時間切れ。

第1期(2012年2月-3月)

今日みたいな中途半端な季節は一年の間に何度か訪れる。
真冬は終わりに近づいているし、だけど春にはまだまだ遠い。

先週からシベリア上空から強烈な寒波が来ているらしく今年は雪の日が多い。
けれど、今日はパーフェクトに晴れている。
アパートメントの屋上からは青空に飛行機雲がストレートに伸びて行くのがよく見える。

さっきから紙飛行機の翼を調節しながら、リタとルチェがひなたぼっこをしている柵を超さないギリギリに
まっすぐに飛ばしている。
紙飛行機をゆっくりとまっすぐに飛ばすにはちょっとしたコツがいるのだ。
リタとルチェはまさきさんちのネコ。僕と同じで屋上が好きらしくここでよく会う。

「杉山さん、お願いがあるんだけど。」
管理人のかおりさんはダンサーの癖なのかいつも足音が最小限だから近くに来ても気づかない。
殺意があればきっと気づかぬうちにあっさり背中を刺されているだろう。
それくらい気配を消すのがうまい。
いつのまにか屋上に上がって来たかおりさんから次回の劇団のパーティの手伝いを頼まれた。

「料理か、軽トラックの運転か、写真撮影か、DJか、受付。どれかひとつお願い。どれが得意?」
どうやら引き受けることが前提のようだ。
「いいよ、どれでも。どれもある程度できるから。」
「どれでも? ある程度? 全部出来るの? DJも?」
「うん。全部。ある程度だけど。」

ふーむ、それは便利ですねぇ。そう言って片手をひらひらさせながら階段を静かに降りて行った。

***

あの時から胸に刺さったきりの小さな棘がチクッと痛んだ。

学生の頃はモテた。「ある程度」。
高校時代のバレンタインデーは毎年15個くらいのチョコを義理とそうでないのも含めて貰った。
突然通学電車の中で渡されたり、駅で待ち伏せされたり。
100個でもなければ0個でもない、15個。

高3の2月14日。バレンタインが本気のイベントのきっと最後の歳。

中高一貫教育の有名なお嬢様学校に通う同じ学年のクミコと時々そうするように通学電車で隣に座った。
クミコの父親は弁護士で、母親は元国際線の客室乗務員。
環境が良いという理由で、中学に入る時に都内からこの海辺の街に引っ越して来たという。
クミコは成績が良く、全てがあか抜けていて
校則でふたつに結んだ髪と黒いタイツがこの辺りではちょっと目立った美しい少女だった。
二人とも朝早くから都心の学校に通うものだから、いつしか会話が始まり、小説を貸し借りするようになり
タイミングが合えば一緒に通う仲になったのだ。
同じ長距離通学の男子校の僕と、女子校のクミコ。自然な流れだったと思う。

その日も一時間半ほどの通学電車をクミコと隣合わせて行く間に、途中から乗車してくる他校の知らない
女生徒たちから「はいっ!」と渡される可愛らしい包みのチョコを別段感慨もなく「ありがとう」と受け取り、
クミコもその度開いた本に目を落とし、他人の振りをしていた。

クミコが降りる駅が近づいた時、鞄から出したシックな包みをセーラー服のプリーツの上にきちんと置いてゆっくりこう言った。

「ね、けいくん、たくさんチョコ貰ったわね。私のは他の子のと違うの。分かる?私の3年間の責任持って受け取れる?」

”責任”という二文字が宙に浮き10秒間躊躇した。クミコは目を閉じてからチョコを丁寧にもとの鞄にしまった。

「はい。時間切れ。あなたはきっとずっとそうやって生きて行くのね。全部ある程度で誤摩化して。」

靴音もたてずに改札口を抜けて行った後ろ姿をなんとなく目で追っていた。
それから何度か同じ電車に乗ったけれど、一度もクミコの姿を見かけていない。