「しょぼい喫茶店」での勤務は、基本ワン・オペレーションである。飲みものやケーキは店にあるものを提供するが、食事は自分で工面していいことになっていた。なので、メニューの考案から食材の買い出し、下ごしらえから盛りつけまで、すべて日替わりの店員たちが自力で行う。わたしも月替わりで夕食メニューを作っていた。
メニューを考えるにあたって、ルールをいくつか決めた。まず、多少量を少なめにするかわりに、アルバイトをしていない学生でも食べられる値段で出すこと。だいたい一食五百円くらい。大量に仕込むわけではないのでどうしてもチェーン店のようなお得感は出せないけれど、若い人でも注文できて、おなかが減った大人はおかわりしてもよくて、お酒が飲みたい大人ならおつまみ一品くらいでもある値段、というつもりだった。自分もつねにお金がないから、値段設定で誰かを拒むことは避けたかった。
それから、できあいでないこと。野菜も肉もみんなその日に生で買って、和食なら出汁を引くところから作る。化学調味料や冷凍食品を使わない。できるかぎり季節のものを使う。これは元を正せばただ料理が好きなだけ。ただ、そのおかげでひとり暮らしの若い人が「人の作った料理ひさしぶりに食べました」と言ってくれたり、年配の方が喜んでくれたりしたので、いつの間にかルールに加わっていた。
そうして作ったもの、親子丼、ガパオライス、茄子の照り焼き丼、ミートボールライス、春と秋には季節の炊き込みごはん(お吸物つき)。ごはんものばかり作っていたので、しょぼ喫で働く日には毎日ごはんをたくさん炊いた。
わたしが仕込みの時間をとらず、店に着いた瞬間にお客さんを入れてしまうせいで、席がちらほら埋まりはじめてからやっとごはんが炊きあがる。炊飯器をあけると、うす甘くしめった湯気が立ち、お客さんもいっしょにそれを見ていた。
喫茶店のカウンターのなかにいるとき、わたしにできることはかぎりなく少ない。なにか話を聞かせてもらってもたいしたことは言えないし、注文もよくまちがえる。「詩人として喫茶店に立っている」と言い張っていながら、とくに詩を書くわけでもなく、もっぱらぼんやりしている。
そんなふうだから、料理を作って出すのは、わたしにできる数少ないことのひとつだった。
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人を集める仕事をしているとよく誤解されるけれど、わたしは人見知りで、会話もさほど得意ではない。誰かと会うのは好きとはいえ、会ってなにがしたいわけでもない。そのわたしがなぜわざわざ喫茶店に立ち、自分の名前で場所をひらいて人と関わることにしたのか。
そこを考えていくと、かならず自分の下心に行きあたる。すなわち、お客さんになにかして”あげたい”とか、もっといえば自分が必要とされたいとか、そういうこと。”あげたい”なんて傲慢で最低、必要とされたい、なんてほとんど性欲であって、これを下心と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
そこと付きあい続けるのは恥ずかしくていやになる。それでも、どこかでわたしの矮小さを超えた何かが起きることを期待して、カウンターに立ち続けていた。それはいつもわたしの力の及ばないところから来るから、そうするほかなかった。
料理を作って出すときにも、自分の下心にすれすれで触れてしまう。
「おいしい」と言ってもらえると、うれしかった。議論するわけでも、かといって肌をふれあわせるわけでもない、味覚を中心にコミュニケーションをとっているようなシンプルさもうれしい。ほめてもらってうれしくなるのもちょっときまりが悪いけれど、間に料理が挟まるおかげで、そのくらいなら自分に許してもいいと思えた。
わたしの作った食事がその人の生命を救うわけではない、それは当たり前。しかし同時に、この食事も生命維持の一部を担っている、とも言える。その気やすさと重大さが、それぞれ日常の食事のなかにはある。
だから、わたしにとって食事を出すのは、お客さんとの関係を作りはじめることだった。そしてそれは、危ない橋にちょっと足をかけてみるような、胸の高鳴ることだったのだ。
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感染対策で外出が減り、家でも料理をすることが増えた。菜の花を湯通ししてすぐに冷水にさらすと緑色に血が通うのも、鶏もも肉を刃で割っていくときの快哉さも、しょぼ喫の台所で作るのと同じだ。
でも、当然食べる人は違う。いま作っているのは、お金にも変わらないし、はじめて会う人とのあいだに置かれることもない、自分と家人の栄養を補給するための料理だ。
ふと、しょぼ喫でお客さんに「人の作った料理ひさしぶりに食べました」と言われたことを思い出す。そのときは、ああ、ひとり暮らしだからコンビニや外食がほとんどなのかな、と軽くかまえていたが、違うのかもしれない。だいたいしょぼ喫だって外食なわけで、そう納得するのはおかしい。
特殊な点があるとしたら、しょぼ喫のお客さんはおしゃべりで、あれこれ話している人が常にいて、初対面の人どうしでも雑談や盗み聞きが容易なこと。それから、メニューが月替わりで常に一種類しかないから、食事している人はみんな同じものを食べていること。これがなんとなく家っぽさを生んでいた。だからだろうか。
いや、「人の作った料理」というからには、環境というよりは料理そのものか、あるいは、わたしになにか要因がありそうに聞こえる。
そう思うと、ちょっと情けない仮説に行きつく。もしかして、もしかしたら、わたしの下心はまるっきりばれていたんではなかろうか。
自分と家族のために料理を作るのと、お客さんのために料理を作るのとでは、食べる人が違うと言ったけれど、逆に言えばほかには何も変わらない。わたしが作りたかったのは、「食事を作って誰かを待つ」というイエ的な機能だったのかもしれない。
事実、「食事を売る-買う」だけでお客さんとの関係が終わることはほとんどなく、そのあとにはたいてい会話がはじまった。それはより複雑な関係で、下心をおそれながらも、わたしはいつもそれがうれしかった。言葉や会話には、直接お腹を満たすとかおいしい思いをさせるとかいうことはできないけれど、それでも、そこからなにかがはじまるのが見たかった。
ある食事を「人が作った食事」と呼ばせるのは、その複雑な関係なのではないか。わたしがなんやかんや言いつつ結局そのために料理を出していたことは、お客さんにも伝わっていたのではないか。
そう思うと、やっぱりきまりが悪い。そして同時に、「伝わる」ということの希少さに、目がさめるような思いがする。適切な自律と他者との適切な距離を装いながらも、単に「伝わる」ということをこそ、わたしは希求してきたのではなかったか。そう、期待したことはいつも、わたしの力の及ばないところから来る。
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メニューが炊き込みごはんの日は、炊飯が終わるのがひときわうれしい。炊飯器をあけると上がる湯気から、出汁のいいにおいがするからだ。わたしが「わーい!」などの適当な発語をすると、お客さんも「わーい!」という。
忘れてはいけないのは、食べものや料理はそもそもとてもすばらしく、それを他人と気やすく共有できるのもすばらしいということだ。わたしたちはときどきその比類なき良さにすっかり負けて、ほうれん草やきのこに気をゆるしてしまう。その力をいつも借りていたと思うと、ちょっとズルだったかもしれない。