狂えば幸せ。正気は苦しみの淵の底

第44期

――すごい量の写真ですね。

同じものを何枚も焼き増ししているから。

――なぜ同じ写真を何枚も?

楽しかった思い出を、たくさんとっておくため。

――これは、旅行の写真ですね。こっちは遊園地。
 
   
 
――たくさんのところに行ったんですね。

7年間、一緒にいましたから。

――天井も、壁も、本棚も、床も、写真。
 
   
 
――どれも、すごく幸せそう。

幸せでしたよ。とても。でも、もういないから。いや、いる。いない?  いる。

――どちらなのか、わからないんですね。

わからない。いや、いる。でも、いない、って思ったほうが気が楽になるかと思って、いないって普段は思うようにしているんですけれど、でも、まだどこかいるっていう気持ちもある。いるって、心のどこかでは本気で、信じてる。

――いない、と思うのはなぜ?

目の前で焼かれるのを見たから。葬儀にも出た。壺に骨も入れた。やったことは全部覚えてるけど、それが本当に現実だったかって訊かれると、自信ないです。でもそれは、自分が認めたくないから自信がないのか、それとも本当に現実じゃないから自信がないのか、わからない。

――自分が体験したことは真実ではないのかもしれない、と。

そう。いるって信じて、あの子が生きている世界に生きていたほうが、わたしにとっても幸せ。どこかで生きてるって信じているときは、何も問題なく生活できる。あの子がいる、いる。でも、見つからない。帰ってくると思って待ち続けるんです。本気で。だって、その状態のときのわたしにとって、あの子が生きている世界は本当に本物の現実だから。何も怖くない。

でも、周りの人が気を遣っているのがわかる。わたしは毎日を普通に過ごす。けれど帰ってくるのに待ちくたびれて、ある日突然、糸が切れて、淵に突き落とされる。あの子がいない、もういない世界の淵に。

――あなたの周りの誰もが、ご友人をいないと言って、あなたにもそれを認めろと迫ってくるのは、苦しくないですか。

何とも思わない。誰がなんと言おうと。あの子のことが一番大切だから、あの子がこの世にいるのなら、どんな罵倒や非難を向けられてもどうでもいい。

――ごめんなさい。わたしは、あなたに何も言葉をかけることができない。

そうでしょうね。狂っているって思われることもしょっちゅう。でも、いいんです。そんなことはどうでも。こうして人と話せるくらいの理性をぎりぎり保てているときは、考えられるの。信じる道を選ぶことを。生きていることを信じる道と、死んだことを認める道と。

――本当に存在していることと、存在していると感じられること。
  

  
  
  
  
――違いはあるでしょうか。

同じ経験をした人は、どっちを選ぶんだろうって、思います。この淵の深さはきっと、経験した人にしかわからない。あの子の肉体が消滅したことを認めた上で、それでもあの子の魂が息づいていると感じながら生きることと、肉体の消滅自体を認めないこと。どっちがいいんだろう。

頭ではわかってるんです。前者のほうがまっとうで、認めればいつか前を向いて歩いていけるって。でも、あの子は、わたしにとってのあの子は、目に見える、触れられるあの子なんです。声が、わたしの名前を呼ぶ声が。こちらを見る瞳が。さらさらの髪の毛とやさしい香りが。細い指が。それがあの子なんです。それらが、なくなってしまったと認めた世界に生きていくことは、できない。そんなのはやっぱり信じられない。だったらすべてが最初から存在しなかったと、わたしはそんな子を知らなかったと、そう思えたほうがずっといい。わたしはあの子を知らなかった。あの子を。知らなかった。でも、そう信じてしまうことも、おそろしい。何を信じれば良いのかわからない。

――道を選びたい、と、思っているのですね。

そう。

――道を自分で選べる、ということも、知っているのですね。

知っている。嫌になる。知らないでおけばよかった。完全に狂ってしまうか意志を持って前を向こうとするか、最初からどちらかに振り切れていればよかったのに。夢と現実の間を毎日行き来してしまう。なぜ。狂いたくないのか、狂いたいのか、どこに行きたいのか、わからない。でも、狂えたらきっと幸せ。わたしの世界にはあの子がいる。

――あなたにとって大切なものを、聞いてもいいですか。

あの子自身。あの子が生きていること。あの子に触れられること。あの子と過ごした時間。すべて。あの子のすべて。

――これからも、あなたの生活は続いていきます。

わたしが前を向いて幸せになることをあの子も望むだろうって考えたことなんて、一度もない。そんなのは、嘘。生きている人が作った都合のいい話。誰も他人の心なんてわからない。だからわたしは、わたしの道を、自分で決めなくてはいけない。あの子がどう望むとか、誰がわたしをどう思うとか、未来のわたしがどうとか、そんな責任逃れは、通じない。わたしは、生きる道を、生きる世界を、選ばなきゃならない。

――生活を選ぶ。

わたし、幸せになりたいのかな。だったら、今すぐ狂うよ。次こそ、帰ってこられないところまで。もしかしたら、そのまま死んじゃうのかも。でも、本当に幸せになりたいのかな。幸せ? 幸せな世界って? あの子が本当に存在する世界。でも、それが叶わないって認めようかなっていう気持ちもあるのは、なぜ? みんな当たり前に「人は幸せになるために生きてる」っていうけど、わたしの幸せって、もう、どこにもないんだよ。今は。じゃあ、どこにいけばいいの。何を目指して、選べばいいの?