タラフ・ドゥ・ハイドゥークスとわたし vol.1

いとでんわ 第2期(2011年12月-2012年1月)

レゲエは聴かないがボブ・マーリーは好き。とか、タンゴは聴かないけどピアソラは好き。の、ような感じで、ジプシー音楽は知らないがタラフ・ドゥ・ハイドゥークスの音楽はどこかで聴いたという人も少しはいるだろうか。もしあなたがジョニー・デップのファンなら、彼がこのバンドのファンを公言していることや、彼の出ている映画にもこのバンドが出演していることを知っているかもしれない。“Taraf de Haidouks(タラフ・ドゥ・ハイドゥークス)”(以下タラフ)「義賊の楽団」という意味らしい。今回次回とこのルーマニアのジプシー楽団との出逢いについてお話したいと思う。

ルーマニアの首都、ブカレストから南に40km。人口3000人程というクレジャニ村出身の楽団。20代~70代までの十数名。何人いるかわからない。というよりは、この村の映像を見ると村の老若男女ほとんどが凄腕の演奏家なので誰でもメンバーになり得る感じ。演奏する楽器はヴァイオリン、アコーディオン、コントラバス、ツィンバロムという弦打楽器など、全て電気なしで演奏できる楽器。歌い手も何人も居た。

わたしとこの楽団との最初の出逢いは、ロマ(ジプシー)についての映画しか撮らないトニー・ガトリフ監督の「ラッチョ・ドローム」という映画だった。映画の中でタラフは圧倒的な存在感でわたしの中の在りもしないはずのジプシー魂を昂らせた。下がその動画。

一遍に魅了されたわたしはいつかタラフと出逢いたいと思った。それが2000年頃だったろうか。
当時、わたしは京都にいて、定年真近の不良公務員Gさんとレコード屋をやる計画を立てていた。わたしは販売するCDの推薦文を書くのを担当したいと思っていてGさんに申し出た。そして彼が試しにわたしに託したCDの一枚がたまたまタラフのCDであったことを、わたしは昨日のことのように思い出す。その計画はわたしが上京することで頓挫してしまうのだけども。(ちなみにGさんは今京都で「エンゲルスガール」という趣味の店をやっている。)

しばらくして2003年の春、わたしはパントマイムや舞台技術を学ぶため、今度は東京からロンドンに渡った。
ロンドン滞在に少し慣れ始めたある日、わたしは街のフリーペーパーの情報で忘れかけていたあの名前を発見することになる。あのタラフだ。それも彼らのシークレットライヴがあることを嗅ぎつけたのだった。しかも無料ライヴらしい。これは一大事。ロンドンでタラフに逢える!ただ、その頃にはバンドの長老で「糸弾きヴァイオリン」のニコライ爺さんは他界していたらしく非常に残念だったが、どちらにせよ観ないわけにはいかなかった。

場所はロンドン中心部のモロッコ風クラブで。ダウンタウンにルーマニアの義賊楽団がやって来る!早速わたしは学友の男連中に声をかけた。おい、グレートでジニアスな奴らが街へ来る!皆で街へ繰り出すぜ!と、拙い英語のヒップホップ口調で唱えたものの、皆半信半疑。そりゃそうだろう。すでに世界的な名声があったとは言え、タラフを知っている人は一部の“ワールド”ミュージック好きくらいのもの。タラフ・ドゥ・ハイドゥークス?そんな舌を噛みそうな名前のおっさんバンドを誰が観に行きたがるだろう。しかしわたしはあの映画の音楽を皆とどうしても共有したくなった。ますますわたしは拙い英語のヒップホップ口調で声を荒げた。おい、ブラザー!コイツをトゥナイト逃したらおまえら一生後悔するぜ!と、いうことで、四人くらいは揃ったか。

