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2F/当番ノート

言葉という扉

当番ノート 第37期

作品を作ること
これが自分の人生の仕事だと、いつの頃からかそう思うようになった。

作品には名前をつける。
時には文章や、短い詩のようなものを添える時もある。
言葉は、私と演者、作品と観客を繋いでくれる、扉のようなものだと思う。

自分にとって、作品を作るということはどういうことなんだろうと、これまで製作してきた作品のタイトルと、当時書き綴った文章を読み返した。

「under my skin」2009 

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「息苦しいくらいの切なさ
 それはまるで白昼夢のように
 ため息の温度だけを残して消えてゆく」

これが自分の作品を見て感じた感想である。
本番の二回、下手の幕から舞台上をのぞいていた私は、薄暗い空間の中で行われる動作や表情を見て、まるで、見てはいけない光景を見てしまったかのような気持ちになった。
自分自身で作った作品であるにもかかわらず、この感覚はとても不思議であった。

今回の作品は今まで作ってきた作品の中でも、非常に私的な感覚や感情や身体を取り扱うものであったと思う。
題名にもあるように、私の中にある経験や歴史や傷や感情がそのままの姿で作品に反映されている。
でもそれをそのまま自己満足の域でやるのではなく、ある種の共感を観客に呼び起こさせることができる形、つまり客観性をもたせるという意味では、ダンサーという媒体を通して、自分自身から良い距離を保ち、表現することができたと思う。
ダンサーという生身の人間から動きや感情を誘導するには、言葉を用いるか、実際に動きを見せてみるかがあり、言葉を用いる場合、一言に「赤」と言っても何百種類の赤色があり、個人が持つ「赤」というものに対する感覚が違うように、言葉にも限界があるし、誤差がある。そこで言葉の選別というものに出くわす。
どのような言葉を使って誘導すれば、自分が一番欲しい表現に行き着くのか、どのドアをノックすれば、会いたいあなたに会えるのか、これもダンサーとのクリエイションで面白いところであった。
またクリエイションの中でしばしば私が口にした言葉が「こんなことしなくてもいいような気がする」というものであった。
それはつまり、装飾や身体運動としての動きは必要ではない、という意味である。そしてその言葉を発する時、常に「ではなぜダンスを用いるのか」という自問も同時に行われるのであった。
歌ってもいいし、書いても描いてもいいし、何かを演奏したっていい、その中でなぜ動きで何かを伝えようとするのか。
この問いがいつも対局にあることで、常にシンプルな気持ちで踊りと向き合うことができたように思うし、又、意味のないことや、必要でないことをあえて振付けの中に取り込むこと対しても、自分の中でジャッジし、見極めることができたと思う。

上演後のレポートより

「adagio」2013 

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adagio
緩やかに・ゆっくりと 暗闇で目を凝らす。
           静寂に耳を澄ます。
           身体と丁寧に向き合う。     

鳥達は旅に出る。たとえ暗闇の中でもどこかに向かって。
そして其処へは、自らの意志で行くのだ。

上演プログラムより

芦谷康介と高野裕子 アトリエ公演vol.1 (共作) 2017

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留まるのではなく
どこかからどこかへ
至るまでの時間と空間
わたしたちの中を流れていくもの
その先

公演フライヤーより

「息をまめる」2017 

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息をまめる

まめるとは、
・まみれる
・一面に塗りつける
・戯れる
・仲間に加わる、交わる
・世話する、肝いりする
・仕事に精をだす
・合う、馴染む
・口が達者でよくしゃべる

という豊かな意味のある、日本各地の方言です。

この作品のタイトルを考えていた時に「息」を「どうする」のか、という動詞がなかなか見つからず、出演者全員が一緒に動いている風景を想像しながら「まめるって感じやねんなー」と頭の中に浮かびました。
「まめるなんて動詞あるんかな」と後に調べたところ、豊かな意味を持つ言葉であることを知り、タイトルに決めました。まめってます。

///

フライヤーの骨は、私の背骨と骨盤の骨です。

最近の私をご存知の方は驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、2012年6月19日に腰の外科手術をして、現在は1年に一回経過観察を続けています。
骨盤近く、第五腰椎にビスが2本入っています。これは死ぬまで体内に入ったままです。
術後1日目、私のからだは歩くことを忘れていました。心とからだが完全に解散!した状態、不思議な体験でした。
入院中はずっと院内の手すりを持ってバーレッスンをしていました。
術後2ヶ月で退院しても、日常生活は大変でした。でもなぜか振付の機会があって、寝転がりながら稽古していました。
術後数年は、ずっと一人で稽古してました。今思えば、一人でよくやっていたなぁと思います。
からだのことを勉強したり、動き方を変えていくうちに、少しずつ動けるようになり、指導や振付の機会も増えました。
そして「誰かと一緒に踊りたい」と思うようになりました。

このレントゲン写真は、ある方向から見た「私」という、とある一人の人間の中身です。私の見えないある一面は、こんな風になっています。
人を見た目や肩書き、性別や国籍、言葉や障害、後から名付けられた何かで判断するのではなく、その人の芯を見ること。
既に表出しているものや、出来る・出来ないではなく「〜しようとする」その人の可能性や、心やからだの中の動きを大切にしたい、といつも思っています。

