Music From Memories 2

第26期(2016年4月-5月)

お化けと河童と石ころが冒険をする絵本。お化けが頑張る1冊目の終りで河童が「次回は拙者が頑張りますぞ」と言う。河童が張り切る2冊目の終りでは石ころが「今度はオイラの活躍をお楽しみに」と言う。ちょっときっちり役割分担をし過ぎではないか。それぞれの見せ場など無くたって、お化けと河童と石ころという時点でもう、十二分に「それぞれ」だ。3冊目は読んでいないが、その絵本がイヤになってしまったというわけではない。ちょうど絵本自体に興味が無くなる年齢だった。それはそうと、もう十二分にそれぞれなんだから、ことさらそれぞれを強調する必要はない、という歌をSMAPは今こそ歌うべきではないのか。

洋楽を聴き始めた頃、雑誌に載っていたレディオヘッドのOK Computerをジャケの白塗り加減に惹かれて買ってみた。全く好きになれなかったけど、無理して聴いた。暫くして自分が本当に聴きたい音楽に出会えたことで、一気に世界が広がり、広げる手法も見つけた。レディオヘッドに別れを告げられる時が来たことがとても嬉しかった。意気揚々とOK ComputerのCDをゴミ箱に捨てた。その後、ホフディランの2ndアルバムを聴いたら一曲目でこう歌われていた。「コンパクトディスクは、とても地球に悪いらしい」と。

市田くんはスゴかった。ダウンタウンもマイケル・ジョーダンも修飾語の「オニ」も、当時のトレンドは須らく彼によってこの教室にもたらされたと言っていい。市田くんはコージー冨田より何年も早く、「テレフォンショッキング」のタモリの完全再現を成し遂げたのだ。彼がぼくに教えてくれたことはたくさんあった。スーパーマリオのBGMには、実は歌詞がある。Bメロ(?)まんなかの高音部3連打に「おっ城!」と当てられることにぼくは衝撃を受けた。その部分以外は忘れてしまったが、その歌詞は、マリオの置かれた状況説明だったのだ。

その「おっ城!」を聞いたときにぼくはしばらく笑っていたのだけど、それを見た窪くんは「つぼに入った若山。」とつぶやいた。たぶんお笑い番組の字幕感覚だろう。

マイ・トーキョー。高架化する前の経堂駅や成城学園前駅はプラットホーム沿いに巨大広告がいくつも並んでいて、それが自分にとって「流行のもののパロメーター」として機能していた。と同時にJR沿線には無い臨場感と言うか、広告が広告として機能している現場感のようなものを、いつもうらやましく思っていたのだ(自宅はJR沿線にあり、小田急を使うのは祖父母の家に行く時だった)。広告とホームの狭い間を、ガイコツのような顔をした小田急の車両が入っていく。屋根がホーム全体を覆っていないことはかえって都会の余裕を感じさせる。しばらく開かない踏切、跨いでつながる商店街、すべてが一体だと自分には思えた。最も強く印象に残っている巨大広告はASKA。「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」発売の時のものだ。若い彼と白い鳩。95年、彼の最後の1位獲得曲。

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後輩の女の子はスピッツが好きだと言った。自分もスピッツが好きだったから、それがキッカケで仲良くなった。2ndアルバムに入っている「うさぎのバイク」を聞かせてくれてとても気に入った。ぼくは「スピッツはずっと聴き続けると思う」と言った。暫くして色々な音楽、特に洋楽をたくさん聞くようになり、その魅力にどっぷりハマっていった。ある日、スピッツのCDを全て中古で売った。

フリー・ソウルを聴きながら「アメリカはジャクソン5、日本はフィンガー5。この落差はなんだ!」と市田くんは嘆く。トレンドセッターならではの嘆きに羨望の眼差し。

学校が終わった後、毎週レコード屋さんに行くのが楽しみになっていた。店内でかかった曲に一瞬で耳を奪われた。Primitivesの「Crash」という有名な曲とのことだった。ウチにはないけど、タワレコにはあるよと店員さんが丁寧に紙にスペルを書いてくれた。その当時文通をしていた人から、浅香唯はPrimitivesが大好きでカバーもしてるらしいという情報を得たが、見つけることが出来なかった。浅香唯は、Primitivesではなく、スザンヌ・ヴェガをカバーしていた。

市田くんと高校卒業前に道でばったり。ヒップホップ、エアマックス、たまごっち、自分の知らないトレンドをいち早く掴んでいた市田くん。まともに話すのは中学の時以来で、会わない間に自分も変わったことを伝えたかった。彼は今はとにかくR&Bだ、と言い、ローリン・ヒルの来日公演や、小柳ゆきの歌唱力について話した。話についていけることが嬉しくて、「今は逆に歌謡曲をすごく聴いてるよ。沢田研二とか後期はニューウェイヴで」などとこちらが言うと目を丸くした。春になったら同窓会をしたいということで意見が一致し、市田くんは「動き出そうぜ、そろそろ」と言った。あまりにも彼らしい言い草だ。

市田くんとはそれきりだった。動き出さなかったのか、自分の知らないところで動き出したのかは定かでなく、それが定かでないほど急速に地元でのつながりが希薄になった。本当のことを言うと「動き出そうぜ、そろそろ」という彼らしい言い草を、もう敬意では受け止められなくなっていた。