イメージの海で #6

第22期(2015年8月-9月)

#5 夢の解釈について(1)

「夢の検閲官」という筒井康隆の短編小説がある。フロイトの精神分析学を下敷きに、夢の検閲機能を擬人化したものだ。彼らの役目は、眠りを妨げるような直接的な思想や願望を歪曲させたり象徴に置き換えたりすること。ここでは最愛の息子を亡くした母親の夢を検閲し、あらゆる技を駆使して変換していく様子がコミカルに書かれる。通っていた学校は楽しい思い出のある別荘に、いじめを見て見ぬフリをした担任は同性同名の叔父に、彼をいじめていた同級生はこんにゃくに。出来上がった夢は元の現実的なイメージとは似ても似つかない滑稽なものとなり、検閲官達はひとまず安堵する。しかし夢でもいいから会いたいと願う彼女の元に、息子本人が何度も出ようとする。彼らはまだ早すぎる、刺激が強すぎると優しく押し留めるが、ついには根負けして背中を押してやる..という、ほろりと泣ける話になっている。

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「解釈されなかった夢は、開かれなかった手紙のようなものである。」というユダヤ教典の言葉にもあるように、夢は古くから興味深い考察対象であり、何らかのメッセージとして受け取られてきた。夢の中で公式を得たと言われる数学者のラマヌジャンの例に見られるように、起きている時は気づいていない洞察が無意識下でなされ、啓示のように表れることもある。
夢にも種類があるが、大抵はその日の出来事や最近特に心を占めていることが引き金となって関連する夢を見ることになる。(例えば上司に叱責されたことがきっかけとなって子供の頃から感じていた劣等感が呼び起こされ、夢にそれを補償するような形で勇敢な自己イメージが表れるなど。)しかし神経症など、精神的な不適応の影響が強く出ている場合は、そういった引き金無しに根深い問題に関するイメージが出てきたりする。また風邪で熱があったり猫が乗っていて息苦しいときに悪夢を見るといったような身体の状態が反映される場合や、PTSDのようにショッキングな場面が繰り返し再生される場合などは通常の夢の文脈とは区別して考えたほうが良いだろう。

夢を解釈するということは、検閲官が歪めたりすり替えたりしたものの逆を辿り、イメージを解凍していく作業だ。そのためには登場したモチーフがどんなものであるか、どんな性質があり、普段どう捉えているかを逐一考え直すことが必要になってくる。イメージごとに、ちゃんと選ばれた理由があるのだ。それを一つ一つ丁寧に見て自分の状況と照らし合わせることで、突拍子もない夢でも意味が掴めるようになってくる。

例えば籠の中にいる鳥が出てくる夢を見たとする。

「籠」は何を意味するのか。一つには活動範囲の制約がある。窮屈なのか、動き回れる余地があるのかによって、どの程度自由が奪われているかが推し量られる。その一方で外の世界に比べて自由こそないものの安全ではある。大きな外敵に襲われることもない。中の鳥は捕われているのではなく庇護下にあるとも考えられる。無力化されて可愛がられる「世間知らず」のイメージ。
そしてプライベートがない。籠の中には大抵隠れる場所がなく、全方位から見られるようになっている。籠の中にいるということは、見世物として扱われるということでもあるのだ。好奇の目にさらされて「見られる」側にあり、常に緊張していなくてはならない。
籠は何より支配と被支配に関係するものだ。似たようなイメージで「檻」があるが、檻のほうがより大きく堅牢で「罪」が連想されやすいのに比べ、籠は軽くて一人で持ち運びが可能であり、より個人的な「所有」に近いと言えるだろう。

