前回に引き続き、エプロンお直しの話。カフェのユニフォームとして2年以上使い続けてきたエプロン。コーヒーをハンドドリップで淹れる、ちょうど胸やお腹のあたりにシミがいくつもついて、クリーニング屋さんにも「これ以上シミ抜きすると生地が痛んじゃうな」と言われ諦めていたもの。2着目は一転、プロにお願いしてみようと思い立ち、長く気になっていた染め屋さんを訪ねた。
伺ったのは、京都市の中心部にある馬場染工業。場所を調べると、西陣の外れにある我が家から徒歩30分強だったので、ベビーカーを押してえっちらおっちら歩いて向かった。京都に暮らし始めて1年ほどになるが、新しい道を歩くと、未知なる老舗工房(と、そこにかかるかっこいい看板)にいくつも出くわして楽しい。西陣織りもそうだけど、日本の繊維産業は、本当にたくさんの職人の分業に寄ってできているんだなあと、この1年で見聞きしたばかり言葉で思う。この工房では、染めの中でも黒染めだけを専門にしている。
5代目で染師の柊屋新七さんに工房の中を案内して頂いた。これは、先祖代々伝わる黒の染料。継ぎ足し継ぎ足し使っているそうだ。墨より黒い「土はついてまへん」と言う。木の蓋も、見事な黒に染まっていた。あんまり匂いはしなかった。
先代の時代にはなかった仕事
竹でできた道具も芯まで真っ黒に染まっていた。軽く50年以上は使っているらしい。これは、伸子(しんし)という道具を使って、絹の反物を染める準備をしている様子。もちろんだけど元々は、着物の布ばかりを染めていた工房。染め直しは、お客さんからの依頼を受けて取り組みはじめ、10年ほど前から徐々にメニュー化してオーダーを募るようになったという。
染め直しの依頼を受けた服は、一着一着手書きのカルテを書き起こしている。ちなみに受付は、スタッフに任せず新七さんが一人で行う。パッと見てできるできないを判断するためだ。これは私の持ち込んだエプロン。シミの位置なども詳細に記録されている。「素材は恐らく綿だけど、手作りのモノなので確かではありません。生成色に青いポケットと肩紐。仕上がりの色の違いは問題ないです」と、受付時にお話ししていた。
そして待つこと数週間。できあがり!黒い。ドーンとしている。全く別物になった。頭では理解していたつもりだったけど、完成品を受け取った瞬間「わぁ別物」と思わず感嘆の声が出た。黒ってなんて綺麗なんだろうと思った。先代がその職人技でようやくたどり着いた烏の濡れ羽色の黒。これで黒染め業界をあっと言わせたというのも、少しだけわかった気がする。本当に綺麗な、上物の黒。
実は最近、染め直しのオーダーが急増していて、全国から依頼品が届くという。これは素材ごとにグループ分けをされ、順番を待つ服たち。朝から夕方まで釜を焚いて、丸一日かかってだいたいこの量を染めるという。ナイロンも染まるし、ダウンも染まるんだなあ。
娘や孫のための染め直し
洋服は、バブルの頃、90年代ぐらいまでのものが、生地も縫製技術も段違いにいいと新七さんは言った。着物も、手で彩色して刺繍した、昔の何百万円してたモノに対して、今はセットで十万円程度。だから「昔の服を娘や孫に着せるっていう方がむっちゃ値打ちあると思います。」着物の染め直しの依頼は、手間がかかって高い分、やって値打ちのあるやつは受けるけど、「値打ちのないやつは『やめとき』って言うたげます。」どこまでも誠実な方だ。
染め直しの依頼は、リピーターの方からのものが多いという。それは納得。本当に綺麗な黒に染まって、服そのものが生き返る様を私たちは目撃してしまった。色あせてしまって着れなくなる洋服も案外に少なくない。ああ、あのワンピースも染めてもらいたいと、もうすでに考えはじめている。
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梅雨のはじまる少し前、祖父が二人、相次いで亡くなった。突然のことだったけど、長い月日の中でどこか心の準備が出来ていたのか、諦めたような受け入れたような、こればっかりは順番だもんねという気持ちにもなった。人の死は案外に呆気ない。流れるように、湯灌して、お経をあげて、火葬、納骨。あっという間に祖父はいなくなってしまった。たくさんのモノや服や家が残った。わたしたち家族が残った。ひ孫を抱く二人の祖父の嬉しそうな顔を私は鮮明に覚えている。またね、と言って祈るようにお別れをした。