着飾るのは、あなたの為じゃない。

第22期(2015年8月-9月)

「舞香ちゃんは結婚しないの?」と訊かれても、まず相手がいないんだから仕方ない。


ウェディングドレスに憧れたことが無かった。宇宙飛行士になりたいと思ったことが無いように、お嫁さんになりたいと思ったことが無いのである。それでも、「あの人の特別になりたい」と嗚咽しながら地団駄踏むような想いはたくさん知っている。とはいえ「君は彼女でも奥さんでもない、名前に縛られない特別な人なんだ」と言われた時、それはそれで都合の良いことだと失笑してしまったのだから矛盾している。誓うという行為に心底辟易しているくせに、けじめは欲しいという潔癖も持ち合わせている。私の願いはご覧の通りちぐはぐである。

何でも現存の言葉にどうにか当てはめないと、ずっとその感情や状態が空中に散らかっているようで心地が悪いというのはよく解る。「言葉にならない」というフレーズで超越を表現することもあるけれど、やはり「これはこうだ」と言葉に片付けずにはいられない。自分が誰にとっての何者なのか、概念に当てはめなければ心は不安定になる。しかし逆に、結婚してくださいと言われた時に感じた「そうでなくてはならなくなる」感覚が、私を幾度も逃避へと誘った。言葉の意味に縛られる感覚。関係が熟す頃、いつも独りになりたがる。28歳独身は当然の結果である。


誰かと強く想い合っている時、地面にしっかりと存在を繋ぎ止められている気がする。今の私は、無数に伸びた長く細い糸でフワフワ繋ぎ止められながら浮いているバルーンだ。身軽で自由な心地だけれど、時折、地に着く重さが欲しくなる。また重過ぎれば、解き放たれたくなる。しがみつく糸すらも無くなった時、私は空の彼方に飛んでいってしまうのだろう。


私の絵の雰囲気が英国で売れるか否か、大小問わず何度か議論される場はあった。国単位で合う合わないをジャッジするのは非常に大雑把な視点だと感じながらも、参考になる意見もあり、作風に反映させて試してみる価値はありそうだった。けれどやはり、欲望から外れて「こうでなくては売れない」という義務に当てはめ始めた時点で、私の中で創作の何かが死んでしまうのは確かだった。日本で私の作品はどうだったか。日本で受け入れられますかという議題に、どうしてその場にいる数人でYES/NOと決められるのか。私の作風も私と真逆の作風も、好きになる人を集めるだけである。最初から目標が「その国の大衆に受け入れられたい」ということであったならば、私は6年前に一からいろいろ勉強しなければならなかったはずだ。

目の前の誰かに自分の考えを認めてもらわなければ不安で動けないというのは、一つ一つの作業工程の度に挙手して「先生、これでいいですか?」と問う小学生に等しい。これはやめた方が良いかな、こうしようと思うんだけどどうかな、そういう口調で他者に投げかけることはほとんどしなくなった。こうするつもりです、という決定に「やめた方が良い」と言われたとしても「参考にします」といって受け取る。意見を打ち消そうとするのではなく、心に保管しておく感覚を覚えてからはとても楽になった。必死に論破しなければ通れない道は確かにあるけれど、実はほとんど必要無い。自分の行動に対して同意を必要とする機会は限られている。反対意見は、自分が失敗した時に初めて心に響いてくる。失敗した、と心底思い知るまでは、自分の思った通りにやりきる他無い。

「私はこれから何を描いたらいいですか」なんて問いが生まれる時は本当、不安でどうかしているんだ。


時折自分の作品を並べて「何とも言えない」その統一感を確認する。描いた時期も条件もバラバラなのに、全て一人の人間が描いたんだとわかる雰囲気があると自負している。それが世にある言葉の何にもしっくりと当てはめることが出来ないからこそ、不安であると同時に唯一無二なのだとも思う。説明を求められてもきっと、言葉にしなくていい。絵にしていけばいいのだから。

自分の好きな異性が「リボンのたくさん付いたフリフリのミニスカートが好みだ」と言えば、私はそれを履くか。否、鏡の前でほうれい線がそれを許さない。鏡の前に立って、誰が善しとしてもその姿を自分自身が見るに堪えない。何度も何度も忘れかけては思い返す。自分がどうあるべきかの前に、どうありたかったのか。何を描かなければならないかではなく、何を描きたいか。私が私でなくなってしまう着ぐるみをすっぽり被った上で他者から求められても、いつか歪みが生まれてしまう。

私は私に似合うものを纏った時、はじめて堂々と歩くことが出来るのだ。