イメージの海で #3

第22期(2015年8月-9月)

#3 不滅のイメージ(後)

不滅のイメージは聖と俗のせめぎ合いだ。
死のもたらす距離は故人を誰彼構わず尊い存在にしてしまい、美化を押し進めていく。遠く遠く、向こう側からもこちら側からも力が届かない土地へ行ってしまい、そうしてあらゆる力が無効になって初めてこちら側が一方的に結ぶことができる協定がある。もはやペンも剣も持たず、脅威を失った存在は無条件に理想化されていく。

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ところで一方では俗へと引き込もうという動きが常に働いている。生前の作品や仕事と関係のない、生理や肉体にまつわることを持ち出してきて、過剰な理想化や神格化を止めようとするのだ。引き離す死の力への反発がそこにある。
例えば古くはギリシアの哲人達。彼らは思想の基礎を築き、あらゆる分野の知を一身に集めていた特異な存在だったが、後年の研究によって「男色」のイメージを多くの場合マイナスの意味合いで付与された。
「カラマーゾフの兄弟」では、地元の誰からも慕われ、主人公も畏敬の念を抱いている聖職者のゾシマ長老が死を迎える場面がある。徳の高かった彼は、それまでの伝説的な聖人たちのようにまるで生きたまま棺に横たわり、光や芳香すら発するだろうと期待されていた。ところが彼の遺体は信じられないような腐臭を発し、人々は困惑し敬虔な主人公さえ心が揺らぐ。

偉大な人ほど、その反動で俗の要素を暴き立てられる。何がそうさせるのか。安心したいからだ。「彼も人間だったのだ。」というお決まりの結論を、誰もが必要としている。イメージの変容は残された人にとっては必要な儀式でもあり、誰もそれを禁じることはできない。涙の曇りが人間味の幻想を生み、イメージは湿気を含んで膨らんでいく。そこからすり抜けるにはどうすればいいのだろう。

例えば「死ぬ」のではなく跡形を一切残さず「消える」ことによって、常に肉体と結びついた俗から逃れることはできるかもしれない。鳥や猫のように行方をくらまし、朽ちる姿を他人に明け渡さないこと。誰も砂漠の上空で消息を絶ったサン=テグジュペリの静かな不滅に手を出すことはできない。

全く逆の場合ではあるけれど、中世ヨーロッパのメメント・モリの思想から生まれたトランジもまたイメージの中途半端な俗化を拒絶している。自分の墓石に自分が死後腐っていく様子を彫ることで、彼らはイメージの不滅における最悪の状態を自ら先取りしているのだ。それは下地をいきなり真っ黒に塗り潰してしまうようなもので、あまりに強烈すぎてもうそれ以上の塗り替えがきかない。一切の理想化、死へのロマンを禁じる自虐的でストイックな態度に、同じ死にゆく生き物として逆に肉体の現実を突きつけられる。

人々を完全に煙に巻いてしまった例としては18世紀フランスのサン=ジェルマン伯爵の伝説がある。底知れない教養を持ち10カ国語以上を操り、音楽や美術に長け、何より年をとらず神出鬼没だったというヨーロッパ最大の謎とされている人物だ。ある貴婦人は若い頃ヴェニスで40代くらいの彼と会ったが、約40年後パリで再び会った際にも全く年を取ったように見えず驚いたという。ルイ15,16世を含む王侯貴族や文学者によってこうした多数の証言が残されており実在していたことは間違いないらしいが、そこに記されていることは信じがたいことばかりで(ダイヤモンドの傷を消す方法や不老の薬を開発していた、テレパシーを使って自分が必要とされている場を感知した、2000年以上昔の王に謁見した時のことや十字軍に参加したときのことを詳細に話した等)現実と非現実の境がまったく分からない。1784年に亡くなったと伝えられているが、死後もその姿を見たという者が各地であらわれたという。

およそ一人の人間のものとは思えない程の伝承が、彼のミステリアスさを際立たせている。証言者達が示し合わせたか、複数の自称サン=ジェルマン達が時代を超えてそのイメージに加担していたのだとしたらそれはそれで最高だ。かつてこれほど壮大なスケールの個人のイメージの追いかけっこがあっただろうか。彼、あるいは敬意といたずら心で手を結んだ彼らは黙秘を貫き、今のところ完全犯罪を成し遂げていると言える。

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サン=ジェルマン伯爵と彼の伝説に華を添えた人々のように、生死すら飛び越えてイメージを遊ぶこと。聖にも俗にも回収されない人間の不可解さでもって、誰かを魅了すること。時には魔女のように、時には裁判官のように。私たちは無意識のうちに、あるいは自覚的に、脈々と受け継がれる型を振る舞い、イメージの不滅を担っていく。それは所作であったり場であったり、あるいは瞬間であったりする。英雄として自由のために振り上げるこぶし、ファム・ファタールとして男の元を立ち去るときの眼差し、トリックスターとして飛び移るブランコを掴む一瞬。そうして強く遊び、見る者に息を飲ませ、幹に傷を付けながら深くまで走っていくのだ、いつか他の誰かもまた迷い込むかもしれない森を。