ている。似顔絵にするには特徴の無いこの顔と32年間付き合ってきた。 正直言うと飽きもある。最近は加工可能なカメラアプリが主流になっていて、顔の形や瞳の色まで自由に変えられる。どうやら人々はみんな、「どれが真実の自分か」に重きをおかなくなったようだ。 だから娘が突然自宅にあるカメラを持って「これどうやっ…
鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
死にたさはとつぜん訪れる。自分が能動的に「死にたい」と望むというより、雨や落石のように、「死にたさ」という形のあるものが否応なく降ってくるような感覚だ。大人になって多少受け身をとるのがうまくなったりしたかもしれないけれど、とはいえいっぺん来てしまうともうどうしようもない。しばらくのあいだは重たい死の引力と、「でも、確か死なない方がいいらしい」という心もとない憶測とのあいだでのたうつことになる。 原…