///

34歳の私が今思う「ダンス」、それは「動き続けること」です。
それは表出する「Movement」だけではなく、物事を耕し続け、風を起こし、問いを続けることを意味します。
そしてダンスは「目の前にいるあなたと、私の間に生まれるもの」でもあります。
なぜか私は「一緒に踊りたい」と思う動物なようで、どうやったらあなたと一緒に踊れるのか、ずっとその方法を探しています。
それが動きなのか、声なのか、音なのか、描くことなのか、食べることなのか、他の何かなのか。
答えはとても明確で、それしかないもの。
そして生まれた瞬間から消えていくので、ずっと探しています。

今回のダンス甲東園では、ダンサー、役者、パフォーマー、アコーディオニストの皆さんにご出演いただきます。
それぞれが様々な分野で活動されている方々であり、これまで活動を続けてきた中で出会った大切な人達です。
私はこの人たちと「今、一緒に踊りたい」と思いました。そして「この人とこの人が一緒の空間に存在したら、どんなことになるんだろう」と想像しました。

踊るとは?
言葉とは?
声とは?
音を奏でるとは?
伝えるとは?
生きるとは?

自分自身の心とからだと対峙しながら、考え悩みながらも真摯に遊び、互いの息を「まめる」。
どんな時代でも、どんな状況でも、音楽と踊り、言葉は人と共に在る。
今を生きる私たちの姿をご覧いただけたら幸いです。

公演プログラムより

改めて、作品に対して自分が書いた言葉を読み返すと、当時考えていたことや現在への変化の過程が面白い。

私は、いつか、誰かが死んで、いなくなることをいつも不安に思っている。
不在が訪れることが、とても怖い。
そして自分も、自分自身という意識や肉体から逃れることができないことにどうしようもなく絶望を感じることがある。

だから、作るのかもしれない。

作品を作る現場には、私達自身の「存在」が在る。
いま、ここで私とあなたの間に、どんなものが生まれていくのか、そういう関係だけが存在している。

作品作りを通して人と関わる中で、その人自身の芯が見えてくる瞬間や何かが伝わってくる瞬間、生きる姿に心を揺さぶられ、感動する。
そして、その人のことが知りたくて、伝えたくて、自分を拓く。
素直に対峙する。
私の中に、言葉や踊りが生まれる。

私にとって、その対象は人やダンスだけでなく、音楽でも絵画でも、どんなものでもそう。
自分と、自分以外のものや何かとの間に生まれるものが面白くて愛おしくて、生きていてよかったと感じさせてくれる。

いつかはこの時間も終わってしまうから、いまこの瞬間を大事にしたい。
新しい出会いはもちろん、いま一緒にものづくりをしてくださっている人やものとの経過や深化を楽しんでいきたいと思う。

2月から今日まで、拙い文章を読んでいただいて、ありがとうございました。
思考やイメージを言葉に綴ることで、自分自身を改めて見つめる時間になりました。

このような機会をくださったアパートメントの皆様、そして毎週レビューをお書きくださった舩橋陽さんに、心からの感謝を。
ありがとうございました。

またどこかで踊っている姿や作品をご覧いただけたら幸いです。
では。

舩橋陽さんウェブサイト
https://yowfnhs.exblog.jp

写真
・「under my skin」
 撮影:宗石佳子

・「adagio」
・芦谷康介と高野裕子 アトリエ公演vol.1
・「息をまめる」
 撮影:高橋拓人

高野 裕子

高野 裕子

踊り手・振付家
1983年生まれ
関西を拠点に活動しています

Reviewed by
舩橋 陽

高野さんの当番ノート最終回は、これまでの幾つかの作品についてのセルフレビュー。 そして作品づくりについての述懐。

僕も、ダンスや舞台作品に演奏や楽曲制作で関わる者の視点で思い返してみる。

演奏活動を通してダンスや舞台作品に関わり始めた当初、ステージで出演者達に並んで演奏するのは、普段の自分の演奏表現とは異なる世界の、得体の知れないものの様に捉えて接していた気がする。

自らの演奏活動と並んで舞台での演奏の機会を経る中で、ふと、ダンスをはじめとする諸々の舞台作品も、自分の表現フィールドである演奏も、発表に用いるハードは、殆ど同じで、基本的にはステージと光と音によって成り立ち、作品の軸や要素の偏りの違いでしかない事に気付いてからは、音楽家としても不必要に身構え過ぎずに作品に関われる様になった。

「ああ、一緒なんだ。」
と。

それ以降は、作品の求めに応じて、音に携わる者としての自らの役割を迷いなく行える様になったし、作品を通して自らの活動の糧を得られる様になった。



方や、作家は自分が作りたいものを、誰と組みして、どんな作品として作り上げるのか?

高野さんの述懐を読みながら、作品は料理みたいな物だと思う。
出演者やスタッフ達は食材で、その味わいや特性を理解し用いて、如何に適正な加工を施し、作品という美味しい料理として供するのか?という事ではないだろうか?

そして、作家自身にも、作品で組みする人達にも、関心事や問題意識や技術的な課題など、それぞれが抱え持つ、いわゆる「旬」と呼べるものが、きっとあるのだとも思う。
そして、そんな旬の重なりが縁の繋ぎとなり、作家の呼びかけで作品に集うのだと。

まだダンスや舞台作品に触れていない人は、機会を得たなら是非、上演の場に足を運んでみてもらいたい。
そして、作家や出演者やスタッフ達の「旬」を逃さずとらえて盛り込んだ「その時、そこで」供される作品をじっくりと観て味わってもらいたい。

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