夜9時スタートだったが、8時過ぎには現地に着いた。どうやら会場は地下のようで一階入口にはスーツ姿のでかい黒人の門番が。かなりセレブな雰囲気の小洒落たお店のようだった。まぁ汚い学生が行くような場所ではない。とにかくその門番に恐る恐る掛け合ってみると、下から上まで舐めまわすようにメンチを切られる。ジスイズ蛇に睨まれた蛙。どうやらドレスコードがあった模様。むむむ。何とかパス。しかし、「おまえらここはカップルでないと入れねぇぜ!」とのこと。なんと!直ちに男どもはモバイルフォーンで学友の女性陣に連絡。何とか30分後くらいにイヤイヤ女性陣到着。アンタたちわたしたちの夜のエンターテイメントをちゃんと保証してくれるのね?という視線が痛い。

兎にも角にもどうにか入店。狭い階段を下りると、そこはドレスアップした大人な男女たちの気取ったパーティー会場だった。きらびやかな装飾が施された黄金の丸テーブルが並び、高級シャンパンがトクトク注がれてゆく。さほど広くない店内はごった返していた。ますます肩身が狭い我ら小汚い学生たち。隅の方で地べたに三角座り。もとより一杯10ポンドからのワインなんて飲めるはずもない。それから9時…9時半…10時になっても一向にタラフが来る気配はない。皆のキリキリとした視線が一斉にわたしに浴びせかけられる。ぬわあぁ。タラフ頼むでぇ!

待ちくたびれて10時を過ぎた頃、一階入口の方がガヤガヤし始めた。まるで溜まりきった音楽が耐えきれずに破裂するように一糸乱れぬ演奏が一斉に弾け出す。タラフのメンバーがひとりずつ狭い階段を演奏しながら降りてきたのだ。いきなり会場のボルテージが急上昇する。ひとり、またひとり、と降りてくる。何人いるかもわからない。おいおい、入りきるんか。どんどん降りてくる。すでに超満員の店内。先に入ったメンバーは演奏しながら奥のトイレの方まで移動してゆく。階段から店内奥のちょっとした広間、そしてトイレまで何人いただろうか。もう誰が演奏者で誰が客なのかも判別がつかん。凄まじいエネルギーと観客の阿鼻叫喚。全て生音の演奏である。三角座りしたまま失神しそうになる小汚い学生たち。

ちょうど自分が座っていたほんの20㎝前が歌手の立つ舞台の中心となった。一曲ごとに入れ替わる歌手のおっちゃんたち。凄まじい声量。空気が震えて耳がうなった。その声量を支える漫画のように突き出たお腹。そのお腹の上に乗るミッキーマウス柄の黄色いネクタイ。全てが鮮烈なイメージとして記憶されている。メンバーの中で特に強烈だったのはメインヴァイオリンの浅黒い肌のおっちゃん。まさに超絶技巧。身もだえするくらいの速さ・正確さ。弓の先がまるでフェンシングのように空を切る。狭い店内は踊り狂う観客の熱気で息苦しい。ついにはある女が興奮を抑えきれず前へ飛び出してくる。何をするかと思えばこの女、そのメインヴァイオリンの浅黒いおっちゃんの胸ぐらにいきなり札束を突っ込んだのだ。おいおい。演奏中にでっせ。するとこのヴァイオリンのおっちゃん、満面の笑顔とともに次の瞬間、演奏が倍速になる。もはや動きが早すぎて見えない。しかしいい顔するねんなぁこのひとたちは。演奏のための演奏を一切やっていない。演っている音楽が音楽をつきぬけてしまってもはや音の乗り物みたいだ。マイナーとかメジャーとかでなく全てのキーが泣き笑いのスイッチなのだ。

音楽が人を救うかどうかなんて話題はあほらしい。ただ、音楽によって喜怒哀楽は叶えられるということがわかった。喜怒哀楽どれひとつ欠けても生のエネルギーは完全ではない。その全てがタラフの音楽によって叶えられる瞬間を目撃したのだ。熱狂の渦が終息した頃、小汚い学生たちはもぬけの殻であった。学友たちはわたしの目をしっかり見て言うのだった。きみが今日この場に連れて来てくれたことを一生忘れない。

あの晩、わたしたちは音楽的可能性の極致を知ったのだった。

-つづく-