第一話 「22歳」

第22期(2015年8月-9月)

「サッカー選手になりたい」

「漫画家になりたい」

「新幹線の運転手になりたい」

世界には、様々な夢があります。
夢に向かって突き進んでいる人もいれば、
夢が見つからずに悩んでいる人もいます。
そもそも夢なんて必要ないという人もいます。
確かに夢なんてなくても、楽しく生きている人はいっぱいいます。そんなものにこだわる必要なんてないのかもしれません。
でも僕は、夢にこだわり続けて生きてきました。
というより、夢があったから、僕は何とか、
今まで生きてくることができたと、思っています。
そんな、夢と一緒に生きている僕の話を、少しさせてください。

僕は高校三年生のころ、愛知県に住んでいて、
世間的には、特に変わったところもない、
普通の若者でした。
卒業したら就職するものだと思いこんでいました。
大学に行く気もなく、将来の夢はありませんでした。
プロの漫画家になりたいという気持ちはありましたが、落書き程度しか描いたことがなく、まあ無理だろうなと思っていました。地元で就職して、のんびり暮らしていこうと思っていました。
しかし周囲が大学進学希望者ばかりだったので、僕も進学情報誌を読み、大学や学部について調べてみした。
そこで早稲田大学に出会ったのです。
 合格体験記によると、早稲田というのは他にはない、個性的な大学のようでした。面白い人間が集まり、自分の夢を見つけ、実現するための場所であるとのことでした。
調べれば調べるほど、僕が入る大学は早稲田しかないと思いこんでいきました。
僕は早稲田の魅力にやられてしまったのです。
当時僕の英語の偏差値は30代であり、早稲田なんてとても受からないような学力でした。
 それでも、僕は早稲田に合格することを誓い、受験勉強をはじめました。
早稲田で青春時代を過ごし、面白い人に出会い、そこで自分の夢を見つけるのが目標でした。
 しかし、三年浪人しても早稲田には受かりませんでした。
 怠け者の僕は、すぐに勉強をする気をなくし、
ひたすら寝たり、ラジオを聞いていました。
あせりばかり大きくなり、社会から離れ、精神的には、どんどん不安定になっていきました。
 とうとう早稲田をあきらめ、明治大学の二部文学部に入学することにしました。
 やりたいこともなく、早稲田にも落ち、失意の毎日でした。
 若き日にありがちな失恋も経験し、授業もつまらなくて、もう大学をやめようかと思っていました。
 ところが22歳の時、僕は人生観を変える経験をします。
 沢木耕太郎さんというノンフィクション作家の本を、僕は愛読していました。
沢木さんは、ユーラシア大陸をバスで横断する旅行記や、ボクサーのプロモーターとして活躍する
ノンフィクションを書いていて、僕の憧れでした。彼のように生きたいと、当時の僕は願っていました。
 その沢木さんがSWITCHという雑誌のインタビューで、22歳の思い出について話していました。
22歳まで、彼はやりたいことが見つからず、暗い日々を過ごしていたそうです。しかし、卒業論文を書いてから自分の中で何かが変わったと。
 彼は横浜国立の経済学部に在学していたのですが、人間を経済学的な数字で表す事が嫌で、一人の人間について書きたいと思っていました。
そこで愛読していた、フランスの作家アルベール・カミュの評伝を書くことにしたのです。
 カミュの生まれてからを死ぬまでを当初書く予定でしたが、沢木さんはだんだん自分自身のことを書いているような気になりました。そしてカミュが22歳になったとき、「この卒論はカミュのことを書きながら、本当は自分のことを書いている。ここからは、僕が生きてみないと先を書けない…」と言って、筆をおいたのです。
卒論の教官は、「経済学部の卒論としては問題があるが、一遍のエッセイとしては面白い」と言って、卒業させてくれました。その教官は沢木さんに雑誌社を紹介してくれて、ノンフィクション作家になるきっかけを与えてくれることになるのです。
 僕はその話を雑誌で読んで興奮し、自分が22歳の間に卒論を読みたいと思いました。
 読めば何かが変わるかもしれないと思い、僕はすぐに行動を開始しました。
 沢木さんの母校の横浜国立大学の図書館に行き、卒論を読ませていただけるようお願いしたのですが、沢木さんの論文は紛失しているとのことでした。
 それでも無理にお願いして、書庫を探索させてもらう許可を得ました。
 後日友人と一緒に図書館に探しに行くと、図書館員が「お探しの論文はこれですか?」と言って、「アルベール・カミュの世界」とタイトルが書かれた論文を渡してくれたのです。
 図書館員がその日の朝、書庫で作業をしていた時に偶然みつけたとのことでした。
 卒論が僕に読まれたがっているんだと思い、感情が高まりました。
 卒論には22歳の沢木耕太郎の情熱が全てそそぎこまれていました。
 それは、時代を超えた全ての22歳へのメッセージだったのです。
そして同時に僕は、沢木耕太郎の物語に感動しつつも、自分の物語を作っていかねばならないと強くかんじました。
 僕はその想いを手紙にしたため、沢木さんに送りました。すると、沢木さんは僕に著書を送ってくれたのです。
 その裏表紙にはペンで、僕の名前と
「in your own way」というサインが書かれていました。
 自分の道を進めと沢木さんは言ってくれたのです。
 そして僕は誰の道でもない、自分の道を歩もうと決心しました。
誰のまねでもない、自分の夢を見つけようと決めたのです。
 まず、僕がはじめたのは、早稲田の再受験でした。
途中であきらめてしまったことに、後悔していたからです。
自分はまだ納得いくほど、しっかり受験勉強はしていない。受かるか落ちるかわからないけど、きちんと勉強してみよう。
 1999年の1月からはじめて、2月の受験日まで2ヶ月間、真剣に勉強しました。
 すると3年浪人しても受からなかった、早稲田大学に合格することができ、僕は入学することができたのです。
僕はやっと、早稲田という場所で、自分の夢を探すチャンスを得たのです。

(つづく)