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2F/当番ノート

イメージの海で #7

当番ノート 第22期

#7 夢の解釈について(2)

〈 私はある植物について論文を書いた。その著書が私の前にある。私はちょうど、一枚の折込みの色彩図をめくっているところである。植物標本集からとってきたような、乾燥した植物の標本が、一冊ごとにとじこまれている。 〉

これはフロイトが自身の見た夢として報告したものだ。この夢を見た日の朝、彼は「シクラメン科植物」というタイトルの、この夢の論文に関係するらしい書物を見たという。そしてシクラメンは彼の妻のお気に入りの花であり、妻にいつも持って帰ろうと思いながら忘れてしまうことを申し訳なく思っていると述べている。そしてその後に同僚より早く執筆していながらも自身の手柄にならなかったコカインに関する論文の連想を持ち出し、野心を中心とした夢分析が延々と語られる。
しかし後年、エーリッヒ・フロムがこの夢を検討し、彼は薄々気づいている夢の意味を、論点をずらして誤魔化しているのだと看破する。これは野心の文脈で解釈するべきではなく、シクラメンの花や妻に代表されるような人生を、水分を奪って標本化することで蔑ろにしてきたという、夢の側からフロイトへの告発なのだと。フロイト自身は巷で信じられているように性愛に開放的な態度をとっていたわけではなく、むしろそれを研究対象として厳しく自らの心から切り離し、カタログ化してとじ込んできた人だった。「妻に花を持って帰ろうと思うがいつも忘れてしまう」という部分にはそのことに気付いている彼の後ろめたさが滲んでいる。

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そのように、夢は単なる願望の表れではなく、意識に上らないうちになされている洞察からの訴えですらある。人間的に成長するための指導者的な役割も果たしてくれているのだ。例えば、私が昔見た夢の一部はこうだった。

〈 外にいると、地面が割れてガタガタになるほど大きな地震が起こる。電柱につかまって、ジャンプすることで揺れを緩和しようとする。おさまると急いで家に帰るが中も外も薄暗く静かだ。奥にいた母に「今地震あったよね!」と言うが何にも起こっていないよと不思議そうに言われる。確かに何にも荒れた様子はなく、安心と同時に狐につままれたような感じを受ける。 〉

このとき、ちょうど大学の学科変更の試験を一人で受けようとしていたけれど、その大学ではめったにないことで人にも相談しづらく、離れて暮らす親にも言っていなかった。見通しは立たず、うまくいくとは全く思われなかった。
「地震」はそのまま、環境を変えることへの不安の表れだろう。学科間の内容はかなり異なるものだったがそれを選んだのには結構切実な理由もあり、後から思えば就職して社会に出る時以上に大きな分岐点だった。
「電柱」というのは公共的で一定の間隔に立っている、ニュートラルな標のようなものだ。人工的で温かみはないが、質量があり「円柱」という安定した形状を持っている。(大きな円柱は多くの文化で神殿に用いられるなど、厳かで完全な印象がある)そして生きていく上で欠かせない電気、つまりエネルギーを運んでくれるライフラインでもある。私が危機に瀕してとっさに選び、頼りつつ死守しようとしたのはそういうものだった。
揺れに対する反応としては、ぴょんぴょん「ジャンプする」ことで揺れを相殺し、重心移動の主導権を握ろうとしている。大きな自然の揺れに対してちっぽけな抵抗だと分かりながら、サーフィンで波に乗るように、遊びに変えて乗り越えようとしたのだと思う。外で地震に遭えば普通は建物の崩壊のほうが不安なはずだが、この夢ではとにかく地面の様子にばかり気が向いていて、そこで懸命にバランスをとって立ち続けることが焦点になっていた。それもこの地震が特に基盤の変化を意味し、私はそれに対する反応を問われていたからだろう。
家にすぐ帰って家族の安否を確認しようとするが、第一声は地震の存在自体の確認だった。そして外の崩壊ぶりに比べてまったく平静な家と親の様子に戸惑う。上京して2年ほどしか経っていないときで、まだ何も言わなくても理解してくれるという甘えがあったのだろう。帰れる場所にありながらもう自分の世界とは次元が変わってしまっていて、家には家の時間が流れていることに気づかされる。この夢は一人で暮らして自分の道を自分で決めていくことの、本当の意味でのスタートだったのかもしれない。

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人はそれぞれ何らかのテーマを持っている。のっぴきならないキーワードが誰にもあると思う。それは人生の中で向き合うべき課題のようなもので、成熟の段階や時期に応じて変わるし、一人が複数のテーマを持っている場合もある。
子供の頃は大差ない。例えば幼少期の「全からの切断」(自他の区別なく、全てが思い通りになる状態から他者を認め受け入れる状態への変化)は誰もが通るがほとんど意識されないうちになされる。そして成長の各段階を経て、青年期には共通して「自立」に直面する。性別に違和感を感じているなら「性」もかなり若い段階から入ってくるだろう。個性化が進むにつれ、それぞれの傾向に応じて「規範と自由」「力」「孤独」「知と野性」「多数と少数」「近さと遠さ」などバリエーションが豊かになり、テーマごとに相応しい物語が進んでいく。例えば規範の締め付けがあまりにも強い人の場合は、夢の中で壁を押し拡げたり何か固いものを壊したりして柔軟性を獲得していくだろうし、依存からの自立が鍵となっているなら、誰かの運転する車に乗ったり他人の選んだ服を着ている状態から、やがて自分で歩いて橋を渡り向こう岸に到達するといったように。どんなテーマにも、最終的には「より良く」なることを目指して物語が進行していく。変化に大きなエネルギーを要するほど夢の中の破壊も大きく、親を殺したり自分が死んだり、洪水で何もかも流されなければいけないこともある。それでも一度死んだ親は過剰なほど脅威的な存在ではなくなるだろうし、自分はまた灰から新しく生まれてくるだろうし、洪水は肥沃な土壌をもたらしてくれる。立て直すまでの無防備な間の安全が確保できるなら、破壊も時には必要なものとして受け止められる。

特に、シリーズものの夢はその人にとってより根源的なテーマに関わってくるだろう。繰り返し見る夢があるという人は、その種類の夢を見た日にあった出来事の共通点を探すことでテーマが浮かび上がってくるかもしれない。同じ状況が登場する場合は自分の態度やモチーフの変化を、同じモチーフが登場する場合は状況の変化を見ることで、成熟あるいは退行の過程が分かる。また一見連続していない場合でも、同じテーマを扱っていることもある。例えば感情を制御しきれなくなることのある人の夢に、以前は「怪物」が登場していたのが、カウンセリングが進むにつれて「荒っぽいイノシシ」が登場しやがてそれは「触れる犬」になった。夢の細部にばかり引きずられていると見えてこないが、シリーズものとして見ればこれらはすべて「感情」の表現だということが分かる。最初は得体のしれないものだったが、名前をつけられるようになって随分恐ろしさが緩和し、ついには触れるまでになる。感情が動物にすり替えられることはよくあるが、手なずけてうまく付き合っていけるようになれば怯えることはなくなる、犬なら一緒に散歩にだって行けるのだから。そうやって、手を変え品を変え表れる同じテーマととことん付き合ううちに、夢を通して成熟していくのだ。

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写真家、書店員

Reviewed by
横山雄

動脈に対する静脈のように、流れ込んでくる事象を世界へ送り返す。
起きている時の出来事と夢の出来事を繰り返すことで、私たちは呼吸し、物語を進めることが出来る。

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