ルーマニア徒然 - 豚の屠殺

第21期(2015年6月-7月)

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 ルーマニアのクリスマスは豚の解体から始まる。朝目覚めると村中の犬が吠え立てており、至るところから豚の叫び声が聞こえる。暫くすると5,6人の村の男衆が足早にやって来て、家の者に一言も告げず真っ直ぐに豚小屋に向かい、紐で縛った豚を引き摺り出す。豚は白い湯気を立てながら耳を劈く叫び声を上げ、必死に抵抗するも虚しく地面に倒される。首にナイフを突き立てられ、ものの数秒で死んでいく。遠くで聞こえる叫び声は断末魔かと思っていたが、ナイフで突かれた瞬間叫び声は殆ど止んでしまう。赤黒い血が地面に流れ、白い湯気がもうもうと立っている。時にゴポっと音を立てて喉から血が流れ出す。その光景は余りに凄惨で、同時に余りに静謐だった。家の者はツイカと呼ばれる梅から作った蒸留酒を男達に出し、彼らは口々に祝いの言葉を述べながら一息に飲み干し次の家に向かう。足早に、豚の生と死の躍動と、喉を焼くツイカの熱さと乾きと、赤い血と湯気の白さとがが奏でる狂気染みたリズムに駆られるように。


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豚の屠殺団。僕の友人はこの日9頭殺し、9杯のツイカを飲んだ。夜べろんべろんだったことは言うまでもない。




 殺された豚はものの数秒で生命ではなくなる。先程まで完全な調和によって全ての器官が機能し躍動する生命だった彼は、喉を突かれ暫し痙攣を繰り返した後は単なる肉袋となる。彼はもはや豚ではない。豚が豚肉に変わるその一瞬の余りの呆気なさを見て、人が糞袋となる一瞬がどうして同様に呆気なくなかろうかと思わざるを得なかった。人が人の振る舞いを、知性を生命を歴史を、美化し讃えようとする馬鹿らしいほどの努力の空しさを思った。街を見渡せば綺麗な身なりをした人が沢山いて、皆自分が如何に崇高な存在でいられるかに腐心しながら歩いている。皆優れた存在でありたくて仕方が無く、綺麗な家に帰り、抗菌処理された洗面所で顔を洗い、見た目に美しい食べ物を拵え、暖かいベッドで眠りにつく。そして豚の屠殺を野蛮だと言って顰め面をする。それが文化的な生活だ。自らを野蛮なものから切り離し、罪のない清潔な存在だと思い込む為の自己欺瞞に汲々としている。そうして自らは崇高な地平で綺麗な空気を吸っているかの如く超然としている。だが残念ながら人間は野蛮なものだ。どれだけ自らを美しく飾り立てようとも、我々が食べているその肉片は、喉を突かれ皮を剥がれ無造作に切り刻まれた汚物の破片に過ぎない。その美しさと美味なることを讃え、「文化的」で「知的」な生活を送っている人もまた、野蛮で罪深い人間の共犯者であり、我々を包んでいるその皮を一枚めくれば顔を出す、目を背けたくなるような痛々しく醜い肉片が、我々自身なのだ。そしてそれは、尊く美しいことだ。人間が単なる肉の塊だということを自覚して初めて、その滑稽さと愛おしさが理解できる。自らを美しく崇高なものだと信じていれば、化けの皮を剥がされないことに汲々として、いつもビクビクしていなくてはならない。開き直れば、世界は気楽なもんだし、時に本当に美しいものに巡り合わせてくれる。皮膚を貫く冬の寒さの中粛々と解体されていく肉の塊を見ながら、そんなことを思った。


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