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2F/当番ノート

「特別」になりたかった私たちへ。

当番ノート 第22期

バラが100本送られてきたけれど、その人が別の人に101本贈っているのを知っているので素直に喜ぶことが出来ない。


というのはフィクションであり、今のところバラが100本送られるようなロマンチックな人生ではないようだ。

兎角、私の喜びは私の経験上でのみ完結するものではなくなってしまった。初めて得た一等賞であってもみんな仲良く一等賞と知ったなら、勿論そんなものに意味は無い。金色のメダルが欲しいのではない。バラでもタンポポでもいい。誰よりも特別な存在であるという証が欲しいのだ。0か100かで勝負したくても、5か12か20か、そんな小さな差異で一喜一憂している。


友人宅に遊びに行ったり、招かれて食事を共にしたり、ある時は恋人の両親を紹介されたり、幼少期から今まで多くの家庭を見る機会があり、その際に必ずと言っていいほど「うちの家庭は変わっててね」という紹介があった。そもそもみんなの言う普通の家庭とは、誰が定めたどんなイメージなのか。「うちの家庭は普通の家庭像そのものです」という紹介を滅多に聞かない。父が、母が、兄が、旦那が、嫁が、祖父母が、家族の誰かしら「変わっている」という。各々他と異なるということこそ、ごく普通であるということに他ならない。

それでも私達は、自分の境遇が他者のものとは一味違うということをしばしば主張する。ワタシの小学校のクラスは変わり者が多かった。ウチのバイト先のメンバーは個性が強い。オレの若い頃は、アタシの人生は、波瀾万丈だったの。今日もまたそんな普遍的なフレーズを聴く世界の主人公こと、私である。


特別になりたいことと変わり者になりたいことは延長線上にある。自分は他と違うのだという主張をわかり易く示す方法の1つにアートはあった。どうしてこうなったんだという作品を見る度、私はその人の爆発を想像してしまう。地道に努力して築き上げた模範的な自分が「普通」であり過ぎた為に、どうしたら大きく他者と差別化されるのかわからなくなってしまった末、美的感覚が空の彼方に突き抜けたようなオブジェをいくつも見てきた。「私は変わり者でして」そう自ら進んで主張してしまうむず痒さに似た、人間らしい一般性を感じてしまうのだ。

特別になりたいことと少数派に価値を置くこともまた延長線上にある。例えば、晴れ渡る夕焼けに対して興味がある無しに関わらず「汚い」と感じる人は少ない。大多数が美しいと感じる。それが一応普通の感覚というものだ。そこで「夕焼け?到底美しいと思えないね」とアンチテーゼを主張してみれば、「ちょっとひと味違う感覚の人」の出来上がりである。それならば、私は世界で一番普通でありたいと叫ぼう。常識のど真ん中で、一般論の中心を説き、わかり易い美に心を動かされて、または他者の心を動かし、大勢と輪になって「綺麗ですよね」と共感し合うイメージだ。

社会生活を通して自然に浸透した感動が、私の創作活動の基軸になっている。花、夕焼け、海、星、ダイヤモンド。好きか嫌いか、欲しいか要らないか、個性的か否かはさておき、見た瞬間に私が素直に「美しい」と思えるものを、多くの人が共感してくれること。普遍的感覚が尊い。


評価されたかった人達に評価されず、愛されたかった人達に愛されなかった時、私は世界に必要とされていない錯覚に何度も陥ってきた。しかしながら、誰かにとって特別であっても誰かにとってはどうでもよく、誰かにとっては価値が無くても誰かにとってはかけがえのないものであり、その錯綜の中にいる。

「特別」とは、適当であり、不確かである。あの人の一番になれなくても、あなたの世界は終わりじゃない。あの場所で認められなくても、私の物語は続いていく。この主人公はいつか「勝つ」んでしょう、そんな根拠の無い自信で自分の物語を読み進めていくのだ。

小林 舞香

小林 舞香

画家・イラストレーター。アクリル絵の具を使用し、手描きによる精密な写実画を特徴とした絵画を中心に作品を展開している。2009年よりフリーでの活動をスタートし、翌年に初のNY個展を開催。木製パネルに貼られたケント紙に絵の具で描く以外にも、壁画や舞台美術、ファッションデザイン、グラフィックデザインなど手法・表現は多岐に渡る。個展やイベントをベースにオリジナル作品を発表しながら、企業とのコラボレーションでイラストレーターとしての活動の幅も広げている。2017年11月ロンドン個展、12月にアムステルダム個展を控えているが、今回のコラムでは2018年4月に開催される銀座での個展に向けた制作を綴っていく。

Reviewed by
落 雅季子

オンリーワンなのは分かった上で、ナンバーワンを夢見てる。彼女自身が、奇人変人である必要はない。みんなの「普通」を「特別」なやり方で見せたいから。人からの評価だけが拠り所なら、彼女はとっくにやめていただろう。自分の底力を信じるのは傲慢なことなんかじゃない。それは正しいプライドへの道。

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