「鳥」についてはどうか。まず籠に対する反応が重要だろう。大人しくしているのか、出たがって反抗しているのか。
鳥の種類は?例えば通常飼われないようなタイプの野鳥や高い所を飛ぶような鳥だったら、そこに入っているのは特に不自然であり、自由が妨げられていることや本来の力を発揮できていないことを指すだろう。
ニワトリだったらどうか。ニワトリは幼鳥のときとかなり見た目が変わることが広く知られており、成長や変身とも結びつく。また東西を問わず朝を告げる鳥であり、力強い声で夜の混沌を払い、安堵と光をもたらしてくれる役目もある。しかし籠の中にいるときは特に家畜の側面が思い起こされ、食べられる鳥としてのイメージが強くなるだろう。飛べない種のため、籠を開けたとしても逃げられない無力感が連想される。一方で卵を産むイメージもあり、その場合籠は安心して新しい物を生みだすのにふさわしい場と捉えることもできる。
オウムなどの喋る鳥だったら何かを訴えていないか注目する必要があるだろう。鳥の中でも人間の言葉を話すという特殊な種類を選んだからには、恐らく抑圧された言葉や秘密に関わる理由がある。周りをはばからず覚えた言葉を反復するオウムは、夢を見た人が何らかの理由で飲み込んだ主張の代弁者かもしれない。
そして、外見的な特徴。色のイメージで赤は怒りや血、青は悲しみや静けさなどと結びつけられやすいが、その鳥はどんな色をしているのか。その他にも大きさや健康状態など、特にその要素が気になった場合は何かしら意味があると考えられる。

(時間軸も因果関係も道理に叶っていない夢はどうしても言葉にしづらく、意味の通じる文章になった時点で肝心の感覚がこぼれ落ちてしまうようにも思われるが、夢を伝えたり記録したりする時にはどうしても言葉にしなくてはならない。例に挙げた夢のような単純な状態を表すのにも「籠」と「檻」のどちらを選ぶかの違いは大きい。また単に籠の中に「居る」のではなく、どのようにー「安心して」「あきらめて」ー、「閉じ込められている」「飼われている」など人によっていろんなニュアンスを付加して表現するだろう。精神分析の流れの一つにおいては、無意識の表れである夢に対する、そういった本人の意識的な態度を注意深く見る。そこに主体性があるのか、はたまた「〜された」など受動的な言葉が並ぶのか。彼が選んだ表現には拒否、恐怖、無関心、楽観などどういった傾向が見られるか、特にどの場面にこだわりが顕著なのか、そしてその原因は何にあるのか。それに気づき、直面することが治療となる。これは夢を記録を続けることで、自分でも特徴を知ることができるだろう。)

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夢を見た人がその夢にどう関わっているかによって、全体の解釈は大きく変わってくる。
例えば、籠の中の鳥が自分の投影ということが考えられるだろう。夢の中では自己が分裂することがよくある。つまり籠の中の鳥を見ている人と、閉じ込められている鳥はどちらもその人であり、鳥の挙動を通してその人は知らなかった自分の姿を知ることになる。彼は外からの支配のために力を奪われていると感じているのかもしれないし、疲れて自立を放棄し、庇護を求めて自ら閉じこもっているのかもしれない。その鳥がどんな扱いを受け、それに対して見ている側がどんな感情を抱き、どう行動するかが鍵となってくる。籠の所有者が分かっているなら、その所有者が何を表すのかについてもまた検討する必要がある。(親や配偶者などの具体的な人物なのか、〈不安〉や〈権力〉などの概念なのか。そしてどれほどの力を持っているのか。)
また、鳥が自分の中の抑圧された部分を表しているということもある。甘えたい感情や攻撃性など、過去にそのまま表現すると不都合があったため本人が籠を作り上げてその鳥を隔離したのだろう。この夢が良い方向に進んでいくためには籠を開けてやり、弱っているならうまく飛べるようになるまで見守ってやることが必要になってくる。
逆に、支配する側が見る場合もある。この夢を子離れができておらず行く末を案じるあまりに関わり過ぎてしまう親が見たなら、本当はそれ以上子供を自分の領域に閉じ込めておくべきではないという罪悪感の表れかもしれない。夢を見た時点で、無意識ではそのことに気づいているのだ。
もちろん、実際に鳥を飼っている人とそうでない人が見る場合の違いも大きい。
夢占いなどで一般化されているように、特定のイメージがいつも決まった意味を持つと考えるのはあまりにも単純だ。夢の中のイメージはそんなに硬直したものではなく、自分がどの立ち位置に居るのか、なぜそのタイミングでその夢を見たのかを考えることで、そのイメージの持つ様々な性質の中から強調される部分が異なってくる。ただ、時代や地域に関係無く似たような夢や神話が現れることからも推察できるように、人間にはある程度共通のイメージがあることもまた確かだ。それを踏まえた上で夢を個別に見ていくことで豊かな解釈が可能となる。またそういった根源的なイメージと似たものを自分の夢の中に認めることによって、その夢の深さを推し量ることができるのだ。

*続きます